在日韓国人被爆者 日韓首脳そろって慰霊碑に祈りに感謝と期待

岸田総理大臣と韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領がそろって、平和公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に祈りをささげたことについて、同席した在日韓国人被爆者らが広島市で記者会見を開きました。

このうち、広島市西区の在日韓国人被爆者、朴南珠(パク・ナムジュ)さん(90)は「感謝と感激の気持ちでいっぱいになり、長生きしてよかったと思いました。私たち韓国と日本は、もっともっと親密にしていかないといけないと思います」と語りました。

また、「韓国原爆被害者対策特別委員会」の委員長を務める被爆2世のクォン・ジュノ(権俊五)さん(73)は「日韓の首脳と夫人が4人そろって、われわれの慰霊碑に祈りをささげたことは、核兵器のない世界に向けた一里塚、第一歩と考えています。韓国国内では、核兵器を保持するべきだという世論もありますが、大統領には、これは間違っているんだとお考えいただき、核のない世界に向けて尽力してもらいたいです」と今後への期待を語りました。

朴南珠さん 13歳の時に路面電車の中で被爆

朴南珠さんは、13歳の時に爆心地から1.9キロの地点を走る路面電車の中で被爆しました。

自宅は倒壊しましたが、在日韓国人である朴さん一家は日本に身寄りがなく、原爆投下後も広島にとどまってバラックで生活することを余儀なくされました。

父親は、母方の伯父を探しに爆心地の付近に入ったことから、たびたび吐血して働くことも難しくなったといいます。

あまりにつらい体験に、朴さんは半世紀にわたって当時の記憶を呼び起こさないようにしてきましたが、広島市の平和公園で小学生に話しかけられ、みずからの体験を語ったことをきっかけに証言活動を始めました。

クリスチャンである朴さんは、2019年に広島を訪問したローマ教皇と対面し、直接ことばを交わしました。

韓国人原爆被害者対策特別委員会とは

韓国人原爆被害者対策特別委員会は、広島で被爆した韓国人被爆者らが中心となって1963年に前身の組織が設けられました。

韓国に帰国した被爆者の実態調査や、被爆者が多く住む韓国南部のハプチョンに診療所を開くなどの支援活動を続けてきました。

また、被爆者の委員が中心となって、日本や韓国などの市民に自身の被爆体験を語る証言活動にも取り組んできました。

広島原爆の日に行われる総理大臣と被爆者団体の代表者の面会にも毎年参加し、日本政府に対して、在韓被爆者の援護などを直接、要望してきました。

「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」とは

韓国人原爆犠牲者慰霊碑は、韓国人被爆者の提唱によって1970年、広島市の平和公園の対岸に建てられました。

その後、平和公園の敷地内への移設を求める声が高まり、1999年、平和公園の中に移されました。

高さ5メートルの慰霊碑は、亀の形をした台座の上に柱があり、日本の統治下にあった朝鮮半島から日本に渡って広島で被爆した人たちの慰霊と、原爆の惨事を繰り返さないという願いが込められています。

毎年、原爆の日の前日に、民団=在日本大韓民国民団 広島県地方本部が慰霊祭を開いて、犠牲者に黙とうをささげています。

広島では2万人余りの韓国人が原爆で犠牲になったとされていますが、詳しい人数は今も明らかになっていません。