大阪マルビル 思い出を忘れないで

大阪マルビル 思い出を忘れないで
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大阪駅に近い、丸い形が特徴のビル。
大阪・梅田のランドマークとして親しまれてきた「大阪マルビル」です。

建て替えが決まっていて、中に入る老舗ホテルが先月、半世紀近い歴史に幕を下ろしました。

今の姿が見られるのは残りわずか。皆さんはマルビルにどんな思い出がありますか?

忘れられない、忘れたくない思い出はありますか?

(大阪放送局 映像取材 塩見大輔)

ディスコ、電光掲示板、そしてホテル

昭和51年に開業した「大阪マルビル」
地上31階で、高さは120メートル。
ホテルやレストラン、そしてディスコブームの火付け役だった「マハラジャ」などがテナントとして入っていました。

ビルの屋上には全国で初めて電光掲示板が設置され、有料でメッセージを表示するサービスも行っていました。中にはプロポーズのことばを表示するカップルもいました。

NHKも大きなニュースやイベントがあると、電光掲示板を取材してきました。
時代が平成に変わったばかりの、平成元年2月3日には、4時56分に合わせ、数字が「123456」と並んだ電光掲示板の映像が残っています。

ホテルの営業最終日はほぼ満室に

そんなマルビルの開業から営業を続けてきたのが、大阪第一ホテルです。

ビルの10階から29階が客室になっていて、結婚式場や宴会場もあり、多くの人に親しまれてきました。

「あすで当館は閉館となりますので」。
ホテルの閉館を翌日に控えた3月30日、全部で460ある客室は、ほぼ満室でした。
東京から出張で訪れた会社員
「駅から近いので大阪出張の際はこのホテルを利用していました。なくなってしまうのはもったいないです」
山形からの観光客
「宿泊するのは5、6回目ぐらいです。寂しいですよね、私たちからしたら、マルビルはシンボルマーク的な感じもするので」

結婚式以来40年ぶりにホテルに

この日、特別な思いで、ホテルにやってきた夫婦がいます。
大阪 吹田市に住む岡村秀和さんと妻の栄子さんです。
40年前にこのホテルで結婚式を挙げましたが、閉館することを知って40年ぶりにホテルを訪れました。
岡村栄子さん
「いっぱいビル建っちゃたね。40年たったら、いろいろ変わっちゃうわね」
岡村さん夫婦は職場で出会い、すぐにひかれ合って結婚を決めました。
その後、3人の子供を授かり、にぎやかな家庭を築きました。

失われた記憶

しかし、16年前、状況が一変します。

夫の秀和さんが、突然、自宅で意識を失ったのです。
救急搬送された病院でくも膜下出血と診断され、緊急手術を受けました。

栄子さんは医師から、秀和さんの意識が二度と戻らないことも覚悟してほしいと告げられたといいます。
幸い手術は成功し、手術の1週間後に秀和さんの意識は戻りました。
しかし、秀和さんの脳には障害が残り、過去の記憶はほとんど失われていました。
栄子さん
「退院してきたときは、記憶が一切残ってなくて、会話が成り立ちませんでした。例えば飛行機を見て頭で飛行機と分かっていても、これはスリッパって言ってしまう。そういう状態でした」

壁一面には思い出の写真

岡村さんの自宅には、壁一面に写真が飾られています。

秀和さんに家族と過ごした記憶を思い出してほしいと考え、家族旅行や結婚式の時の写真などを見せながら、当時のことを話し続けています。
栄子さん
「写真を見ながら、どこどこに行きましたねって。何か、主人にとっていい思い出が、記憶がよみがえったらいいかなと」

40年ぶりの披露宴

思い出のホテルが閉館すると知り、宿泊することにした栄子さん。
どうしても訪れたかったのが結婚披露宴を行った会場です。
栄子さん
「いや、懐かしい」
秀和さんに当時のことを思い出してほしい。
栄子さんの気持ちをくんだホテル側が、2人のために食器などを並べてくれました。
栄子さん
「あなたの友達が上手に司会をして下さって。両サイドに部長と奥さんが座って」
栄子さんが、当時のことについて秀和さんに話していると、ホテルのスタッフから声をかけられました。

「ご入場とかされますか」

披露宴の時のように2人で入場してみてはどうかという提案でした。
栄子さん
「やってみますか。もう一回、結婚式挙げなおそうか」
いよいよ、入場の時。ファンファーレが鳴り、ドアが開きます。
40年ぶりにスポットライトを浴びながら、2人は“新郎新婦”として会場を歩きました。

入場を終えた秀和さんは、満面の笑みを浮かべていました。
秀和さん
「ここから家庭というものがスタートしましたからね」
秀和さんは、当時の記憶を思い出しているようでした。

ここからまた新たな記憶を

ホテルが閉館する3月31日。
チェックアウトを前に、岡村さんの家族が集まりました。
3人の孫や子どもたちと一緒に写真を撮った岡村さん夫妻。

この場所からまた新たな記憶を紡いでいきたいと考えています。
栄子さん
「主人の頭の中には記憶が消えてしまうことも多いんですけどね。お互いを尊敬し合いながら、相手のマイナス面をお互いがプラス面に変えていけたら、いいんじゃないですかね」

皆さんから寄せられたマルビルの思い出

今回の放送に合わせてマルビルの思い出を募ったところ、80件を超える思い出が寄せられました。

岡村さんと同じようにマルビルで結婚式を挙げたという人からのメッセージも相次ぎました。
30代男性
「マルビルで結婚式をしました。私たち夫婦にとって一生の思い出です」

60代女性
「37年前に結婚式を挙げました。梅田に行きビルを見上げるたび、懐かしく思い出していたのですが、解体して建て替えと聞き、とても残念です。でもお疲れ様でした、とマルビルに伝えたいです。思い出をたくさんありがとう、マルビル」

40代女性
「チャペルで結婚式をしました。梅田とは思えないくらい緑に囲まれていて、親族や友人に祝福してもらってとても幸せな気持ちになったことを覚えています」
マルビルの丸く目立つ形や、ニュースが流れる電光掲示板は、梅田を訪れたり周辺で暮らしたりする人たちにとってとても印象的な光景だったといいます。
50代女性
「通っていた保育園の屋上から遠く向こうにマルビルが見えました。他の建物とは明らかに違う形で、幼いながらも『ホンマにマルビルや』と感動したのを覚えています」

50代女性
「これぞ梅田というビル。梅田の道案内のポイントはマルビルから見てどのあたりかでした。関西に来たばかりの人には冗談で『マルビルの角で待ち合わせやで!』と言っていたそうです。会われへんわ~(笑)」

50代男性
「梅田の専門学校に通っていた頃、帰りのホームから電光掲示板が見えて、明日の天気とかニュース、時には誰かのプロポーズの言葉が流れていて、なんだかニヤニヤしてた思い出ですね。電光掲示板復活してほしいですね。新しいビルにも」
まもなく解体されるマルビル。建て替え後の新しいビルも、再び丸い形のビルがいいなという意見も多く寄せられました。
50代女性
「梅田に行くとき帰るとき、いつもマルビルが見えていました。あって当然と思っていたものがなくなるのは寂しいです。新しいビルは新しいデザインになるのは当然ですが、今の面影を残した丸っぽい印象のビルになるといいな」

30代女性
「寂しくなります。落ち着くフォルムと色で、なんだかとても好きでした。建つなら、また丸いビルがいいな」
今の大阪マルビルがみられるのは、残りわずかです。

皆さんのマルビルの思い出、引き続きしあわせニュースの投稿フォームからお寄せください。
大阪放送局 カメラマン
塩見大輔
学生時代に見た「新日本探訪・都会の空のラブレター」(1993年放送)でマルビルを知りました
大阪放送局 ディレクター
藤本将太
マルビルの地下で45年近く営業してきた老舗インド料理店の大ファンです