テニス 全仏オープン 車いすの部 小田凱人が17歳で最年少優勝

テニスの全仏オープン、車いすの部は男子シングルス決勝で17歳の小田凱人選手が世界ランキング1位のイギリスの選手をセットカウント2対0のストレートで破って、四大大会で初めての優勝を果たしました。17歳1か月の小田選手の優勝は、1968年のオープン化以降、四大大会男子シングルスで史上最年少となります。

パリで開かれている全仏オープンは大会14日目の10日、車いすの部の男子シングルス決勝が行われ、世界2位で17歳の小田選手と、世界1位でイギリスのアルフィー・ヒューウェット選手が対戦しました。

小田選手は第1セット、序盤から力強いショットとフォアハンドのリターンがさえ、第3ゲームから5ゲームを連取して主導権を握ると、このセットを6-1で取りました。

第2セットは俊敏なチェアワークもさえ、立ち上がりで小田選手がブレークに成功するとその直後、ヒューウェット選手にブレークを許して一進一退の攻防が続きます。
そして、第9ゲームで、小田選手がバックハンドのショットをコースぎりぎりに決めて3回目のブレークを奪うと、第10ゲームの最後は、小田選手の強烈なサーブを相手が返せず、このセットを6ー4で取りました。

小田選手はヒューウェット選手をセットカウント2対0のストレートで破って、四大大会で初めての優勝を果たしました。
優勝が決まった瞬間、小田選手はラケットを投げ、両手を掲げて喜びを爆発させました。そして、会場の大きな拍手を受けて涙を見せながらコーチなどと力強く抱き合い、初めての優勝をかみしめていました。
17歳1か月の小田選手の優勝は、プロ選手が参加できるようになった1968年のオープン化以降、四大大会男子シングルスで史上最年少となります。また、大会後の世界ランキングは、現在の2位から史上最年少で世界1位に浮上することになりました。

四大大会の車いすの部、男子シングルスで日本選手が優勝するのは、ことし1月に現役を引退した国枝慎吾さんに続いて2人目です。

小田「もっと盛り上げて さらに大きいスポーツにしていく」

試合の後、小田凱人選手はコート上で英語でスピーチし、対戦相手のヒューウェット選手に感謝のことばを述べたあと「いつもあなたと対戦するのはタフだ。もっとたくさんこうしたハイレベルな戦いをしたい」と呼びかけました。

そして「テレビの前で日本の皆さんにも見てもらえていると思うので、これをきっかけに車いすテニスを応援してほしい。これから僕がもっともっと盛り上げてさらに大きいスポーツにしていく。これからヒューウェット選手と何度も決勝戦を戦うことになると思うので、それを見てほしい。応援に来てもらった皆さんのパワーで勝てた。また来年お会いしましょう」と日本語でスピーチすると、会場から大きな拍手が起こりました。

このあと、国枝慎吾さんのインタビューに応じた小田選手は「自分を常に信じて絶対できると常に大きい声で言って、自分を鼓舞できたのが勝ちにつながったと思う。ヒューウェット選手を相手にああした勝ち方ができたのは、すべて出しきった結果だと思う」と試合を振り返りました。

また、大会後の世界ランキングは、現在の2位から史上最年少で世界1位に浮上することについて「大会に照準を合わせてやってきて、ここで絶対に勝つという気持ちで、すべてをかけてやってきた。本当に夢がかなった瞬間だし、四大大会の優勝と最年少での世界1位の2つの夢がかかっていたので、絶対にかなえてやるという気持ちだった」と力強く話しました。

そのうえで「次はこれからどれだけ長く世界一でいられるかが勝負になってくると思う。国枝選手からいろいろなことを教えてもらって、ぜひそのコツを教えてほしいです」と笑顔で話しました。

“国枝慎吾さんの後継者として期待される選手”

小田凱人選手は愛知県一宮市出身の17歳。ことし1月に現役を引退した国枝慎吾さんの後継者として期待される選手です。

9歳のときに左足に骨肉腫が見つかり、その後、医師の勧めで車いすテニスを始めました。
映像で目にした、2012年、ロンドンパラリンピックでの国枝さんの圧倒的な強さに刺激を受けて、その背中を追い、持ち味の力強いショットと攻撃的なスタイルで相次いで国際大会を制して、おととし史上最年少の14歳11か月で、ジュニアの世界ランキング1位になりました。

去年15歳でプロに転向し、10月の「ジャパンオープン」では、国枝さんと決勝を戦い、フルセット、タイブレークの末に敗れたものの、あと一歩まで追い詰めました。

11月、オランダで行われた車いすテニスの年間成績の上位8人で争う「マスターズ」の男子シングルスでは、当時、世界1位でイギリスのアルフィー・ヒューウェット選手を破って、大会史上最年少で優勝を果たしました。

四大大会には去年6月、全仏オープンに初出場してベスト4進出を決め、ことし1月の全豪オープンで初めて決勝に進みましたが、ヒューウェット選手に敗れ準優勝でした。

磨いてきたチェアワークの感覚

四大大会唯一の赤土のクレーコート、全仏オープンに向けて小田凱人選手が磨いてきたのがチェアワークの感覚です。
ハードコートではターンの時、車いすの重心を内側にかけるのが一般的ですが、クレーコートで同じようにターンすると、タイヤが横滑りして、スピードが落ちてしまうのです。

そこで、小田選手は重心を一度外側にかけてターンする感覚を磨いてきました。
しっかりとタイヤで地面を踏み込むことで滑りにくくなり、強いショットを打つ体勢が取りやすくなるといいます。

ハードコートでは相手選手に追いつかれてショットを返される場面も、クレーコートでの滑りやすさを克服すれば、小田選手は強打が持ち味の自分のプレースタイルがむしろ生きると分析していました。
小田選手は「攻撃的なプレーが一番やりたいプレーで、一番の武器でもある。クレーコートではより有効的なプレースタイルになり、ハードコートよりもポイントが取りやすくなる」と話し、攻撃的なプレースタイルを貫くことが、勝利につながると信じていました。

そして大会直前には「もともとのプレースタイルや自分のやりたいプレーがうまくクレーコートのサーフェイスにフィットしている。自分のテニスがほぼ確立して、自分のやりたいことも今の課題も明確になってきているので、根拠のある自信に変わってきたと最近はすごく思う」と手応えを口にしていました。

強さにこだわる特別な理由

小田凱人選手が強さにこだわるのには、特別な理由があります。かつての自分のように病気と闘う子どもたちの支えになりたいという思いがあるからです。

小田選手は9歳のときに、左足に骨肉腫が見つかり車いすの生活になりました。つらい闘病生活に勇気と目標を与えてくれたのがロンドンパラリンピックで戦う国枝慎吾さんの姿でした。

小田選手は「入院中に刺激を受けたのが国枝さんがプレーする車いすテニスで、それがモチベーションになって、リハビリも頑張れたし、すごく救われた感覚があった。何かを頑張ってみようという気持ちに車いすテニスに出会ってなったので、自分もそういう人になりたい」と話しています。

去年の全仏オープンで国枝さんは自身通算8回目の優勝を果たし、四大大会のシングルスでは歴代最多の28回制覇するなど、前人未到の記録を打ちたててきました。

小田選手は今回の全仏オープンで四大大会初制覇を果たし、理想の姿にまた一歩、近づきたいと考えています。

小田選手は「去年初めて出場したグランドスラムが全仏オープンだったので、一番思い出深い大会で、全仏オープンでこそ勝ちたいという思いは、ほかの大会よりもすごく強い」とまっすぐな目で話し、こう力強く答えました。

「10代の人たちに一番僕のプレーを見てほしいし、何か伝えられるものがあると思うので、そういった意味でやっぱり子どもたちには絶対見てほしい。より勝ちたい気持ちがいつも以上にあるので、それを本当に達成できれば、かなり理想のヒーロー像に近くなるんじゃないか」