G7広島サミット 各国首脳ら原爆資料館を訪問 そろっては初めて

岸田総理大臣をはじめ、G7各国の首脳らが広島市の原爆資料館を訪れ、館内を視察しました。G7の首脳がそろって原爆資料館を訪問したのは初めてです。

G7広島サミットは、午前10時半ごろに議長を務める岸田総理大臣が裕子夫人とともに、広島市の平和公園で各国の首脳らを出迎えて開幕しました。

このあと首脳らは、原爆資料館を訪れ、岸田総理大臣が展示内容を説明しながらおよそ40分間視察しました。

また、館内では、広島市在住の被爆者でみずからの体験を英語で世界に発信してきた小倉桂子さんとの面会も行われました。

原爆資料館には、7年前に日本で「G7伊勢志摩サミット」が開かれた際、当時のアメリカのオバマ大統領が訪れましたが、G7の首脳がそろって訪問したのは初めてです。

続いて、首脳らは原爆慰霊碑まで歩いて移動し、一列に並んで花を手向けたあと、写真撮影を行いました。
そして、300メートルほど離れたところにある原爆ドームなどについて、広島市の松井市長から説明を受け、平和公園内で記念の植樹を行いました。

サミットの開催にあたり、岸田総理大臣はロシアがウクライナ侵攻をめぐって核の威嚇を行っていることも踏まえ、核兵器による惨禍を二度と起こさないため、被爆地の広島から国際社会に強いメッセージを発信したいという意向を示してきました。

岸田総理大臣としては、G7の首脳に原爆資料館で被爆の実相に触れてもらうことで、核軍縮や核廃絶に向けた機運を高めたい考えです。

芳名帳に記帳 バイデン大統領 核廃絶への思い表明

G7各国の首脳らは原爆資料館を訪れ、芳名録に記帳しましたが、日本政府はその内容を公表しました。

このうち、アメリカのバイデン大統領は「この資料館で語られる物語が、 平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、ともに進んでいきましょう。信念を貫きましょう!」と記帳したということです。

バイデン大統領は、「核のない世界」を掲げたオバマ元大統領の理念を継承していて、核廃絶に向けたみずからの思いを表明した形です。

ノーベル賞受賞のICANのトップ「結果に反映を」

核兵器禁止条約の成立に貢献し、2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンのトップ、ダニエル・ホグスタ氏はG7広島サミットの取材拠点で流れた映像で各国の首脳らが原爆慰霊碑に花を手向ける様子を見守りました。

そのあと、ホグスタ氏はNHKの取材に対し「各国の首脳らが慰霊碑などを訪れたことはよかったと思う。私が本当に望むのは、こうして時間を割いたこと、被爆者の声を聞いたことが、G7サミットの結果に反映されることだ」と述べました。

その上で「ロシアがウクライナへの侵攻を続け、核戦力で威嚇している中、G7各国の首脳にリーダーシップを見せてもらいたい。ただ広島に来て『核なき世界』をあいまいなことばで語ってはいけない。被爆者はことばを聞きたいわけではない。核廃絶に向けた具体的な行動をみたいのだ」と述べました。

資料館で各国首脳が被爆者 小倉桂子さんと対話

原爆資料館の中での様子は非公開となりましたが、外務省によりますと、岸田総理大臣が展示の内容を説明し、各国の首脳は広島市在住の被爆者、小倉桂子さんと対話したということです。

小倉さんは85歳。

8歳の時、爆心地から2.4キロ離れた自宅近くで被爆しました。

原爆資料館の館長を務めた夫・馨さんの遺志を継ごうと、通訳者のグループを立ち上げ、平和公園を訪れる外国人向けのガイドなどの活動を行うとともに、みずからの被爆体験を英語で世界に向けて発信してきました。

外務省によりますと、各国首脳と面会した被爆者は小倉さん1人だったということです。

平和公園での一連の行事について外務省は「被爆の実相への理解を深めてもらいながら、G7首脳が慰霊の心をあわせ、ロシアによる核の威嚇は断じて受け入れられず、ましてやその使用は許されないとのG7首脳の立場を改めて表明することができ、『核兵器のない世界』の実現に向けたG7としてのコミットメントを確認する機会となった」とするコメントを出しました。

森下弘さん 「核兵器廃絶宣言を」

14歳の時に爆心地からおよそ1.5キロの地点で被爆し顔や体に大やけどを負った森下弘さんは、19日各国首脳が平和公園を訪れ、原爆資料館を訪問したことを広島市佐伯区の自宅からテレビで見守りました。

森下さんは各国首脳の訪問について「ウクライナへの軍事侵攻が起こったり、核廃絶への議論が停滞したりする中、資料館の展示を見ることでこの悲惨な出来事は広島と長崎であっただけでなく今後、自分たちにも起こりうることだと考えて欲しい」と話していました。

その上で「サミットの最後には核兵器の廃絶を宣言して、世界中に核兵器に対する姿勢をアピールしてほしい」と話していました。

被爆者にとっての原爆資料館

原爆資料館は原爆被害の実態を伝えるための場所です。

被爆者が自身の体験を証言する「被爆体験講話」も行われており、被爆の記憶を継承する場としても活用されています。

被爆者たちは、核兵器のない世界を実現するためには核保有国の首脳などに被爆の実相に向き合ってもらうことが必要だとして、資料館への訪問を繰り返し求めてきました。

館内では、被爆者が直接、原爆の惨状を伝えるとみられます。

今回、各国首脳による原爆資料館の視察が実現したことについて、被爆者からは「時間をかけて見てもらい、原爆が投下されたことで何が起きたのかを受け止めてほしい」といった声が聞かれました。

原爆慰霊碑とは

原爆慰霊碑は、人類史上初めて使われた原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを願って終戦から7年後の昭和27年に平和公園の中に設置されました。

北側の原爆ドームと南側にある原爆資料館を結ぶ線上に位置していて、原爆犠牲者の霊を雨露から守る意味を込めて原爆死没者名簿が納められた石棺がアーチ状の屋根に覆われるデザインになっています。

石棺の正面には、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれています。

石棺の中の石室には、広島で被爆して去年8月5日までに亡くなった33万3907人の名前が記された名簿と、いまだ名前が分からない人たちのために「氏名不詳者多数」と書かれた名簿、さらに長崎で被爆して亡くなり遺族などが記載を希望した人たちの名簿、あわせて124冊が納められています。

名簿には、2016年のアメリカのオバマ元大統領の広島訪問に立ち会い、2020年に亡くなった岩佐幹三さんや、おととし亡くなった坪井直さんなど、これまで被爆者運動の中心を担ってきた被爆者の名前も記されています。

原爆ドームとは

原爆ドームは、原爆が投下された爆心地からおよそ160メートルの至近距離にあったレンガ造りの建物です。

爆風と熱線で大破し、頂上の鉄骨の形から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。

核兵器の恐ろしさを伝える被爆地・ヒロシマのシンボルとして広島市議会が昭和41年に保存を求める決議を行いました。

決議では「ドームを後世に残すことは、原爆でなくなられた20数万の霊にたいしても世界の平和をねがう人々にたいしても、われわれが果たさねばならぬ義務の一つである」としていて、保存のための工事が繰り返し行われています。

ユネスコの世界遺産にも登録され、国内外から多くの旅行者らが訪れていて、被爆者の中には原爆ドームの周辺で学生や旅行者に自身の体験を語る人もいます。

原爆による広島の被害は?

広島市に原子爆弾が投下されたのは78年前の1945年8月6日です。

アメリカ軍の爆撃機から投下された原爆は上空600メートルで爆発し、爆風や熱線によって爆心地から半径2キロ以内にあるほとんどの建物が破壊されました。

熱線と爆風、それに放射線によってその年だけで当時の人口の4割ほどにあたるおよそ14万人が犠牲になったと推計されています。

さらに、放射線によってその後、白血病やがんなどの病気になった被爆者もいて、影響は今も続いています。

被爆者の現状と活動内容

原爆投下から78年たちますが、この間、被爆者たちは一貫して核兵器の廃絶を訴えてきました。

1954年に日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくしたことをきっかけに日本で原水爆禁止運動が高まり、その2年後、被爆者の全国組織として日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が結成されました。

日本被団協は、原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外に代表を派遣し、1982年には代表委員の山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。

14歳の時に長崎で被爆した山口さんは、やけどを負ったみずからの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマノーモア ナガサキノーモア ウォーノーモア ヒバクシャ」と訴え核兵器の廃絶を迫りました。

その後も、日本被団協は、国連や世界各地で原爆の写真展を開くなど地道な活動を続け、「ヒバクシャ」は世界に通じる言葉となりました。

また、核兵器廃絶に向けた国際的な取り組みにも関わり、2017年に採択された核兵器禁止条約の交渉会議では、およそ300万人分の署名を集めて目録を提出し、条約の採択を後押ししました。

近年は被爆者の高齢化が進む中、被爆体験を伝える催しの中止や縮小を余儀なくされていましたが、オンラインを活用して被爆者の証言を伝える取り組みを進めています。

去年8月に開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議でも被爆者がスピーチを行うなど、核兵器の恐ろしさや悲惨さを証言し、核廃絶の必要性を世界に訴え続けています。