WEB特集

12年前、娘が触れた髪

母の髪は、腰よりずっと先に伸びていた。

それが事件からの歳月を物語る。

熊本市の清水心(ここ)ちゃん(3歳)が殺害されてから、ことし3月3日で12年が経った。

母の真夕(まゆ)さんは心ちゃんが触れた髪を、その日からずっと切ることができないでいる。

12年の間、母は何を考え、生きてきたのだろうか。

(熊本放送局記者 藤崎彩智)

心ちゃんの記憶

「この白い桜、千原桜(ちはらざくら)って言うんです。熊本が発祥なんですけど、知ってました?」
ことし3月。

熊本城のお堀沿いをいっしょに歩いていた私に、真夕さんが話しかけた。

見ると、少しずつ咲き始めたピンクの桜の中に、白く大ぶりな花を咲かせた桜の木があった。

私は知らず、「すごく、きれいな花ですね」と答えると彼女は「ここも、花が大好きだったんです」と、千原桜を見たまま静かに言った。
真夕さん
心ちゃんが生まれたのは2007年9月21日。

男の子3人のあとに生まれた女の子だった。
真夕さん
「本当にかわいくてね。お兄ちゃんが3人だったけれど、やっぱり男の子とは違う。しぐさとか、ちっちゃいけど女の子なんだよね。顔、しぐさ、体型とか女の子。かわいくて、それが」
明るくて元気な女の子だったという心ちゃん。

そして、その髪を思い出す。
真夕さん
「わりと長くて、くせっ毛なんですよ。内巻きになるくせっ毛で、髪はそんなに多くないし、色はすごく茶色い。きれいな髪の毛で、すごくきれいだねって。お風呂上がりとかに必ずブラシでとかすんだけど、色もきれい。洗い立ての髪にブラシを入れるのがすごく好きで。もう、ここ、髪きれいだねって言って」

事件が起きて、家族は

2011年3月3日。

心ちゃんは、熊本市のスーパーのトイレで大学生だった男に殺害され、翌日、近くの水路で遺体で見つかった。

事件から家族の日常は一変した。

真夕さんは自分が抱える悲しみ、苦しみに加え、母親として当時、中学1年生、小学2年生、5歳の子どもたちをどうケアするかが、大きな悩みとなった。

特にスーパーで事件直前まで心ちゃんと一緒にいたのは、心ちゃんと一番年齢が近く仲がよかった5歳の三男だった。

悲しむ親の姿を見て「自分が死ねばよかった」と泣きながら叫んだという。
真夕さん
「三男に至っては自分のせいで死んじゃったと思っている。5歳が自分が死ねばよかったっていう言葉を吐く、そんなちっちゃい子が自分が死ねばよかった、ここちゃんを守ってやれんかったって。

その泣き叫び方も本当もう一生聞くことはないだろうというくらいの慟哭だった。うわーと、この子は壊れてしまうんじゃないかと思うくらい。私は抱きしめるくらいしかできなかった」
子どもたちを守ろうととった行動は、3人を自宅の外に出さないことだった。

「外に出すと子どもたちが危ない」と、ずっとテレビを見せるだけの日々が続いた。
真夕さん
「あの人たちはここちゃんの家族だよね、笑って買い物しよるやんとか、外食とかしよるやんと言われる恐怖で外に出られなくなった。

子どもたちももちろん出せないとなって。ネットでの反応が世間一般での反応じゃないのかと考えちゃって、家から出たら見知らぬ人にそういうことばを投げかけられるんじゃないかと。子どもが学校に行ったら学校でそういうことを言われるんじゃないかとか」
真夕さんは自分がごはんを食べないと息子たちも食べない、自分が笑わないと息子たちも笑わないことに気がついた。

真夕さんは無理をしながら笑顔を作り、ごはんを食べる姿を見せた。
真夕さん
「ごはんを食べなければ死んじゃうでしょう。この子たちまで死なせるわけにはいかないと必死だった。

もし、この子たちがいなくて、子どもがここだけなら、間違いなくあとを追って自分は死んでいたと思う。この子たちがいてくれたからこそ死ぬわけにはいかないと思った」

心ちゃんが触った髪

そして真夕さんは髪を切ることをやめた。

心ちゃんが触れた髪を。
真夕さん
「私がここの髪にブラシをかけると、ここも私が持ってるブラシを取って、私の髪をブラッシングしてくれていました。ママもきれいよ、と言ってくれて。それをもう毎晩のようにやってたんです、お風呂上がりに。ここはここで、ママの方がきれいよと言ってずっとしてくれて」
真夕さん(2012年)
真夕さん
「ここがいなくなってから、ふと思いだして。この髪の毛がある時、まだここが生きてた時に触ってくれてたなと。それを思ったらその瞬間に特別なものになっちゃって」
事件から4か月後、長男の「学校に行かせてほしい」という訴えから子どもたちが学校に通うようになった。

少しずつ日常に戻ろうと、もがきながら積み重ねていく日々。

その後も辛いことが続いた。

長男は高校生の時に片方の耳が聞こえなくなった。

次男は学校に行けない時期もあった。

そうした日々、真夕さんは母親として子どもたちを支え続けた。

肩までの長さだった髪は、その間にも少しずつ伸びていった。
真夕さん
「髪の毛の存在はすごく大きくて。もう途中で切ろうかなというタイミングが何回かあったのだけれど、そのたびに切れない。切るよりもここへの思いが強くて、その思い出も一緒に切っちゃうことに思えた」

講演活動を続ける中で

事件から3年近くが経過した頃、被害者支援センターからの依頼を受け、心ちゃんの父親の誠一郎さんが講演活動を始めた。

全国各地で行った講演の回数はこの10年で学校や警察など300回を超えた。

真夕さんもできる限り講演に同行している。
真夕さん
「高校生とか中学生とかって感想を送ってきてくれるんです。私がすごい衝撃的だったのが、なぜ人を殺しちゃいけないかわかりましたっていう意見。

当事者だけじゃなくて周りも巻き込んで不幸になるよって、親も兄弟もみんな今までの暮らしはできなくなるんだよと言うんだけれど、そういうところに反応したのかな。男の子だったんだけど、もし彼がそれを知らないまま大きくなってたらどうなってたんだろう。当然わかっているだろうから学校では教えませんということなんだろうなと思って。

なにかのきっかけとかタイミングとかでそれぞれ学んでいくんだろうけど、それを学べなかった子どもたちがもしいるとすれば、自分のうっぷんを晴らすために犯罪とか手をそめてしまう子がもしかしたらいるかもしれないって」
そうした講演活動を、娘への思いが支えているという。
真夕さん
「事件のことを知ってほしい。ここを忘れてほしくない、そして防犯につなげてほしい。こういう事件があったから、そこからみなさん考えてくださいっていうことをやってるつもりなんです。

あの子小さいのに殺されてかわいそうと思う、それだけの話にしたくない。ほかの子が亡くならないように変えられるところは変えていきましょうとつなげたいんですよね」
真夕さんは娘を亡くした親として、同じように苦しんでいる被害者の遺族に寄り添いたいと考えている。
真夕さん
「悲しいときには泣くんだよ。我慢しちゃだめって、私はそれも言えるんだなと思って。特別な何かを持ってるわけではないけれど、気持ちをわかってあげられると思う。話したいけど話せないというのを持っている人の話を聞いてあげるというのが自分にできることかなと思う」

心ちゃんは今も家族の中に

事件から12年が経った。

真夕さんは毎朝、心ちゃんの写真に話しかけ続けてきた。
真夕さん
「長いんですよ私、話しかけるのが。きょうも1日ママもがんばるけん、ここもがんばってねって言って締めるんだけど。本当に聞いてくれているような気がしてるから毎日しゃべって。自分自身に言ってることでもあるし、自分の気持ちを切り替えているのもある」
「こことすごせる時間として毎朝大事にしてます。いまでもここ大好きよと伝えられるのが私にとってもいいのかもしれない」
だが一方で、その12年は事件の悲しみ、苦しみと過ごしてきた日々でもあった。
真夕さん
「時間がつらい気持ちを癒やしてくれる、和らげてくれるように言われることもあるけれど、まったくそんなことはなくて、思い出せばすぐに事件当時の気持ちに戻ってしまう」
「事件当時のことは、ふだん鍵付きの箱の中にしまっています。そうでないと日常生活は送れません。でもきっちり覚えています」
長男は社会人になって結婚し、次男は大学生に、三男は高校生になった。

3人と、いまも心ちゃんの話をよくするという。
真夕さん
「亡くなった家族の話をするのかしないのか、犯罪被害者の家族にあることだけど、私は全然していこうと思っている。子どもたちも一緒に生活しているみたいに、いつもここの話をしている。たとえば、これ、ここだったらどう思うかなと」
真夕さん
「いまは長男も次男も東京に行って、長男は家庭があるけれど妹の写真を持って行って飾ってある。1人暮らしの次男はピンクのフォトフレームに入れて、去年は(心ちゃんの写真に見せるために)小さな、盆栽みたいな桜の木を買ったって言っていた。子どもたちはいまも一緒に妹と生きている。自分たちが見るものは、ここにも見えてるんだと言って。

だから自分たちがいろんな経験をして、いろんな場所に行くと、ここもおんなじ風景を見れるからって言っていろんな場所に旅行に行ったり、大学で行ったり。それぞれ自分で考えてやってくれている」
ことし3月、13回忌を終えた。

3歳だった心ちゃんは、この春高校1年生になっているはずだ。

真夕さんの髪はストレスで一部が白髪になったり、途中で切れたりしてほとんど伸びなくなった時期もあった。

それでも伸び続け、長さは約1メートルになった。
真夕さん
「13回忌を無事に終わって、自分もよう頑張ったって。今回はこれから先、自分が大丈夫なんだという決意を自分にわからせるために、新たな出発のために髪を切っていいかなとも感じている。娘はいつも一緒にいると思っているから」
熊本放送局記者
藤崎彩智
2021年入局
警察・司法取材を経て、現在は、豪雨災害のあった人吉市や鉄道の復旧のほか、若者が抱える問題、障害者福祉などを取材

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