あのドラマの名車まで!? 心躍る旧車との出会い

あのドラマの名車まで!? 心躍る旧車との出会い
自動運転技術や、EV=電気自動車の開発競争。自動車をめぐる進化は著しい。そんな中、愛媛県の小さな町で開かれたのが年代ものの古い車を集めたイベントだ。

会場にぞくぞくと集まってきたのは、日産スカイラインやトヨタセリカなど日本の名車のみならず、フォードやポルシェまで。そこで待っていた心躍る出会いとは。
(松山放送局 宇和島支局記者 山下文子)

“旧車”大集合

会場となったのは、愛媛県西予市野村町の乙亥会館の駐車場である。

国内外の年代物の車60台。

往年の名車の数々がずらりと並んでいるではないか。
ブロロロと響く走行音に、立ちこめる排気臭。

時代を飛び越えてやってきた名車が並ぶ夢のような光景に、私は興奮を抑えることができなかった。
この場所は5年前、災害で大きな被害を受けた。

土砂にまみれた家財道具などが山積みになっていた。

2018年の西日本豪雨で濁流が押し寄せた被災地だったのである。
主催したのは地元に住む兵頭史朗さん(71)。

38年前、車好きの仲間とイベントを立ち上げたのが始まりで、東日本大震災のあった2011年からはチャリティイベントとして開催している。

ことしの開催はコロナの影響で4年ぶりとなった。
兵頭さん
「チャリティとして開催するのは、ことしで10回目です。西日本豪雨から5年たったけど人々の心には、まだ傷が残っています。『忘れないことも支援』と思って、少しでも自分たちにできることはないだろうかと。いい人たちがいい車を連れてやってきてくれるので本当にありがたい。車のオーナーたちにも皆それぞれのドラマがあるから、ぜひ聞いてみてほしい」

父親から受け継いで50年

やってきた人たちに話を聞いた。

ひときわ目を引く真っ赤なボディ。

長く平べったいボンネットに、特徴的なヘッドライト。

1968年式のトヨタ2000GTだ。
国産車初のスーパーカーとも言われる名車中の名車である。

オーナーは、岡山県から参加した常定功さん(57)。

父親から受け継いで50年、大切にしているという。
常定さん
「昭和46年に父親が東京から岡山まで、ちょうどできたばかりの東名高速道路を走って、この車で帰ってきたんです。僕は5歳くらいで当時は価値もわからずに、このボンネットを滑り台代わりにしていました。父、母とあちこちドライブした思い出があります」
当時も人気の車種ではあったものの、今では希少価値も高く、状態のいいものではオークションで1億円になることもあるという。

メンテナンスも一筋縄ではいかないだろう。
常定さん
「もう手に入らなくなった部品もあるんですが、家業が製造業なのでないものは作ります。コロナ禍に思い切って仲間たちと協力してエンジンを下ろしたんです。オーバーホールしても水漏れがしますが、この車は、もう“家族”ですから」

亡き主人の愛車

女性のオーナーも見つけた。

松山市でカフェを経営しているという阪野智枝子さん(54)だ。
ファミリーカーセダンの王道、1972年式のダットサンブルーバード510の横に立つジーンズ姿が粋だ。

ご主人が結婚前、19歳の時に買ったもので、5年前にサビだらけだった車体をレストアしたという。
阪野さん
「主人は7、8年前に亡くなってしまったのですが、私がこの車に乗りたくて直しました。自分が動かしているという気持ちになれるので運転していてすごく楽しいんです。古い車ってかわいいですよね。一台一台個性があって。『ぶるお』と呼んでます。今はこの車が彼氏みたいな存在ですかね」
阪野さんは、ほかにもう一台、赤いB10型サニーも所有している。

その車は「さにこ」と呼んでいるのだとか。

子どもの時の憧れ

子どもの頃の夢をかなえた大人たちにも出会った。

80年代に激しいカーアクションを繰り広げたテレビドラマ「西部警察」の警察車両ことスカイラインRS。
赤と黒のツートンボディに「4VALVE DOHC RS-TURBO」の文字も忠実に再現されている。

子どもの時に憧れた車を手にしたのは、松山市のディーラーに勤務する大下孝次さん(47)だ。
大下さん
「小学5年生のときに、夕方の再放送を見ていました。車のイメージそのものがドラマという強烈な印象があってまさに男のロマンです。夢を手に入れました。自動車業界に就職したのも、このとき受けた衝撃が影響しているのは間違いないですね」

“奇跡”の出会い

そして、漆黒のボディの中央部に赤く光るライト。

まさか、あの車は!!80年代に大ヒットしたアメリカのアクションドラマ「ナイトライダー」のドリームカー「ナイト2000」ではないか。

ここで出会えるとは、まさに奇跡のようだ。
大興奮でカメラを構えていた私に「この車、ご存じですか」と渋い声で話しかけてくれたのは、オーナーの曽我部智博さん(48)だ。

愛媛県四国中央市で一級建築士として事務所を設けている。
曽我部さん
「小学生の時にドラマを見て、稲妻が走りました。大人になって、一番好きな車を手に入れたら、どんなに楽しいだろうと思って。しばらくは、本当に自分の車なのかって思うほどでした。所有して何年もたつんですけど、乗るたびに非日常を味わっています」
外装もさることながら、その内装にも驚く。

ダッシュボードからハンドル、シートに至るまで想像を超えるレベルで再現されているのだ。
ことばをしゃべる機能まで搭載されているではないか!ドラマの世界から、そのまま飛び出してきたかのような1台なのである。

会場では、ひっきりなしに人々が訪れている。

オーナーの曽我部さんは、快く運転席にも座らせてあげている。
曽我部さん
「最初は自分のために作った車ですが、イベントなどで多くの人が車を見て喜んでくれるんです。この車が大好きだという人にたくさん出会いますし、その人たちが喜んでくれると私だけでなく、車も喜んでいるみたいな気分になってとても幸せな気持ちになります」
年代物の車には、修理もつきもの。

しかし、苦労を感じたことはないという。

古いものは壊れる。

でも、きちんと修理すれば、ずっと長持ちをする。

直していくほどに愛着が湧くという。

かくいう私も車が大好きだ。

現在、修理中の車は、私より5歳年上の1974年式のマツダシャンテ。
わずか360ccだがエンジン音は心臓の鼓動のように力強い。

なぜこんなにも古い車に心を奪われるのだろう。

時代とともに自動車も進化し続けているのにもかかわらず、この会場にいた誰もが「おっと、懐かしいな」「このデザインはたまらん」「大事にしとるな」とほおを緩め、お互い初めて顔を合わせたとは思えないほど会話が弾んでいる。

未来へ進む原動力に

イベントは4年ぶりということもあって再会を喜ぶ人たちも多く、会場は笑顔であふれていた。

車たちが次々と人々を結び付けていくのだろう。

主催者の兵頭さんがいったとおり「いい車に、いい人たちが集まっている」と感じた。

参加した野村町のある男性のことばが忘れられない。

「被災当時、ここはゴミの山だった。でも今こんなに美しい車たちが並んでいる。本当に夢のようだ」と。

復興は、まだ道半ばかもしれない。

でも、もしほんのひとときでも、この夢のような光景を見て心がワクワクすれば、それがまた一歩、未来へ進む原動力になるのではなかろうか。
松山放送局宇和島支局記者
山下文子
2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中
実は覆面レスラーをこよなく愛す