イニエスタ ヴィッセル神戸を今夏退団へ 【会見内容 詳しく】

サッカーの元スペイン代表でJ1、ヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタ選手が記者会見し、7月1日のリーグ戦を最後にチームを退団することを明らかにしました。イニエスタ選手は「永遠の別れではない」と語りました。

そこに込めた思いとは。

※記事後半ではイニエスタ選手の記者会見での発言を詳しくお伝えしています。

「ここを去ることがベストだと決断した」

記者会見は、25日午後、神戸市内のホテルで行われ、チームメートやイニエスタ選手の家族も出席しました。
この中で、イニエスタ選手はヴィッセルと今シーズン終了まで契約が残る中、7月1日のリーグ戦を最後に退団することを明らかにしました。

その理由について「自身とクラブの歩む道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあると感じ始めた。その現実と、プレーし続けたいという自身の情熱と掛け合わせてクラブを去ることがベストだと決断した」と話しました。
そのうえでヴィッセルに在籍したおよそ5年間について「大きな喜びと誇りの感情が沸き上がってくる。素晴らしい仲間に囲まれ、人としても選手としても大きく成長することができた。様々な歴史を刻むとともに、苦しい時期もあったが、そういった経験がチームと仲間たちをより強くしてくれた」などと、時折、涙を流しながら話しました。
W杯 南アフリカ大会 優勝(2010年)
元スペイン代表で、今月、39歳になったイニエスタ選手は世界トップレベルの技術を持つミッドフィルダーで、スペイン代表としてワールドカップに4回出場し、2010年の南アフリカ大会では初優勝を経験しました。

2018年にスペイン1部リーグの強豪、バルセロナからヴィッセルに電撃移籍し、2020年の元日に決勝が行われた天皇杯で初のタイトルをもたらすなど、チームを躍進させました。
しかしチームが低迷した昨シーズン途中からイニエスタ選手に頼らない戦術をとるようになり、今シーズンは、出場機会が大きく減っていました。

また、イニエスタ選手は、移籍先について「自分もわからない」としたうえで「プレーしながら引退したいという気持ちが強い。そういった形で引退できる場所を見つけたい」と話しました。
イニエスタ選手は来月6日に国立競技場で行われる古巣のバルセロナとの親善試合や、7月1日にホームで行われるリーグ戦でファンに別れや感謝を伝えることにしています。

ヴィッセル 三木谷浩史会長「大きな財産になった」

イニエスタ選手とともに会見に出席したヴィッセルの三木谷浩史会長は「サッカー選手として、すばらしいだけではなく人柄を含めて多くの人に愛される選手が神戸に来て5年間もプレーしてくれたことはヴィッセルにとっても日本のサッカーにおいても大きな財産になったと思う。退団ということにはなるが今後もクラブとの関係は続き、有形無形の大きな貢献をしてくれるのではないかと期待している」と話しました。

《記者会見 詳しく》

退団を決めた理由は?

イニエスタ選手は、今回の退団について、人生で最も難しかった決断の1つと話しました。
(イニエスタ選手)
「もちろん1日、2日で決めたことではなく、ゆっくりと考えてきました。ずっと自分はヴィッセルで引退する姿を想像してきました。しかし、時に物事は希望や願望どおりにいかないものです。まだまだプレーを続け、ピッチで戦い続けたいという思いがあります。この数か月間も激しいトレーニングを重ね、プレーでチームに貢献する準備はできているという感覚でやってきました。しかし、自身とクラブの歩む道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあると感じ始めました。ただ、現実であり、リスペクトを持って受け入れました。最終的にはその現実と、プレーし続けることに感じている情熱をかけ合わせた結果、ここを去ることがベストの決断だということをクラブとの話し合いの中で決めました。決して簡単な決断ではなく、自分のプロ人生の中でも最も難しかった決断の1つです」

人としても選手としても

イニエスタ選手は、ヴィッセルに在籍した5年間に、天皇杯で優勝してクラブ初のタイトルをもたらすなど、その貢献は計り知れません。イニエスタ選手にとっても、かけがえのない時間でした。
(イニエスタ選手)
「多くの素晴らしい仲間に囲まれ、人としても選手としても大きく成長することができました。サッカーだけにとどまらず、この素晴らしい国の文化を体感し、味わうこともできました。自分の家族を温かく歓迎してくれたこの国に対して、今では特別な感情を抱いています。5年間を振り返ってみると、いい時もあれば苦しい時もありました。自分が神戸に来た時に、目標として掲げていたタイトルの獲得だったり、ACL(=アジアチャンピオンズリーグ)への2度の出場だったり、様々な歴史を刻んできました。1つだけ選ぶのはすごく難しいですが、あえてあげるならば初めて天皇杯で優勝したことです。クラブにとってすごく特別なことでした。それ以外にもヴィッセルでのデビュー戦や初ゴール。どれも特別な思い出として残っています。苦しかった時期やケガ、成績が振るわなかったことも、苦い思い出として残りつつも、自分をよりよい人間に成長させてくれたと思いますし、その課程、プロセスすべてが思い出です。この素晴らしいリーグで5年間プレーできたことはかけがえのない経験でした」

Jリーグの成長も願って

自身がプレーするなかで、Jリーグの成長も肌で感じていました。どんどんいいリーグになっていくと期待しています。
(イニエスタ選手)
「ものすごく競争力のあるリーグですし、どんどん成長してる。5年、10年前のJリーグと今を比べてもすごくレベル上がっていると思いますし、技術的にレベルの高い選手がそろっていると思います。引き続き、海外から来る選手も日本選手から学ぶことはたくさんありますし、この道を歩み続けていけば、どんどんいいリーグになっていくと思います。世界的に見ても魅力的で、競争力があって、自分がいい意味で驚かされた経験を持っているので、ここに来たいと思う選手も増えていくんではないでしょうか。今後も成長を続けて、世界のサッカーリーグについて考えるときに頭に浮かぶリーグのひとつになってくれたらと思います」

チームメート、サポーターの存在

そして、チームメートやサポーターへの思いを語るときには、時折ことばをつまらせ、涙を流す場面もありました。
(イニエスタ選手)
「ヴィッセルのキャプテンとして常にピッチの内外で模範となり、クラブをあらゆる面からサポートするよう努めてきました。チームメイトやスタッフは、いつもリスペクトを持って自分をサポートしてくれました。自分の人生の一幕をみなさんと一緒に過ごせたことは誇りです。自分がここに来た時に目標としていた、より大きなチームにする、チームを成長させるということをみんなで達成できたというふうに思っています。自分が訪れた各地のスタジアムで応援をしてくれた日本中のファン、愛情とリスペクトを持って接してくれた地元神戸のサポーター、自分がここに来た日からあらゆる場所に応援に駆けつけて、サポートしてくださり本当にありがとうございました。もう感謝のことばしかないです。いい時も悪い時も愛情を無条件に示してくれましたし、彼らの力がなければ難しい局面というのは乗り越えられなかったですし。同時に今まで経験できなかったタイトルを獲得し、何かを勝ち取る喜びをサポーターのみなさんと共有できたのは自分にとっては誇りですし、感謝の気持ちでいっぱいです」

“サッカー選手であり続ける”

今後の移籍先については、あるこだわりをみせています。サッカー選手としてピッチに立ち続けることです。
(イニエスタ選手)
「まず、ヴィッセルでの時間をしっかりと全うして、どんな可能性が出てくるか、いつ扉が開かれるかを見ていきたいと思っています。ただ、自分としては、サッカーを続けたい。サッカー選手としてプレーしながら引退したいという気持ちが強いのです。今、ここではそれが難しい状況という中で、そういった形で引退できる場所を見つけたい。そういう努力をしたいと思っています」

“ラストメッセージ”は2つのイベントで

イニエスタ選手は、6月6日に行われるヴィッセルと古巣バルセロナの親善試合と7月1日のリーグ戦でファンに感謝と別れをつげます。
(イニエスタ選手)
「このクラブを去る前に、大事な2つのイベントが残っています。1つは6月6日で、自分がヴィッセルで初めてタイトルを獲得した国立競技場で古巣のバルセロナと対戦します。多くのことを与えてくださったみなさんに感謝を伝えるこれ以上の機会はないと思います。この素晴らしく特別な日を国中のみなさんと楽しむことができたらうれしいです。2つ目は、7月1日です。ホームのノエビアスタジアムで最後のお別れを告げる日になります」

“日本と永遠の別れではない”

そのうえで強調したのは、この退団が永遠の別れではないことです。イニエスタ選手にとって、日本は特別な国です。

(イニエスタ選手)
「これは永遠の別れではありません。ヴィッセルとの関係はこれからも続きますし、今後は違った角度から、このヴィッセルをサポートしていければと思っています。この素晴らしい国との関係性も大事にしていきますし、定期的に訪れたいとも思っています。イニエスタアカデミーなどのように、情熱をまだまだ注いでいきたいプロジェクトがここに残っています。そして最善の形で日本サッカー界に貢献し続けることができるように今後も努めていきます」

《イニエスタ 日本での足跡》

イニエスタとは

アンドレス・イニエスタ選手はスペイン出身の39歳。
身長1メートル71センチとサッカー選手としては小柄ながらドリブルやパスワークなどで卓越した技術を持ち、状況判断にも優れた世界屈指のミッドフィルダーです。

2018年までスペイン1部リーグの強豪、バルセロナの主力として活躍し、リーグ優勝9回、ヨーロッパチャンピオンズリーグで優勝4回など多くのタイトル獲得に貢献しました。
W杯 南アフリカ大会 優勝(2010年)
スペイン代表でもワールドカップに2006年のドイツ大会から4大会連続で出場し2010年、南アフリカ大会の決勝では延長戦の後半にみずからゴールを決めてチームを初優勝に導きました。
バルセロナを退団した2018年に、J1のヴィッセル神戸に電撃移籍しました。

スペイン時代から変わらぬ高い技術で日本のファンの心をつかみ、2020年の元日に決勝が行われた天皇杯で優勝してヴィッセルに初めてのタイトルをもたらしました。
天皇杯 優勝(2020年 元日)
また、ヴィッセルでアジアの頂点に立つことを目標に掲げ、天皇杯に優勝して出場権を得たACL=アジアチャンピオンズリーグでは足に違和感がありながら試合に出場しベストフォーの成績を残しましたが、右太ももの大けがという大きな代償を払うことになりました。

その後、リハビリを経て復活したイニエスタ選手は、2021年にJリーグで自己最多に並ぶ6得点をあげ、チームをJ1で過去最高となる3位に押し上げました。
しかし、昨シーズンは、チームが低迷による相次ぐ監督交代のすえ、イニエスタ選手に頼らない戦術をとるようになり、今シーズンは、開幕から首位を走る好調なチームの中でレギュラーから外れて出場機会が大きく減りました。

5月11日に39歳になったイニエスタ選手は、およそ5年在籍したヴィッセルを退団し新たな活躍の場を求める決断をしました。

J1では、113試合に出場し21得点の成績を残しています。

ヴィッセル在籍で大きな効果

ヴィッセルに、およそ5年間在籍したイニエスタ選手は、自身のプレーによるチームの躍進だけでなく、さまざまな面で、大きな効果をもたらしました。
ヴィッセル神戸に電撃加入(2018年)
イニエスタ選手が来日した2018年、その姿を見たいとヴィッセルのホームゲームの入場者数が前の年より大きく増えました。よくとしの2019年を含め、およそ5万人多い年間36万人余りが来場しました。

これにともない、入場料や広告などのスポンサー収入を柱とするヴィッセルの営業収益も大きく跳ね上がりました。2019年には、114億円余りとなり、Jリーグのクラブで初めて年間100億円を突破しました。

こうしたイニエスタ選手の営業面での効果はヴィッセルだけにとどまらず、アウェーの試合でもイニエスタ選手目当ての来場者が増えました。J1全体でも2019年に過去最高の入場者数となる、およそ640万人を記録、営業収益も過去最高となりました。
《ヴィッセル ホーム試合年間入場者数》
▽2017年:31万0625人
▽2018年:36万7716人
▽2019年:36万5349人

《ヴィッセル 営業収益》
▽2017年:52億3700万円
▽2018年:96億6600万円(Jリーグ最高)
▽2019年:114億4000万円(Jリーグ最高更新)
※2020年以降は新型コロナの感染対策で入場制限実施。

日本でのサッカー普及にも尽力

日本でのサッカーの普及にも力を尽くしてきました。

来日2年目の2019年にサッカースクールを立ち上げ、神戸や大阪で展開。みずからの経験を伝えることで日本サッカーの将来を担う人材を育てることを目指し、信頼するコーチをスペインから呼び寄せるとともにイニエスタ選手自身も定期的に指導にあたってきました。

さらに世界的なスーパースターでありながら気さくな性格で、地元、神戸の人たちに身近な存在として親しまれてきました。

2021年は、神戸を拠点に、右太ももの大けがからのリハビリに取り組み、六甲山でのトレーニング中にはファンからの声かけに笑顔で応じる姿がありました。

飛躍を遂げた古橋亨梧(セルティック)

イニエスタ選手とともにプレーしたことで大きな飛躍を遂げた選手も現れました。
現在、スコットランドリーグの強豪、セルティックでプレーする古橋亨梧選手です。

古橋選手は大学卒業後、J2のクラブからプロのキャリアをスタートさせましたが、2018年にヴィッセルに移籍するとイニエスタ選手と絶妙のコンビネーションを発揮し2019年から3年連続でふた桁得点をマークしてJリーグを代表するストライカーへと成長しました。

その後、海外移籍を果たした古橋選手は、今シーズン、リーグ戦で25得点をあげスコットランドリーグで得点ランキングトップに立っています。

古橋選手はヴィッセル在籍当時、イニエスタ選手から「自分がボールを持ったら迷わず相手のディフェンスの裏へ走り出せ」と指導を受けたと話しています。古橋選手がその才能を開花させるうえで、イニエスタ選手は欠かせない存在だったと言えます。

古橋亨梧「互いに頑張れたら」

古橋選手はイニエスタ選手の退団発表を受けて、NHKの取材にクラブを通じて応じ、「イニエスタ選手と出会っていなかったらどんなサッカー人生になっていたか。一緒にプレーした数年は大きかった。本当に自分の良さをたくさん伸ばしてもらった」と感謝の気持ちを話しました。

そのうえで、「本当に1人の人間としてイニエスタ選手が大好きで、1日でも長くイニエスタ選手らしくサッカーを続けて欲しいと思う。僕は僕で違う場所で1つでも多くゴールを取って自分の名前がとどろくように頑張るので、互いに頑張れたら」とエールを送りました。

地元 神戸では惜しむ声

神戸市中央区の繁華街にあるヴィッセル神戸の公式グッズショップではチームに所属する選手のレプリカユニフォームやタオルマフラーなどを取り扱っています。
店の入り口付近に設けられたイニエスタ選手のコーナーには公式グッズのほかにサイン入りのユニフォームが飾られていて店を訪れた人が写真を撮ったり商品を購入したりしていました。

イニエスタ選手のタオルマフラーを購入した神戸市の40代の男性は「退団のニュースを見てお店に来ました。イニエスタ選手は日本のサッカーを変えてくれた人で、退団が決まって悲しいです。きょう買ったグッズを持ってイニエスタ選手のヴィッセル神戸での最後の試合を応援しに行きたいです」と話していました。
イニエスタ選手がヴィッセル神戸を退団することについて地元からは残念だという声が聞かれました。

このうち、神戸市の40代の女性は「イニエスタ選手は、ずっと神戸にいてくれると思っていたので寂しいです。サッカー選手だとプレーしたいと思うのは当然で応援するべきだと思います。神戸に来てくれてありがとうと伝えたいです」と話していました。

60代の男性は「イニエスタ選手のプレーが神戸で見られなくなるので残念です。現役を引退したらまた神戸に帰ってきて次の若い世代を育ててもらいたいです」と話していました。