さよなら中野サンプラザ 時代とともに生きるビル

さよなら中野サンプラザ 時代とともに生きるビル
2023年7月2日、昭和の名建築がまた1つ、役目を終えます。
中野サンプラザ。

半世紀にわたって愛されてきましたが、駅前の再開発に伴い、建て替えられます。ビルのカタチに秘められた、意外な歴史を知っていますか?

街が生まれ変わる中で、建て替えられるビルがある一方、かつての姿をとどめながら進化を続けるビルもあります。変わりゆくビルの姿から、時代の変化を見つめます。(「すこぶるアガるビル」取材班 井川陽子、鏡味瑞代)

“東京ピラミッド”

1973年の開業当時、人々にそう呼ばれたほど、強烈なインパクトを与えたビル。

現在の中野サンプラザです。
地上21階、高さ92メートルの大型複合ビル。

国内外の著名なアーティストやアイドルが公演を行ったホールがあることで知られています。

ホールの入り口とは逆側に回り、ビルの“裏の顔”を見てみると…。
斜めの壁が姿を現します。

空から見ると、確かにピラミッドのような形です。
このビルの設計の中心を担ったのが、林昌二さん(1928-2011)です。

パレスサイドビルや三愛ドリームセンターなど、外観が幾何学的に構成されたビルの設計で知られています。
中野サンプラザは、林さんが“ピラミッドの三角形”という幾何学的な形にとことんこだわり、さまざまな工夫を凝らしたビルなのです。

見えない部分に秘めたこだわり

ポップカルチャーの街、中野。

ホールでは数多くのアイドルがコンサートを行い、“アイドルの聖地”とも呼ばれました。
ビルの1階から4階までの空間を使ったホールの収容人数は2222名。

一番後ろの席からもステージがしっかり見える規模感です。

客席からは見えない部分に、設計のこだわりがあります。
舞台の上部にある、どん帳や照明などを収納するフライタワーとよばれる空間。
フライタワーには高さが必要で、一般的なホールではこの部分が大きく外側に飛び出す形で設けられています。

一方、中野サンプラザでは、このフライタワーがピラミッドの斜め部分に設けられています。

三角のフォルムへのこだわりと空間の効率的な活用を両立するアイデアです。
さらに、ビルの斜めの壁を空からみてみると、下から見あげたときには、ほとんど気づかない、2か所の空間があります。
8階部分にあるのが、開業8年目の1980年にオープンした、テニスコートです。ちょうどテニス漫画の「エースをねらえ!」が若者の間ではやっていた頃でした。

宴会場がある15階にも屋外スペースがあり、庭園が設けられています。
開業当時に描かれた、中野サンプラザの断面透視図です。
2か所の屋外スペースを設けつつも、外からはビルがきれいな三角形に見えるよう、設計されているのです。

中野サンプラザ誕生の理由

ピラミッド型に象徴される、斬新なデザイン。
なぜ林さんはこの形にこだわりぬいたのでしょうか。

それは中野サンプラザが50年前に建設された理由と密接な関係がありました。
開業当時、ビルの中に設置された施設は20以上ありました。

ホールの客席の真下にはプール。地下にはボウリング場。

現在は研修室などがある8階には、地方の工芸品を陳列したコーナーや、地方の新聞を集めたコーナーも。
身の上相談室やオーディオルームといった施設も備えていました。
中野サンプラザのもともとの名称は「全国勤労青少年会館」といいます。公募で決まった愛称がサンプラザでした。
建設計画が持ち上がったのは、1967年。地方から集団就職で上京する若者がまだ多かった時代です。
当時は、不慣れな環境で働き、孤独に陥ったり、職を離れたりする人も多くいました。

そのため当時の労働省が、彼らの心のよりどころとなる勤労者福祉施設としてビルを建設したのです。
若者の人生に寄り添う施設として現存するものが、6階にあるチャペルです。ビルが、勤労青少年の結婚までをトータルプロデュースしました。

当時はこうした施設は、それぞれ別の建物として建てるのが当たり前でした。

それをひとつのピラミッドにまとめたのが、若者たちのためのシンボリックな施設をつくりたいという、建築家・林昌二さんのこだわりでした。

林さんとともにビルの構想から完成まで携わった、三浦明彦さんに当時の思いをききました。
元日建設計 理事 設計室長 三浦明彦さん
「若者にとって刺激になるとか、誇りになるとか、そういうことをどう表すか、我々も悩みましたし、林さんも悩んでいた。施設を全部積み重ねて、一つにまとめたら、新しい価値が生まれるんじゃないかということを林さんが言い出して、なるほどと我々も思ってね。普通のビルの形にもできるけれども、若者たちの愛着を得るとか、記憶に残ることも大事だということで、行きついたのがこのピラミッド型でした」
半世紀にわたって、街の象徴として愛された中野サンプラザ。

跡地には、高さ250メートルほどの高層ビルが建つ計画が示されました。

中野の街の活性化を目的として、7000人を収容できるホールやホテルに加え、オフィスや住居、商業施設などが入るビルが竣工する予定です。

時代の変化に応じて進化するビル

時代の変化の中で、役目を終えていく名建築たち。

一方、もともとのコンセプトと形を保ちながら、大規模な改修がなされたビルもあります。

中野サンプラザと比べれば新しいビルですが、池袋にある東京芸術劇場をご存じでしょうか。
駅の西口を出て2分ほど歩くと、ガラス張りのモダンなビルが見えてきます。

中に入ると、高さ28メートルの吹き抜け。
ガラス張りの屋根で覆われた空間はアトリウムと呼ばれています。
開館日の9時から22時の間は自由に通り抜けが可能です。

休憩スペースやカフェが設けられ、街を訪れる人々のパブリックスペースとして親しまれています。

池袋の街に溶け込むビル

1990年に開館した東京芸術劇場は、東京都が所有する公共の劇場です。

池袋の街に溶け込み、街と一体化することをコンセプトに建設されました。

設計したのは、戦後の日本で都市景観の重要性をいち早く訴えた建築家、芦原義信さん(1918-2003)です。
駒沢オリンピック公園の体育館や銀座にあったソニービルなども手がけました。

劇場の隣の池袋西口公園も、もともとは芦原さんが設計し、劇場と一体感のある街並みが作られました。
池袋西口公園は2019年のリニューアルにより、一部その姿を変えていますが、円形のモチーフは芦原さんの設計当時から変わりません。

改修をへて支持され続ける劇場に

2000人規模のコンサートホールをはじめ、大小4つのホールを有する東京芸術劇場。
竣工の21年後、2011年から2012年にかけて、大規模な改修が行われました。

コンピューター技術の導入など、設備面での現代的な変化への対応が必要になったのです。
さらに「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」、通称「劇場法」が制定され、劇場がもっと自主的に公演を企画制作し、クオリティーの高いさまざまな舞台芸術を市民に提供することが求められたタイミングでもありました。
2階にあるプレイハウス(中ホール)は、客席数834席。演劇やミュージカルが上演され、約60人規模のオーケストラピットも備えています。

改修では、客席のつくりや音響などが大幅に変更され、観客に生の舞台の魅力がより伝わるよう生まれ変わりました。

大きな改修ポイントの一つ、音響を見ていきましょう。
演劇やミュージカルならではの演者の生々しい声や息遣いが、より客席に伝わるよう、壁を改修しました。

もともとは滑らかだった壁をはがし、打ちっぱなしのザラザラとしたコンクリートを露出させ、その上にレンガを貼り込みました。
劇場の雰囲気をモダンにするとともに、壁の凸凹で音響をよくする効果があります。

舞台から発された音は、壁に跳ね返って響きます。滑らかな壁だと、舞台に音が返ってきてしまい、役者が演じにくいというデメリットがありました。

壁の凹凸は、反射した音を拡散させながら、客席に返るよう緻密に設計されているのです。

さらに、舞台と客席の一体感をより高めるため、客席の配置も変えました。
どの座席からも舞台が見えやすいよう、客席の勾配を全体的に上げ、舞台に近い場所にはバルコニータイプの座席も増設しました。
車いす用のスペースを増やし、立見のできるスペースも新たにつくりました。

多くの人に気軽に芸術に親しんでもらいたいというねらいです。

さまざまな改修を経て、東京芸術劇場は、年間1千近い公演が行われる日本屈指の劇場となっています。

名建築には進化するポテンシャルがある

劇場の顔であるアトリウムも改修されました。
改修前の写真を見ると、長いエスカレーターが、空間の中央に設置されています。

1階から5階に直接アプローチできる構造です。
改修では、エスカレーターを壁伝いに移設。

2階を経由してから5階にたどり着く形に変更されました。
改修を担当した山本雅人さんと長谷川祥久さんは、「エスカレーターを移設したことで、アトリウムを公共空間として活用するという、設計者、芦原さんのコンセプトを進化させることにもつながった」と言います。
松田平田設計 リノベーション部 担当部長 山本雅人さん
「エスカレーターは1990年の建設当時、大きな話題になりました。一気に5階のコンサートホールのエントランスまで直行するので、象徴的でもある反面、こういうのは苦手だなという方もいらっしゃったようです。アトリウムはとても大きな空間なので、巡っていく動線にしたほうが、広さや雰囲気をより楽しめるということで、このような改修をしました」
香山建築研究所 所長 長谷川祥久さん
「エスカレーターを壁際に移設して、2つに分けたことによって、2階の床がなかったところに、床ができました。そうすると、その下に天井の低いスペースができます。そこに新たに人が滞在できる場所を作らせてもらいました。イスもいろんなところに置き、人が座れる場所をたくさん作りました」
山本雅人さん
「改修でいろんな手を加えました。ただ、ここの建物の骨格はずっと生き残っていて、もともと目指していたものを、時代に合わせてアップデートできたと思っています。人の意識も変わりますし、社会のいろいろな動きも変わります。もともときちんと出来ていたビルが時代の変化を受け止めて、さらにいい方向へ変化していくポテンシャルを持っていることを実感しました」
時代と、そして街とともに生きるビル。

今後、どのように進化していくのでしょうか。
※東京芸術劇場について、6月28日(水)午後10時~「すこぶるアガるビル 池袋SP」(NHK総合)でもお伝えします。
NHKプラスでは7月5日(水)午後10時45分まで見られます。
井川 陽子
第2制作センター(文化)デスク
2004年入局
「すこぶるアガるビル」「世界はほしいモノにあふれてる」デスクを担当
写真はロケで訪れた真冬のエストニアにて
鏡味 瑞代
第2制作センター(文化)ディレクター
2015年入局
「すこぶるアガるビル」で東京芸術劇場のほかパレスサイドビル、梅田スカイビルなどを取材