天皇皇后両陛下 結婚30年の歩み 素顔を知る人たちが語る

天皇皇后両陛下 結婚30年の歩み 素顔を知る人たちが語る
30年前の平成5(1993)年6月9日に結婚された天皇皇后両陛下。

「喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます」などと文書で感想を寄せられました。

平たんな道ばかりではなかった両陛下の歩み。

素顔を知る人たちに取材しました。

(社会部記者 橋本佳名美 藤田公平 高橋歩唯)

愛子さま プロポーズ再現をリクエスト

5月末、東京・中央区の百貨店で開催された、両陛下の結婚30年を記念した企画展を両陛下と長女の愛子さまがご覧になった際のやりとりが話題になりました。
愛子さまが、天皇陛下にプロポーズの再現をリクエストされたのです。

天皇陛下は、照れながら苦笑いをされたといいます。

30年前のプロポーズのことば。

そのことばどおり、両陛下は手をたずさえ、支え合いながら、歩まれてきました。
皇后さま
「殿下からは、わたくしの心を打つようなおことばをいくつかいただきました。『雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうにおっしゃってくださいました」

皇后さまの友人が明かす 結婚秘話

国民が沸いた世紀の結婚。

天皇陛下は33歳、皇后さまは29歳でした。

パレードには20万人が詰めかけ、結婚を祝福しました。

アメリカのハーバード大学を卒業し、外交官として、国際舞台で活躍されていた皇后さまにとって結婚は大きな決断だったと、皇后さまの小学校からの友人、土川純代さんが明かします。
皇后さま友人 土川純代さん
「外務省から深夜に帰宅する途中に(私の家に)寄って、何か言いたそうにされながら、何もおっしゃらないで、帰っていかれて、悩まれていると伺い知る時期がありました。

当時は外務省で、バリバリのキャリアの雅子さまで、気持ちをお決めになった時にお話して下さいました。非常に謙虚な方ですから、ご自身で、お役に立てるかと、きっと悩まれたのではないかと思います」
「陛下から『一生お守りします』ということばがありましたが、陛下はいちずに思いを寄せられて、そのお気持ちにも応えたいと。陛下とすごく相談があった上で、重大な決断をきちっと、ご自身の責任と覚悟を持ってなさったのと思い、同じ気持ちで応援申し上げたいと思いました」
結婚の翌月、東京サミットが開かれ、皇后さまは、初めて皇族として、各国の首脳と懇談するなど、国際親善の場に臨まれました。

お二人が手を携えて、公務に取り組まれる姿は、国民に新鮮な印象を与えました。

主治医が明かす愛子さま出産

結婚から8年が経った平成13(2001)年、長女の愛子さまが誕生されました。

4か月後に開かれた記者会見で、皇后さまは時に目に涙を浮かべながら語られました。
皇后さま
「無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております」
出産の主治医を務めた堤治さんは、天皇陛下が忙しい公務の合間をぬって、妊婦健診に付き添われていたと振り返ります。
山王病院 名誉病院長 堤治さん
「妊婦健診も毎回陛下が一緒についてこられて、超音波の映像などもご一緒にご覧になって、本当に愛子さまが小さな点のようなところから、大きくなって動きだしてってね、そういう過程をお2人で見守られていました。

性別とか、超音波で見るとある程度早い時期からわかるわけですけれども、(天皇陛下は)即座に性別は見てもらう必要はないので、教えてくれる必要はありませんと。当時、女性天皇、女系天皇というようなことが世間では取り沙汰されていてそれについて、たぶん外からの雑音的なものに惑わされないようにという雅子さまに対する思いやりの一つの表れかなと思います」

療養生活 ご一家で支え合い

しかし、その2年後、皇后さまは体調を崩されました。

慣れない環境と大きなプレッシャーの中で、公務と子育てによる心身の疲れをためられていたのです。

宮内庁は「適応障害」という診断結果を公表しました。

療養中の皇后さまの様子をそばで見ていた人がいます。

元スピードスケートのオリンピック選手、長久保文雄さんと初枝さん夫妻です。

天皇陛下が小学生のころからスケートを指導し、愛子さまにも教えていました。
皇后さまは、スケートをしても疲れが出やすくなり、ベンチで休むことが多くなりましたが、天皇陛下を近くで見守られていたといいます。

スケート場に愛子さまの友人を招かれることもありました。
長久保初枝さん
「最初は滑られるんだけど、途中で体調が悪くなる。そうすると、リンクから上がったところの椅子に座っておられました。そこは一番寒いところなんですよね。じっとしているから。

『寒いですから控室でお休みになったらいかがですか』と申し上げても、『殿下が滑っていらっしゃるから、控室に行かないです』と。この夫婦はいいと思いました」
長久保文雄さん
「皇后さまは、愛子さまが自由に伸び伸びと滑っている様子を見て、うれしく思われていたと思います」

天皇陛下の支えで乗り越える

皇后さまの療養中、天皇陛下が、お一人で公務に臨まれる日が続きました。

皇后さまに対する厳しい声もありましたが、天皇陛下の気持ちはゆるぎませんでした。
天皇陛下誕生日会見(平成16年)
「皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います。私から見ても、雅子は本当に良くやってきていると思います。雅子が公務に復帰するのにはまだしばらく時間が掛かるかも知れませんが、私としては側にいて、励まして、相談に乗って、体調が良くなるようにしてあげられればと思っています」
皇后さまの友人の土川さんは、天皇陛下の深い思いやりが、皇后さまを支えていると感じていました。
土川純代さん
「人のために役に立ちたい、社会貢献をされたいと思われている中、そちらがままならない状況で、陛下にもご負担がいくなど本当に、その時期は、もうお辛かったと思います。しかし、その病めるときもお健やかなときも常にやはり、お支えくださった陛下がいらっしゃいますし、2人でその問題にちゃんと向き合って、ひとつひとつ乗り越えていかれました」
平成25(2013)年、療養中の皇后さまにとって、大きな転機が訪れます。

天皇陛下とともにオランダ国王の即位式に出席されたのです。

外国への公式訪問は11年ぶりでした。
皇后さまは、無事に務めを果たし、回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。
天皇陛下記者会見(平成25年6月)
「かなり長いこと、外国を公式に訪れていなかった雅子にとっては、大きな決断であり、大きな一歩でしたが、この行事に臨むことが、新たな一歩を踏み出すひとつの契機になるのではないかと思い、お医者様とも相談の上で決まりました」

即位後 コロナ禍もともに

令和元年(2019)5月、天皇陛下が即位されました。

即位を目前に控えた正月、天皇陛下は親しい友人を御所に招いた際、決意を語られていました。
天皇陛下の友人 今井明彦さん
「いよいよですね、覚悟のほどはいかがですかと聞いてみたら、『なるべくいろんなところへ出かけて行っていろんな人に会ってみたいです。それがひとつ私の目指す天皇像であり、父(上皇さま)がやってきたありようそのものだと思います』と話されていました。皇后さまは、隣でその話をじっと聞かれていました」
その決意のとおり、両陛下は、愛知県や茨城県、新潟県などを訪れ、地域の人と交流するなど精力的に活動されました。
台風19号による記録的な豪雨で大きな被害を受けた宮城県と福島県も訪れ、被災した人を見舞われました。

ところが翌年(2020)、新型コロナウイルスの感染拡大という思いもよらない事態が起きます。

恒例の地方での行事も、次々と開催が見送られました。

国民のもとに直接出向くことがかなわない中、両陛下はオンラインを活用した新たな交流の形も取り入れ、新型コロナの対応にあたる医療現場も視察されました。

令和3(2021)年の元日には、両陛下そろってカメラの前に並び、ビデオメッセージで国民に語りかけられました。
天皇陛下
「今、この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています」
皇后さま
「この1年、多くの方が本当に大変な思いをされてきたことと思います。今年が、皆様にとって少しでも穏やかな年となるよう心からお祈りいたします」

近所の癒やしスポット

多忙な公務の合間、両陛下がたびたび足を運ばれている場所があります。

皇居のすぐ近くにある「静嘉堂文庫美術館」です。

去年12月、両陛下が公務で来館した際、特に熱心に鑑賞されたのが世界に数点しか残っていないとされる国宝の茶わん「曜変天目」です。
お二人は、美しい模様が特徴の茶わんを、ときどき目を見交わしながら、じっくり鑑賞されました。

その後も2回、プライベートで美術館を訪問し、皇后さまの干支のうさぎにちなんだ展示などをご覧になりました。
静嘉堂文庫美術館 河野元昭館長
「ご案内をする中で、両陛下が互いを尊敬し愛情を持たれている様子が伝わってくるようでした。両陛下は想像もつかないお忙しい毎日をお過ごしだと思うので、ときには芸術で心を癒やし、日々の緊張を解く場所にこの美術館がなってくれたらうれしいです。この先も末永くお幸せをお祈りしたいです」

復帰50年の沖縄を訪問

そして、去年、新型コロナの感染状況を見極めながら、2年8か月ぶりに地方への訪問を再開されました。

栃木県の国体の開会式に続き、10月には、本土復帰50年を迎えた沖縄県を訪問されました。
沖縄では、「豆記者」と言われる子どもたちと再会される機会もありました。

記者の体験をする「沖縄豆記者」との交流は、太平洋戦争の激戦地となった、沖縄の文化や歴史への理解を深めるため、上皇さまが皇太子時代に始められました。

平成に入り、天皇陛下に引き継がれ、平成28(2016)年には、当時のお住まいの東宮御所で懇談したあと、一緒にバレーボールもプレーされました。

中学生だった、愛子さまも参加されました。

沖縄では、そのときに参加していた、大学生の金城若葉さんとも懇談されました。
金城若葉さん
「両陛下は、1人1人にお話をしてくださいました。天皇陛下から、『バレーボールをした時は何年生だったのですか』という質問を頂いて、『中学1年生でした。今は大学1年生になりました』と伝えると、雅子さまから『こんなに成長したのですね』ということばをかけて頂きました。

その時、雅子さまが涙ぐんでいらっしゃったのが印象的でした。月日が流れても、つながっていられることがうれしかったです。私たちは迎える側だったのに、何か贈り物をもらったような温かな気持ちになりました」
「豆記者」の活動に長年携わってきた川満茂雄さんは、戦後、上皇ご夫妻が心を寄せられた沖縄と皇室の関係は今につながっていると感じています。
沖縄県豆記者交歓会 顧問 川満茂雄さん
「沖縄戦では、4人に1人が亡くなっていて、遺族の一部には、戦後も皇室をすっと受け入れられない気持ちもあったと思います。しかし、上皇ご夫妻が11回も沖縄を訪問し、遺族との面会も重ねられる中で、皇室への特別な感情はなくなってきたかなという印象を持ちます。

上皇ご夫妻から始まった豆記者交歓についても、天皇陛下が『沖縄に関心を持ったのは、沖縄豆記者のおかげです』と、ことあるごとに発言をされていて、上皇ご夫妻の戦争や平和への思いが、両陛下にしっかりと引き継がれていると感じています」

30年にあたってのお気持ち

困難なときもお二人で手を携えて、乗り越えてこられた両陛下。

結婚から30年を迎え、文書で感想を述べられました。
両陛下のご感想
「今日で結婚30年を迎えると思うと、感慨もひとしおです。30年前、雨の降る中で執り行われた結婚の儀や午後の朝見の儀、多くの方から温かい祝福を頂いたパレードなどを懐かしく思い出します。この30年間に我が国と世界は大きな変化を経てきましたが、そうした道のりの中で、たくさんの方からの助けを頂きながら、二人で多くのことを経験し、互いに助け合いつつ、喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます。この機会に、国民の皆様より寄せていただいている温かいお気持ちに対して、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。これからの時代が、皆様にとって明るい希望と夢を持って歩みを進めていくことのできるものとなるよう心から願っています」
社会部記者
橋本佳名美
2010年入局
国税、司法担当を経て、現在は宮内庁担当
社会部記者
藤田公平
2012年入局
警視庁、警察庁担当を経て、現在は宮内庁担当
社会部記者
高橋歩唯
2014年入局
松山局を経て現職
これまでに新型コロナ、医療、ジェンダー、皇室取材などを担当