バブル期に建てられた巨大観音像 老朽化で住民から不安の声も

バブル期の前後、観光客を呼び込もうと、国内各地で巨大な観音像が建てられました。中には管理が行き届かなくなって老朽化が進み、地域の住民から不安や戸惑いの声があがっているものもあります。専門家は「巨大であるがゆえに修復や撤去に費用がかかり、その取り扱いが課題になっている」と指摘しています。

専門家によりますと、1930年代以降、戦没者の慰霊などを目的に、高さが数十メートルに達するような巨大な観音像が国内の各地に建てられました。

1980年代前半からバブル期にかけては観光客の呼び込みを目的にしたものが中心となり、高さを競うように巨大化が進んだということです。

このうち、石川県加賀市にある鉄筋コンクリート造り、高さ73メートルの観音像は、1987年に地元出身の実業家によって建てられました。

当初は多くの観光客が訪れましたが、バブル経済の崩壊後、周辺に整備されたレジャー施設は相次いで閉業し、観音像は所有者が次々と変わる中、老朽化が進みました。

こうした中、航空機の安全のため、高い建築物に設置が義務づけられている「航空障害灯」が長期間、点灯しないままになっています。

去年2月から観音像を所有する京都の不動産会社はNHKの取材に対し「部品が手に入り次第、交換したい」としています。

周辺の様子について住民からは「ごみも放置されていて、まちのイメージも悪くなるので早くなんとかしてほしい」といった話が聞かれました。

一方、1982年、静岡県伊東市の寺の敷地に建てられた観音像もバブル期は観光客でにぎわい、周辺にはレストランも開業しましたが、その後、訪れる人は減りました。

2004年の台風の影響で参道の一部が土砂で埋まり、以来、観音像の周辺には立ち入れなくなっています。

近くで食堂を経営する85歳の男性は「観音像を建てた先代の寺の住職が亡くなってからは像はさびれる一方です。自分も久しく足を運んでいません」と話していました。

石川 加賀 観音像の周辺施設も閉業

加賀市の巨大観音像は、来年春に開業する北陸新幹線の「加賀温泉駅」から数百メートルの場所にあり、駅前や住宅地からもひときわ大きく見えます。

73メートルの高さは、観音像としては当時「日本一」だったとされ、像を建てた実業家は「100万人の観光客を誘致したい」などと語っていました。

周辺にはホテルや遊園地などのレジャー施設がオープンし、当初は観光客を呼び込みましたが、これらの施設はバブル崩壊後に相次いで閉業しました。

現場を訪ねると、今も施設の建物が残っていますが、ところどころ窓ガラスが割れ、車が放置されていました。

加賀市は民間企業を誘致して、一帯を再開発をしたい考えですが、具体的な計画は進んでいないということです。

兵庫 淡路島 観音像撤去に多額の公金投入

老朽化した観音像の撤去に、多額の公金が投入されたケースもあります。

兵庫県の淡路島にあった高さおよそ100メートルの「世界平和大観音像」は、1982年、地元出身の実業家が観光振興などを目的に建てました。

しかし、その実業家が亡くなり、経営を引き継いだ妻も2006年に亡くなって観音像とその周辺施設は閉鎖されます。

その後は管理者不在の状態となり、放置された観音像は外壁が剥がれて落下するなど安全面の問題が出てきました。

国は2020年、観音像と周辺施設を国有化。

放置を続けると倒壊の危険もあるとしておよそ9億円を投入して撤去することを決めました。

そして、およそ1年半かけて続いた解体撤去工事がことし5月に完了しました。

元町内会長の男性は「観音像の腹に穴まで開いて将来どうなるかと不安でしたが、ようやく撤去されました。像が建てられる前の状態に土地を戻してくれたら一番ありがたい」と話していました。

専門家「建てたあとのこと 考えられていなかった」

ランドマーク研究が専門の高崎経済大学の津川康雄名誉教授は、各地の巨大な観音像について「テーマパークのシンボルのようなものとして次々と建てられる中で信仰から離れてしまったうえ、建てたあとのことが考えられていなかった」と指摘したうえで「巨大であるがゆえに修復や撤去に費用がかかり、その取り扱いが課題になっている」と話しています。

津川名誉教授によりますと、国内では1930年代から90年代にかけてすでに撤去された2体の観音像を含め、高さ25メートルを超える観音像が少なくとも15体建てられました。

そのうち、半数を超える8体はバブル経済の時期をはさむ1980年代前半から90年代にかけて建てられたということです。

この時期に建てられた観音像は、戦没者の慰霊などを目的としていたそれ以前のものと比べて、高さが重視され、レジャー施設も併設されるなど観光客の呼び込みを目指すものが多くなりました。

津川名誉教授は「経済的な成功を収めた人が地元への恩返しとして、観音像を建てたケースもみられるが、建てること自体に情熱が注がれ、その後のことが考えられていなかった。純粋に慰霊や観音信仰の普及を目指していないと、やがては住民からの共感が薄れ、次の時代に残そうとか協力して修復しようという機運も生まれにくい」と話しています。

群馬 高崎 住民から愛され続ける「大観音」

建てられてから90年近くたっても地域のシンボルとして住民から愛され続ける「大観音」もあります。

群馬県高崎市の「高崎白衣大観音」は1936年、日清戦争や日露戦争の戦没者の慰霊を目的に建てられた高さ40メートル余りのコンクリート製の観音像です。

昭和と平成に1度ずつ大きな修繕工事が行われ、地元からも県外からも多くの人が訪れています。

観音像内部の階段を上れば、広い関東平野を一望することができ、孫と一緒に訪れていた高崎市の73歳の女性は「観音像は高崎を代表する名所です」と話していました。

高崎白衣大観音は群馬県の自然や文化を紹介する「上毛かるた」の絵札にもなっています。

「上毛かるた」を活用した取り組みを進めている群馬県文化振興課の伊藤朱音主事は「学校や地域のなかで子どものころから上毛かるたに触れる機会が多いので、かるたを通して観音を知る人も多いと思います」と話していました。