“働き手クライシス”が大都市圏にも忍び寄る

“働き手クライシス”が大都市圏にも忍び寄る
「働き手不足の影響が、身の回りの生活にまで近づいてきていると感じます。このままだとどうなるのか、心細くなりますね」
東京近郊に暮らす68歳の女性はこの春、通勤に使っていた路線バスがなくなりました。女性が暮らす地域では、他にも福祉や買い物、美容など生活のさまざまな場面で“同時多発的”に働き手不足が進んでいました。実はこの傾向、大都市圏で特に顕著に現れ始めていることが見えてきました。「働き手不足」がこれまでの都市部の「当たり前の暮らし」に忍び寄っています。
(社会部記者 宮崎良太 佐々木良介 大西由夏 紙野武広)

地域のバスがなくなった

越前洋子さん(68)が、バス停で途方に暮れていました。指さす先にあったのが、真っ黒に塗られた時刻表。
越前さん
「ふだん乗っていた路線バスが突然なくなったんです」
職場までの通勤で長年、利用してきたバスの路線が、4月からなくなったというのです。

調べると越前さんが暮らす地域の21の路線で、この春、バスが次々と運休や減便になっていました。
越前さんが暮らすのは千葉県市原市。石油化学コンビナートが立ち並ぶ工業都市で、県庁所在地の千葉市の隣に位置します。

東京まで電車でおよそ1時間のベッドタウンで、サッカーJリーグの「ジェフユナイテッド市原・千葉」のホームタウンとしても知られています。

人口は27万。高度経済成長期の宅地開発に伴って急激に増え、この30年間、人口規模はほとんど変わっていません。

列車やバスの廃止や休止は利用者が少ない地方では、よく耳にしていましたが、なぜ東京に、ほど近い大都市圏でバス路線がなくなるのか?

その理由は、バス停の張り紙にはっきりと記されていました。「乗務員の不足」です。
バス会社を取材すると年配ドライバーを中心に退職者が出る一方で、新たな人材がなかなか集まらず、約400人いた乗務員は、この10年で100人ほど減ったこと。そして、限られた人員では、路線の縮小に踏み切らざるを得なかった苦しい実情を明かしました。

越前さんは、いま職場までおよそ2時間かけて通勤しています。バスがあった時には、バス1本で時間も1時間ほど。
しかし、今は以前とは違う路線のバスに乗り、そのあとに電車、そして再びバスを乗り継いで大回りをする必要があり、通勤時間は2倍に伸びたのです。

やっとの思いで職場にたどりついた越前さんに話を聞くと、半ば諦めの表情で話してくれました。
越前さん
「だんだん年齢も上がってきたので体力も落ちていますし負担が増えました。人手不足って言われるとしょうがないのかなと思うんですが…」

勤務先の福祉施設でも…

越前さんが働くのは障害者が暮らすグループホームです。

実はここにも「働き手不足」が忍び寄っていました。
5人の利用者の生活を支えるため、365日職員が常駐しています。泊まり勤務は越前さんたち50代から70代の6人で担い、週に2回入ることもあります。

施設では少しでも職員の負担を減らそうと、ハローワークなどに求人を出して新たな働き手の確保を進めていますが、半年ほど待っても集まらないといいます。

シフトはいつもぎりぎりで、1人でも休むと業務が回らなくなるおそれもあります。このままでは利用者に影響が出かねないと施設は懸念しています。
石井さん
「職員も高齢化が進んでいて、新たな若い職員に入ってもらわないといけませんが難しいのが現状です。日々起こることに対応していて、日常でつい後手に回ってしまう面が正直あり、5年後、10年後を考えると不安です。利用者が主体的にここで生活することが、職員の都合で壊れていってしまう訳にはいきませんので、なんとかしたいと思っているのですが」
この街に住んでおよそ40年になる越前さん。

これまでの暮らしが、もはや当たり前ではないのではないかと感じています。
越前さん
「働き手不足が本当に田舎のほうだけじゃなくて、こういうところも近づいてきてるんだなっていうのは感じます。年をとってもこのまま安心して暮らせていけるのか心細いです」

新たな局面を迎えた“働き手不足”

日本が直面する人手不足は今、新たな局面を迎えています。

下のグラフは情報サービス大手の「リクルート」の研究機関が行った「働き手の数の将来予測」です。GDP=国内総生産の将来の予想と、性別や世代別の働く人の割合などの見通しから算出しました。
青い線は必要な働き手の数、赤い線は確保できる数です。このまま有効な対策をとらないままでいると、年々、このギャップ、すなわち「働き手不足」が拡大し、いまから17年後の2040年には、不足する働き手の数が、全国で実に1100万人にのぼると試算されています。

これは、いま近畿地方で働いている人と同じ規模が不足する計算です。

全国の都市部で顕著に

この「働き手不足」は高齢化の進展に伴って全国で見られますが、消費者が多い大都市圏で特に顕著な現象となって現れています。

この地図とグラフは、働き手の予測を都道府県別にまとめたものです。
人口集中が進む東京だけが、不足が起こらないプラスで青色。それ以外のすべての県で赤色の「働き手不足」が生じ、特に大都市圏を構成する府県で、2040年には軒並み、数十万人規模で不足するとされています。

特に愛知で115万人、埼玉で80万人など不足の規模は決して小さくありません。

こうした「働き手不足」は、決して将来の問題ではありません。大都市圏にある自治体や商工団体が地元の企業を対象に行った働き手についてのアンケート調査の結果です。
▽大阪商工会議所・関西経済連合会(2023年)
「人手不足」=46.3%
「過剰」=2.9%。

▽名古屋商工会議所(2023年)
「人手不足で募集しても集まらない」=33.7%
「人手不足で雇用する余力がない」=13.8%。

▽川崎市「人材確保の状況について」(2022年)
「確保できている」=35.4%
「確保できていない」=45.4%
「採用活動をしていない」=18.3%。

▽さいたま市「従業員の過不足状況」(2022年)
「適正」=53.3%
「不足」=42.0%
「過剰」=4.7%。
調査の方法や質問は異なるものの、大都市圏の自治体でも3割から4割超が「働き手不足」があると回答していることがわかりました。

買い物にも影響が

「働き手クライシス」とも言えるこうした現象が、生活のさまざまな分野で、同時並行で起きていることも見えてきました。

越前さんと同じ千葉県市原市で暮らす山本晴子さん(仮名・78歳)。5年前に夫を亡くし、自家用車もない今、直面しているのは買い物の難しさです。

これまで路線バスを利用して駅前のスーパーで食料品や日用品などを購入していましたが、バスがなくなった今は、別のバス停まで30分かけて歩いています。行きはよくても、食料品などを購入した帰り道、坂道が多い中で重い荷物を持って歩くことは現実的に難しい状況です。

このため、頼るのはタクシーに。しかしこのタクシー代がかさみ、次第に年金生活の家計をひっ迫するようになっているといいます。

現在は移動販売や食料品の配送サービスなどで、出費を極力抑えて、家計はなんとか維持できていますが、今後、病院への通院が必要になった時のことを考えると不安が大きいといいます。
山本さん(仮名)
「天気がよい日や体調がよい日は大丈夫ですが、そうでない日はなかなか出かけづらくなりました。世の中が“人手不足”とは聞いていましたがこんな地域にまで影響が出てきて、仕事をしていない自分の生活にまで関係してくるとは思ってもいませんでした」

頼みの移動販売も

山本さんが頼りにする移動販売。実はここにも「働き手不足」の影響が及んでいます。
地元のNPO法人が運営するこの移動販売では、遠くに買い物に行くのが難しい人たちを対象に、2台の車で週5日、市内のおよそ10か所を回っています。

しかし、この移動販売車の担当者は、市内で2人。商品の選定から車の運転、接客、販売などすべての業務を1人でこなす重要な仕事ですが、NPOが求人を出してもなかなか人材が集まりません。

バス路線がなくなった地域や福祉施設などから新たな訪問依頼が相次いでいますが、人手が足りないため、断らざるをえない状況だと担当者が明かしました。
高山さん
「ぜひ来てくれないかという依頼が週に1、2件間違いなくあります。私たちもそれに応えていかないといけないと思っていますが、従業員の負担が非常に大きく、あまり対応できないでいます。非常に残念です」

美容室まで…

さらに取材を続けると、働き手不足は暮らしに身近なこんな分野でも起きていました。
市の中心部にある美容室です。10年前まで5人いた美容師が2人に減りました。

首都圏の美容専門学校に求人を出すだけでは採用できないため、北海道から沖縄県まで全国を対象に求人を掲載。それでも採用につながらず、出産などで辞めた美容師の穴を補充することができません。
予約の電話が鳴るたびに、美容師が人手不足で希望する日時で予約を受けることができないことを説明し、「すいません」と電話越しに何度も頭を下げていました。
鏡の前に並ぶ5席のシートも、いまは2席しか使われない状態が続いています。
森店長
「席は空いていても手が空いていないので、けっこう予約をお断りしなければいけないことがありますね。人手を確保できるようにフリーランスなどいろんな働き方ができることもアピールしているんですけど、なかなか採用が難しくて。このままやっていけるのか心配です」

市も危機感

「働き手不足」が、地域の幅広い分野に影響を与えている現状に、市原市も手をこまねいているわけではありません。

ことし1月から路線バスを含む公共交通について専門家の研究会を開き、対策を検討しています。また、市内の企業経営者を対象に「人手不足をあきらめない」というセミナーを開くなど危機感をもって取り組んでいます。

なぜ都市部なのか?

なぜ、特に都市部で問題が表面化しているのか。

労働政策研究・研修機構の藤村博之理事長に話を聞くと都市部ならではの特徴があると教えてくれました。
藤村理事長
「都市部ほど、生活に欠かせない移動や買い物などで外部のサービスに依存する傾向が強く需要も多い。しかしこうした生活を支える身近な分野は賃金水準が必ずしも高くない場合があり人手が集まりづらく、問題があらわれやすい」

打つ手はあるのか?

では、今後どういう対策とればいいのか、解決策はあるのでしょうか?藤村さんは3つのポイントを挙げています。
1「AI・デジタル化」
働き手が減ってもサービスを維持するためには、効率化が欠かせず、AIの活用やデジタル化を進めることは重要。

2「生活支える業種の待遇改善」
接客や介護など生活に身近な業種は、賃金などは高くない傾向。こうした業種の待遇改善を図って働き手が集まりやすいようにすることが大切。

3「新たな働き手の活用」
高齢者や子育て中の女性など条件さえ整えば働きたいという人は少なくない。外国人についても日本で働きたいと思えるような環境を整えることも重要。
人口減少と高齢化の進展によって「働き手不足」はいまや全国どの地域でも避けられない課題です。

私たちの将来、社会の形がどうなっていくのか、そして有効な対策を見いだせるのか、引き続きさまざまな現場とデータを探り、取材を続けたいと思います。

皆さんの身近で起きている「働き手不足」の情報や新しい取り組みなどを、こちらからお寄せください。
社会部記者
宮崎良太
2012年入局
山形局を経て、検察や厚生労働省を担当
現在は労働問題を幅広く取材
社会部記者
佐々木良介
2014年入局
鳥取局、広島局を経て、現在は労働分野、北朝鮮による拉致問題などを取材
社会部記者
大西由夏
2011年入局
松山局を経て、警視庁や厚生労働分野を担当、現在は労働問題などを取材
社会部記者
紙野武広
2012年入局
釧路局、沖縄局、国際部を経て、現在は労働問題や在留外国人などを取材