沖縄 うるま 米軍機墜落事故から64年 現場の小学校で追悼集会

アメリカ統治下の沖縄で小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落し、児童など18人が犠牲になった事故から30日で64年です。
現場となったうるま市の小学校で追悼集会が開かれました。

沖縄がアメリカ統治下だった1959年6月30日、嘉手納基地を飛び立ったアメリカ軍の戦闘機が今のうるま市石川に墜落し、25棟の民家をなぎ倒したあと宮森小学校の校舎に激突して炎上しました。

整備不良によるエンジントラブルで操縦不能になったことが原因で、墜落前にパイロットは脱出しましたが、児童11人を含む18人が犠牲になり200人以上がけがをしました。

事故から64年となる6月30日、宮森小学校では全校児童や遺族会の代表などおよそ500人が参加して追悼集会が開かれ、全員で黙とうをささげました。

このあと、6年生の児童全員で「一人一人の手で平和を永遠に守り続けよう」と平和の誓いを読み上げました。

そして、代表の児童たちが犠牲者の名前が刻まれた碑に花や千羽鶴を手向け、事故のあと中庭に建てられた平和の鐘を鳴らしました。

6年生の女子児童は「二度とこのような事故が起きないように、事故のことを家族や友達など身近な人に伝えていきたい」と話していました。

慰霊祭に遺族など90人参列

このあと慰霊祭が開かれ、遺族など90人が参列し、順番に焼香して静かに手を合わせていました。

慰霊祭の途中、小学校周辺の上空をアメリカ軍の軍用機3機が飛行する様子が確認できました。

小学3年生だった弟を亡くした上間義盛さん(80)は「弟が生きていたら、いろいろな話ができたと思うので、残念でたまらない。子どもたちがすくすく育っていけるような平和が1番です」と話していました。

自宅がなぎ倒され、母親を失った金城秀恒さん(81)は「母はとても優しい人で、死んだと聞いた時は、ことばになりませんでした。若い人たちには基地のない平和で豊かな島を努力してつくってほしい」と話していました。