【全文掲載】WBC 栗山監督が退任会見「すべて選手に救われた」

ことし3月に行われた野球のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで日本を率いた栗山英樹監督が2日、退任会見を開き「勝ちきることで日本野球のすばらしさを伝えることができた」などと述べて、日本を3大会ぶりの優勝に導いたWBCを振り返りました。

会見の全文も掲載しています。

「これ以上ないくらい充実」

先月末で代表監督としての契約を満了した栗山監督は、2日午後0時半から都内で退任会見を開き、晴れやかな表情で報道陣の質問に答えました。

この中で栗山監督は、代表監督としての日々について「WBCの戦いを見据えて毎日毎日、一生懸命に考えてきた。これ以上ないというくらい充実していた」と振り返りました。
大会本番については「WBCの7試合すべてが印象に残っていて、1試合1試合が生涯忘れられない試合だ。結果的に勝ち切れて先輩方が作った日本野球のすばらしさを少しだけ伝えることができた」と話していました。

また、大リーグ、エンジェルスの大谷翔平選手を始め、プロ野球、ヤクルトの村上宗隆選手など優勝メンバーに向けたメッセージを尋ねられると「日本の野球のために集結して尽くす姿を見せてくれた。一緒に戦って感動をさせてもらったし、見たことのない景色を見させてもらった。これから何度会っても『ありがとな』と言い続けると思う」と感謝の思いを口にしました。

今後の野球界については「今回のWBCを見た子どもたちが10年後くらいにこの大会を見て刺激を受けたと言ってほしい。スポーツ界のプラスになればうれしい」と話していました。

後任の日本代表監督は、ことし8月をめどに候補者の絞り込みが進められます。

退任会見全文

まずは短い期間なのか、長い期間なのかわからないんですけど、ジャパンの監督を務めさせていただきました。

多くのみなさん、メディアのみなさん、ファンのみなさん、本当に応援いただきましてありがとうございました。
結果的に勝ちきることができて、先輩方が作ってくださった日本野球のすばらしさを少しだけ伝えることができたかなというのと、今見てくれている子どもたちが、また「野球っておもしろいな」と思ってほしいという思いで戦ってきましたけれども、そういったものをもし感じていただけるなら本当に良かったなと思います。

ただただいい環境と、応援してもらって僕も思い切りやることができたので、みなさんに本当にお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

Q.今の気持ちは

A.本当に日々WBCの戦いを見据えて、1年半弱ですけども、毎日毎日一生懸命考えて野球を見て、いろいろな人に会ってという時間でしたけども、あれだけ必死になる環境を与えてもらってすごく感謝していますし、なかなかあれだけ充実した時間というのはこれからもないのかなというぐらい充実していました。

Q.最も印象に残っている試合は

A.うーん。僕にとってはWBCの7試合、すべてですね。

最初の試合もすごく大事な試合だったし、例えば中国戦でもチェコ戦でも相手の選手たちの一生懸命な姿であったり、そういったものを感じながら、こっちも気がつくことあったりというところで、1試合1試合本当に意味があったので。
チェコ戦に登板した佐々木朗希投手と栗山監督
勝ち切った瞬間というのも大きいのかもしれないですけど、1試合1試合が生涯忘れられない試合かなと思います。

Q.代表選出、印象的なエピソードは

A.あまりコロナ禍ということがあって、選手とゆっくり話ができなかったので。

逆に僕のタイプって選手とコミュニケーションを取りながら前に進みたいタイプだったので、それがなかなかできなかったことの方が印象としては残っています。

一番印象深いのはどの選手と顔を合わせてもものすごくみんな「(ほかの)選手も来てくれますよね」という、選手の期待感というんですかね、そのことはすごく、言葉にしていないんですけど肌感として感じていましたし、一切それを僕が人前で口にすることはありませんでしたけど、僕自身もファンのみなさん、選手、そしてNPBのみなさんにも本当にお世話になりましたけど、僕に任せてもらって「監督、本当に最高のチームをお願いしますよ」という思いは感じていたので。
選手選考というよりも、選手がどういう形で集まって来てくれるのかっていうのは、正直プレッシャーもありましたし、そういう中ですべての選手が自分のことを捨てて日本野球のためにというふうに集まってくれた。それだけには本当に感謝しています。

Q.選出された若い選手への期待は

A.若い選手をあえて選んだという気持ちは全くなくて。一番強いチームというふうに思ってやったのが、ああいう若い力のある選手たちが日本にいっぱいいたということだと思いますし。

ただ、これから野球の伝道師たれというところのお願いはね、最後に選手たちにさせてもらいましたけれども、僕以上に選手たちがそれをわかっていて。しっかりやってくれるって思いますし。

若い分だけすごく長く楽しめるというのはありますけど、時間をかけながら選手たちが日本の野球というもののすばらしさをさらに伝えてくれると信じています。

Q.侍ジャパン、どうなってほしいか

A.もう本当に今回すべての選手がいろんな事情がありながらもね、個人的な理由はすべて差し置いて「それは関係ないんだ」と、「日本野球のために集結するんだ」という姿を選手が見せてくれたので。

これ以降はすべての野球人が自分の都合を忘れ、日本野球のために全員が力を尽くすという形になったと僕は信じているので。そういう日本野球をこれからも応援し続けたいと思います。

Q.子どもたちへメッセージを

A.やっぱりコロナ禍で、正直監督を引き受けた時にコロナがどういうふうに収まっていくのかってすごく心配もありましたし、そういうものが少しずつ緩和されていく中で大会があった。

そういう意味では多くの苦しんでいるみなさんに、笑いと元気がお届けできればと思いましたけど。

それが少しでもあるのであればうれしいですし、そして今回出てくれた、WBCのメンバーは細かく聞いていくと、ほぼほぼみんな小学校だったり中学校だったりする時にWBCの姿を見て、いつかあのユニフォームを着てというふうにみんなが思っていたと。
だから10年後ぐらいなんですかね、将来この侍ジャパンのユニフォームを着ている選手たちがほぼほぼ今回のWBCに刺激受けたという話をしてくれることを信じていますし。

逆に野球選手だけではなくて、野球のおもしろさだったり、野球のある意味であったり、大きく言えば改めて僕もスポーツの力の大きさというのは今回感じさせてもらったので。

そういったものが日本野球だけではなく、日本のスポーツ界にプラスになってくれるのであればすごくうれしいので、僕もこれからできるかぎりのことはしていきたいなと思います。

Q.監督が残した中で次につながるものは

A.僕がやったことで次に参考になることがあるのかないのかというのは、ちょっと自分でもわからないです。

ただ先ほど言ったように、選手たちがどこで野球をやっていても、いろいろな個人的な事情があっても、日本野球のために行くんだという形には今回なったというふうに信じているので。

その形というのは、これからずっとね、サムライという形で続いてくれると僕は信じています。

今回戦いながら実は思っていたのは、先輩方が作ってくれた本当にきめの細かい、きちっと野球をやり切る。例えばトレーニング方法だったり、練習方法だったり、技術だったり。

これはもともと世界に誇れるものだと僕は思っていましたけど、世界のいろんな技術や力があっても、そこに適応できるというか、そういうものが日本野球のよさだと思っているので。
結果論ですけど、最終的にアメリカでアメリカとやって、ホームランも含めて普通にぶつかり合えたという。

それがアメリカからすると「まだまだベストメンバーじゃない」と言われちゃうかもしれないですけど、あれだけのメンバーの中でね、普通にぶつかり合えた。

これは子どもたちに見ていてもらって、何か日本の誇れるものというか、日本に生まれてよかったとか思ってくれたんじゃないかなと勝手に思っているので。

そういう意味では先輩方が作ってくれたものがさらに今、日本野球も進化し始めているというのが、今回の形でありそれが日本野球のよさなのかなと思います。

Q.一番大変だったことは

A.あれだけの超一流のプレーヤーが集まる、選手たちに絶対けがをさせちゃいけない。

多少けがも試合中には起こりましたけど、各球団から選手をお借りして元気な姿でお返ししなければいけない。

その宝物を預かるということの大変さというかその責任というか、それがやっぱり一番自分の中で大きかったかなという。

とにかくこれだけの日本球界の宝をとにかく少しでもいい経験してもらって前に進んでもらいながら戦っていく。

それも勝たなければいけないというね。そういうところでいろいろ考えたつもりですけど。
ただ正直言うと今回のメンバーを含め、僕以上に選手たちの方が大人だし考えているし、一生懸命やってくれるしという。

本当にすべて選手に救われたというか、助けてもらった形だったのでね。日本野球すばらしいなと改めて思った感じがしたので。そんなところが難しかったかなとは思います。

Q.支えになったものは

A.支えになったものはやっぱり野球で言えば先人のことばだったりとか、三原さんのノートだったりってよく出てきますけど、そういうものも含め。

そして本当に監督って相談できるところがない場合がけっこうあるんですけど、そういう意味では先人のいろんな書物であったりことばだったりっていうのは相当参考になったので。

その先人のことばっていうのは歴史の積み重ねなので、すべてのデータの答えみたいなものだと捉えているので、それはすごく僕にとっては大きなものだったです。

Q.次の侍ジャパンの監督に望むことは

A.それは僕が言うようなことではなくて。たまたま監督をやらせてもらいましたけど、僕が次の監督にこうあってほしいとかそういうのは全然ないですし、日本にはたくさんすばらしい野球人がいらっしゃるので、それは本当に全くないです。

僕はただひたすら1年半弱、全力で走ってきたつもりだったので、それしか分からないですけど、ただ1つ思っているのは、さっきから言っていますけど選手たちがすべてのリスクを背負いながらこうやって日本野球に集まってくれるので、これからは指導者側というか、すべての人たちが自分のことではなく日本野球のために必ず集結するはずなので、すばらしいチームにさらにこれからなっていくはずなので、そこだけは信じています。

Q.なにを一番大事にして臨んだのか

A.正直、今回の大会というのは途中から完全なトーナメント方式になるというので、プロ野球の場合ってよく短期決戦と言いますけど、明らかにクライマックスとか日本シリーズとは違う戦いだと僕は捉えていたので、一発勝負にかけている高校野球の監督さんであるとか都市対抗の監督さんにお聞きしながら、なにが重要なのか再確認させてもらう、プラス、必要なことを教えてもらう。そういうふうなことを教えてもらってきました。

そのなかで僕が最終的にすごく大事だと思ったのは「遅れない」という。

当然野球ってどっちかって迷うシーンとかいっぱいあるんですけど、本当にフィフティーフィフティーで迷うんだったら先に手を打てということは、待ってて結果が悪い、動いて結果が悪い、いろいろありますけど、もちろん野球なので状況判断はありますけど、最終的に打てる手は打ち切ろうというのはすごく思ってたところではあるので、それがよかったかどうか。

もちろんそれでも待ってるケースはいっぱいあるんですけど、そこは自分に言い聞かせながら前に進んでたつもりです。

Q.今後の大きな目標は

A.はい。いつも人が発想しないような大きなものを勝手にイメージはしてます。恥ずかしくて言えないですけど、あります。

けど今からなにするかと考えても、ちょっとまだ整理がついてないというか、完全に自分の心の中に落ちきってない。

ただやりたいことは2つ3つあるので、そこの準備だけはしときたいとは思いますが、ただ僕年齢的にもそんな時間があるわけではないので、そこはちょっと焦りながらしっかりやっていきたいと思います。

Q.以前「好敵手」という曲を出されたが、一番のライバルは

A.いろいろ調べていただいてありがとうございます。その話はちょっとしゃべりにくいですね。そういう歴史もありました。

ただライバルというか僕はいつも見ているのは野球しか見ていないので、野球がライバルだし野球が最愛のものだし野球しか考えてないしという。

ですから判断基準として、すべていろいろなことをやるのも、良い経験としてなにか野球にプラスにならないのかなと思っているので、野球にだけ失礼のないように敬意を持ってというふうに思っているので。

ライバルと聞かれたら野球なのかもしれないなと思います。

Q.ともに戦った選手たちにメッセージを

A.いま各チームに戻って、選手たちが一生懸命野球をやってくれているのはすごく見ています。

この前西武の源田選手が現場に復帰して、僕もすごくうれしかったし、逆に言えばすごく迷惑かけたという、そういう思いもあるのでね。
源田壮亮選手(メキシコ戦)
違う意味でけがでちょっと抹消されたりとか、いろいろなことありますけれども、本当にあれだけの感動をというか、僕も一緒にやっていて感動したのでね。

だから、その選手たちがとにかくことしすばらしい成績を残してほしい「野球やっててよかったな」と思うようなシーズンにしてほしいとずっと思っていた部分があったので。

でも多くの選手がいるなかでいろいろあると思います。ただ、本当にありきたりですけども、たぶん彼らにこれから何度会っても「ありがとな」とたぶん言い続けるんだろうなと、そういうふうに思います。

僕も結果的に見たことない景色を選手たちに見せてもらって、ただ優勝したときなにが起こるのかという景色がなんだったのと聞かれても、まったくよくわからないですけど、なにか勝ちきる時ってそういうことなんだろうなと。

負けるときははっきりいろいろな要因が見えてくることあるんですけど「最後までそれがわからないのが幸せですよね」と選手たちに言ってもらったのかもしれないし、そういう意味では「ありがとな」と、それだけです。