卓球 石川佳純 引退会見【詳しく】「自分自身 やりきった」

オリンピックに3大会連続で出場して銀メダル2つ銅メダル1つを獲得し、今月、現役引退を発表した卓球の石川佳純選手が18日、記者会見を開き「自分自身、やりきったと思えた。卓球に必死で夢中になった競技生活23年間だった」と話しました。

※記事後半では記者会見の様子を詳しくお伝えしています。

石川選手は18日午後2時すぎから東京都内で、およそ200人の報道陣や関係者を前に記者会見を行いました。

石川選手は冒頭「引退を決意した理由は自分自身、やりきったと思えたから。きょうはとても晴れやかな気持ち」と話したうえで「うれしいときは一緒に喜んでくれ、苦しいときは寄り添ってくれたすばらしいファンに恵まれた。何を返せたかは分からないがコートに立ったときは全力でプレーをすることを大切にしてきた」と時折、涙をこらえながら話しました。
引退を決めた経緯については「ことし3月のシンガポールの大会が終わった段階で、そのあとの2つの大会で最後にしようという決意を固めた。オリンピックに3回出場できたこと、世界のトップランカーと戦えたことは自分自身誇りに思うし、小学校の時に夢だったオリンピックのメダルが目の前の目標になってきて、クリアしていくことを卓球を通して学んだ」と話しました。

そして、7歳で始めた卓球について「本当に大きく成長させていただいたと思うし必死で夢中になった23年間だった。『頑張って努力をした結果、いい成績が出る』ということばがあるが、なかなかそう思えないこともあって、頑張っても結果が出なかった時、そこからがスタートなのかなと思ったこともあった。続けることの大切さ『何回でもチャレンジ』ということばに励まされたし、大切なのはそこかなと思って活動してきた」と話しました。
ロンドン五輪(2012年)
また、3大会連続で出場し、メダルを獲得したオリンピックについて「ロンドン大会は卓球界で初めて獲得することができた女子団体の銀メダルが印象に残っている。リオデジャネイロ大会は悔しい思い出のほうが多くシングルスは1回戦で負けてしまったが、最終的に団体で銅メダルを獲得することができた。東京大会では、団体で金メダルを目指してチーム一丸となって戦ったことが思い出深い」と話しました。

現役最後の試合となった先月の国際大会で、東京オリンピックの女子シングルスの金メダリスト、中国の陳夢選手に敗れた試合については「試合直前にファンに引退を伝えようと思ったが、最後まで全力で戦う姿を見てほしくて言えなかった。終わった後は、涙が出るかと思ったが、うれしい気持ちが多く、やりきれたなと思えた」と振り返りました。

今後については、卓球の魅力を伝えるため子どもたちへの指導などを行っていく考えを明かしつつ「これまでは練習の時間がほとんどで勉強する機会がなかったので勉強をしてみたい。スポーツに関わる分野のほか、人に何かを伝えることは難しいと感じているので、それを学ぶことで成長できると思っている」と話していました。
会見のあと石川選手はラケットやボールを手に笑顔で記念撮影に応じ、23年間の現役生活に別れを告げました。

《会見 詳細》

14:00すぎ 引退会見始まる

オリンピックの卓球、女子団体で3つのメダルを獲得した石川佳純選手の引退会見が都内で午後2時すぎから始まりました。あいさつをしたあと、報道陣からの質疑応答に応じ引退を決意した思いなどについて語ります。

「引退決意の理由は自分自身やりきったと思えたから」

石川選手は会見の冒頭「引退を発表してからおよそ2週間、改めてたくさんの方に支えてもらっていたんだなと実感しています。引退を決意した理由は自分自身やり切ったと思えたからです。きょうは、とても晴れやかな気持ちです。笑顔できょうを迎えられることを嬉しく思っています」とあいさつしました。

「すばらしいファンに恵まれたことは幸せ」

ファンに向けて「うれしいときは一緒に喜んでくれ、苦しいときは寄り添ってくれた、すばらしいファンに恵まれたことは幸せなことだと思っています。何を返せたか分かりませんが、コートに立ったときは全力のプレーをすることを大切にしてきました」と涙をこらえながら話しました。

「引退決意したのは ことし3月」

引退を決意した経緯について「ことし3月のシンガポールの大会が終わった段階でその時に次の2大会で最後にしようという決意を固めました。はっきりと引退を決意したのはその時で、それまでも、ことしに入ってからは毎試合これが最後になるかもしれないという気持ちでプレーしてきました。最終的に決意したのはシンガポールの大会が終わってからです」と話しました。その上で「オリンピックに3回出場できたこと、10年間、世界のトップランカーと戦えたことは自分自身誇りに思いますし、小学校の時に夢だったオリンピックのメダルが目の前の目標になってきて、クリアしていくことを卓球を通して学びました」と話しました。

「自分なりのポリシーを最後までしっかり果たせた」

現役生活を振り返り「自分自身と向き合うことを大切にしてきました。現役生活が長くなればなるほど苦しいときも多くなりましたが、向き合うことを諦めないというか、逃げないという自分なりのポリシーを最後までしっかり果たせたことはうれしく思います」と話しました。

「全国の子どもたちに卓球の魅力を伝えていきたい」

現在『サンクスツアー』という名称で行っている子どもたちへの指導について「卓球の魅力を伝えたいと思ってさせていただいています。人に伝えるということは自分がプレーすることと全く違う難しさがあります。たくさんの全国の子どもたちに卓球の魅力を伝えていきたいです」と話しました。

「私にとって山口県は家」

地元の山口県について「私にとって山口県は家です。卓球を始めたのも山口県ですし山口県に行った際は、温かく迎えていただき、パレードもしていただきました。思い出深いことがたくさんあるので、直接、たくさんの方にお礼を伝えたいです」と話しました。

3大会出場 五輪の思い出は?

オリンピックでの思い出について「ロンドン大会は卓球界で初めて獲得することができた女子団体の銀メダルが印象に残っています。リオデジャネイロ大会は悔しい思い出の方が多くて、シングルスの1回戦で負けてしまったのと最終的にチームで銅メダルを獲得することができたことです。東京大会では団体戦で金メダルを目指してチーム一丸となって戦ったことが思い出深いです」と話しました。

「機会がなかったので勉強をしてみたい」

今後について「これまでは練習の時間がほとんどで勉強する機会がなかったので勉強をしてみたいです。スポーツに関わる分野のほか、人に何かを伝えることは難しいと感じているので、それを学ぶことで成長できると思っています」と話しました。

後輩へ「後悔がないように思う存分やりきって」

来年のパリオリンピックを目指す後輩たちに向けて「オリンピック出場のレースは厳しい戦いですが、今しかできないことでもあります。後悔がないように思う存分やりきってほしいです」とエールを送りました。

「結果が出なかった時 そこからがスタート」

選手生活で大切にしてきたことについて「こういう選手になりたいなと思ってもらえるような自分でいたいと思いましたし、そういう気持ちが自分を選手としても人としても成長させてくれました。『頑張って努力をした結果、いい成績が出る』ということばがありますが、なかなかそう思えないこともあって、頑張ってもなかなか結果が出なかった時、そこからがスタートなのかなと思ったこともありました。続けることの大切さ『何回でもチャレンジ』ということばに励まされましたし、大切なのはそこかなと思って活動してきました」と話しました。

「印象に残っているのは2試合」

印象に残っている試合について「1つ目は2012年のロンドンオリンピックのメダル決定となった準決勝、日本 対 シンガポール。あのときはゾーンに入ったというぐらい調子がよくて、今でも思い出せるぐらい鮮明に覚えています。もう1つは、2017年の世界選手権で世界チャンピオンになった試合で、我慢、我慢の連続でなんとかもぎとった勝利で、印象的です」と話しました。

「卓球に育ててもらった 夢中になった23年間」

卓球の存在について「卓球に出会ったことで本当に大きく成長させていただいたなと思いますし、卓球に育ててもらったなと思います。そして卓球に必死で夢中になった23年間だったなと思います」と話しました。

“中国語”で中国ファンヘメッセージ

中国のファンに向けて「引退を発表したときに、たくさんのメッセージをいただき、本当にびっくりしました。試合で中国に行ったときは、現地のファンの方が応援してくださって、まるでホームのように気持ちよく試合をさせてもらいました。励ましを頂けてすごくうれしかったですし、感謝しています」と中国語で話しました。

子どもたちへ「夢中になれるもの見つけてほしい」

子どもたちに伝えたいことを問われると「目標だったり、夢中になれたりするものを見つけて欲しいと思います。また、才能は1つに限らないと思います。先生に言われてすぐできる人もすばらしいですけど、できるまでやるのも才能で、いろいろな才能があるので、向いていないと思ったとしても自分が好きな限りはできるだけ続けてほしいし、いろんなことにチャレンジしてほしいと思います」と答えていました。

「中国は すごく勝ちたかった相手」

ライバルの中国について「やはり世界一卓球が強い国で、なかなか勝つことが難しいなと勝負するたびに思い、学ぶこともたくさんありました。すばらしい選手の姿をみて成長できたし、対戦した東京オリンピックの団体決勝は全力で勝ちにいきましたが力不足だと感じました。中国の強さを改めて肌で感じたのが、東京オリンピックの団体決勝でした。すごく勝ちたかった相手でもあり、たくさんの思い出があります」と話しました。

「後輩に追い抜かれる時は苦しい」

「オリンピック3大会でメダルを取れたことを自分自身、すごく嬉しく思っています。最初のロンドンでメダルが取れたのは、すばらしい先輩方がいて、背中を見て育ってきました。そして、すばらしい後輩たちと戦ってきて、追い抜く時は楽しいんですけど、追い抜かれる時は苦しいものもあって、難しい時間もあったのですけどでも頑張ることを辞めずに東京オリンピックの出場権を得られたのは自分自身を少し褒めてもいいのかなと思いますし、その5年間が選手としても、人としても大きく成長させていただいた貴重な時間だったと思っています」と話しました。

自身へ「よく頑張った、かな」

23年間の現役生活を終えた自分自身に向けて、どんなことばをかけるかと問われると「よく頑張った、かな、よく頑張れたかなと、ひとこと言います」と笑顔で話しました。

「東京五輪 特別な舞台に立てたことはすごく幸せ」

おととしの東京オリンピックについて「地元日本、東京オリンピックという特別な舞台のコートに立てたことはすごく幸せに思っています。あのコートで試合ができたことが一番嬉しかったですしありがたかったです」と話しました。

「後輩の選手たちの活躍がすごく楽しみ」

国内の女子選手に向けて「たくさんの才能あふれるすばらしい選手がいて、自分が引退したことでいいバトンを渡せていたらいいと思います。後輩の選手たちの活躍がすごく楽しみで応援しています。卓球の魅力を伝えてくれるのは世界で活躍する選手です。人としてもすばらしい選手がたくさん出てきてくれたらうれしいです」と激励のことばを述べて記者会見を終えました。

《石川佳純選手の足跡》

石川佳純選手は山口県出身の30歳。
小学6年生当時の石川選手
卓球選手だった両親の影響で7歳から卓球を始め、育成年代の多くの大会で優勝しました。11歳の時に出場した2005年の全日本選手権では女子シングルスで2勝をあげ、小学生では福原愛さん以来の快挙となり『愛ちゃん2世』として注目を浴びました。その後、日本代表には当時、史上最年少となる14歳で初めて選出され、高校3年生で出場した2011年の全日本選手権、女子シングルスで初優勝しました。
リオデジャネイロ五輪(2016年)
強烈なフォアハンドのドライブやラリーでの得点力の高さを持ち味に、オリンピックには2012年のロンドン大会に19歳で初出場し、日本卓球史上初のメダルとなる女子団体の銀メダル獲得に貢献すると、2016年のリオデジャネイロ大会でも女子団体で銅メダルを獲得しました。

その後、若手選手の活躍に押されて苦しい時期を過ごしましたが、サーブやレシーブを強化し、リスクを負ってでも積極的に攻める攻撃的なプレースタイルへと変化を遂げました。
東京五輪(2021年)
その結果、おととしの東京オリンピックでは日本選手団の副主将を務めるとともに、女子団体で銀メダルを獲得し、オリンピック3大会で銀メダル2つ、銅メダル1つの成績を残しました。
このほか世界選手権では、2017年に混合ダブルスで日本選手として38年ぶりに金メダルを獲得するなど、世界の舞台で長く活躍しました。ことしは、1月にシングルスで通算5回優勝している全日本選手権に出場し、優勝した早田ひな選手に準決勝で敗れたほか、先月には、世界のトップ選手が集うマカオで行われた国際大会で、東京オリンピックの女子シングルスの金メダリスト、中国の陳夢選手に敗れてベスト16で終わり、これが現役最後の試合となりました。

今月1日に自身のSNSで現役引退を発表したあと、13日には、神戸市で行われた卓球教室で子どもたちを指導し、今後も若い世代の育成に関わっていく考えを示していました。