ダウン症の俳優をメインキャストに抜てき あるドラマの挑戦

ダウン症の俳優をメインキャストに抜てき あるドラマの挑戦
ドラマや映画では、時折障害のある役柄の人が出てきます。

車いすを使う人や、耳が聞こえない人、目が見えない人、知的障害がある人。

これまで、その多くは健常者の俳優たちが演じてきました。

しかし今、ある変化が起き始めています。

それは「障害のある役をその当事者が演じる」ということ。

ダウン症の俳優をメインキャストに起用した、あるドラマの挑戦を追いました。
(おはよう日本 ディレクター 植村優香)

豪華キャストの中に… ダウン症の新人俳優が!

報道局でディレクターをしていて、ドラマの制作とは無縁の私は、あるドラマのキャストの発表を見て驚きました。

メインキャストにダウン症の俳優が起用されていたからです。
ドラマは、5月14日に放送が始まったNHKBSプレミアムドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」。

作家・岸田奈美さんが自身の「家族」を描いた人気エッセーを原作にした、全10話の連続ドラマです。
起用されたのは、主人公・岸本七実のダウン症の弟、草太役を演じる、16歳の吉田葵さんです。

オーディションを通して選ばれ、本格的なテレビドラマは今回初出演だといいます。

障害のある“当事者”からキャスティング

なぜ彼を起用することになったのか。

ドラマの演出を担う、大九明子さんに話を聞きました。
大九明子さん
「原作のエッセーにそれぞれのキャラクターとして実在する人たちがいて、その一人として主人公の弟がダウン症であることが大きな軸になっているので、ここはまず絶対に描きたいと。それをやるときに、当事者である人が演じるか、そうでない人が演じるかということは迷いなく、当事者にというところがありました」
原作の岸田奈美さんのエッセーは、車いすの母、ひろ実さんとダウン症の弟、良太さんとの日々が描かれています。

その中には、ダウン症の弟とだからこそ生まれたエピソードもあります。

大九さんは、同じ障害のある葵さんにだからこそ演じられる「草太」を作りたかったのです。
吉田葵さん
「ドラマが決まって、最初は心臓が止まるくらいエッてなりました。ドラマに参加できてうれしいです」

現場では俳優による専属サポートが

撮影現場にお邪魔すると、名だたる俳優たちに囲まれて演じる、吉田葵さんの姿がありました。

時折、大九さんは「草太くんだったらこういう時どうする?」と葵さんに投げかけます。

そして、葵さんのそのままの姿を次々に演出にとりこんでいきます。

その葵さんの横に付き添い、大九さんからの指示をフォローしている男性がいました。

今回、葵さんのサポート役に抜てきされた、俳優の安田龍生さんです。
プロの俳優として、演出の意図を踏まえて葵さんを支えてもらうことがねらいです。

しかし、安田さんにとってもサポート役は初めての経験です。

現場では探り探りで支える方法を見つけています。
まずは、台本の読み込み。

ドラマ撮影の現場では、セットやスケジュールの都合上、台本の順番通りには撮影ができません。

今回、葵さんが演じる草太役は10~25歳と幅があります。

知的障害があり、数字や時間の感覚が苦手な葵さんが、きょう演じるのはいつのどんな場面なのか理解できるよう、丁寧に確認していきます。

この日は、姉の七実が「東京」とつぶやいたことばに、草太が父を思い出して「東京 パパ」と言うシーン。

短いセリフですが、安田さんは葵さんに、その背景を理解してもらおうとします。
安田さん
「草太はパパのこと好き?」
葵さん
「それは、好き」
安田さん
「会いたくない?草太がパパに会ったのすごい昔なの。全然会っていない」
葵さん
「会ってないのか」
安田さん
「東京にパパがいるってわかったとき、会いたいじゃん。東京って聞いたら『東京、パパ』ってすぐ言っていいよ」
そして、分かりやすく番号をふって芝居の動きをノートに書き出し、確認します。
安田龍生さん
「葵は5個くらいまでなら覚えられるってことがだんだんわかってきたので、だいたい5個くらいまでにポイントを入れるようにして説明しています。最近、芝居がうまくなってきたんですが、動作のきっかけとなる“気づき”のような芝居ができていないので、そうしたことができるようポイントを項目にして書き入れるようにしています」
安田さんのサポートを受けながら、のびのびと演じる葵さん。

ほかのキャストたちは、葵さんとの共演をどのように感じているのでしょうか。
河合優実さん(草太の姉・七実役)
「最初は、ダウン症の方と面と向かって話したこともなかったし、もちろん芝居をしたこともなくて、一枚構えるフィルターはあったんですが、会って最初の数秒でなくなりました。楽しいと思ったことや憧れているものに100%エネルギーが向かっていて、その純粋さは刺激になりましたし、大人が正解で葵くんが間違っているわけじゃないっていうのをなんとか伝えたいしそういう風にお芝居したい」
錦戸亮さん(草太の父・耕助役)
「思ったことなんでも口に出すから、会うたびに“きょうもかっこいいです”って言ってくれるんで、ありがとうって言って… 裏ではそんな感じです(笑)僕は、ダウン症だから、知的障害があるからっていうような接し方じゃなくて伝わりやすく伝わればいいなと思って話しています。正直でいようと思っていますね」
坂井真紀さん(草太の母・ひとみ役)
「何かを作るときに、やはり足並みをそろえなきゃいけないことのほうが重要視されつつあるけれど、そうではなくてスピードを変えるときがあったっていいし、当たり前になってしまっていることを振り返ったり見直したりしてもいいのかなと感じます」

世界で広まる“当事者起用”の波

実は、このドラマだけではなく「障害のある当事者を起用する」という流れは世界で広まっています。
2022年には、ろう者の当事者たちを起用した「コーダ あいのうた」がアカデミー賞の作品賞を受賞し、話題となりました。

人気の海外ドラマでも、ふだんから車いすを使う俳優が起用されるなど変化が起きています。

しかし日本では、障害を描く作品は多いものの、当事者が起用されるチャンスはまだ多くはありません。

大九明子さんは、当事者を起用することの難しさの赤裸々な実情を話してくれました。
大九明子さん
「予算や時間の問題、そして商業ベースにのせるときに当事者である人よりはもっとバリューのある人で、という流れがどうしてもできてしまっています。当事者の俳優がいる中で、その人達にとってそういう役が描かれている作品に出会うことがすごく少ないし、せっかくあっても当事者ではない人にその席を奪われるのは不公平じゃないかと思っています。ちょっとずつ前例を作っていきたいです」
葵さんが所属している、障害者専門のプロダクションのレッスンでは、さまざまな障害のあるキャストたちが、演技やボイストレーニングのレッスンを受けています。

それぞれの障害の特性や得意・不得意に合わせた指導で表現力を磨き、映画やドラマ、舞台で活躍することを目指しています。
このプロダクションでは、障害のあるキャストたちが活躍できる場が広がることに期待を寄せています。
プロダクション代表 田中康路さん
「今回の連続ドラマの起用は、エンターテインメントにとっては大きな出来事で、まだまだ壁はあるし、ずいぶん歩みは遅かったけれども障害者の起用は変わってきていると思います。自分自身、障害がある人達の表現に心動かされたので、他の人たちにも共感してもらいたいです」

ドラマの先に… おいしいラーメンが!?

このドラマの原作者で作家の岸田奈美さんがドラマの撮影現場に見学にやってきました。
自身の弟がモデルになった役をダウン症の当事者が演じる姿を見た岸田さん。

草太役を健常者の俳優が演じたらどう思うか、聞いてみました。
岸田奈美さん
「違和感がありますね。私にとって弟の障害って特別じゃないんです。でもそれを健常者の人が演じると『特別』になってしまう。あえて障害を演じるっていうのは特別なので。当たり前のようにそこにいて当たり前のように生活しているのが映っているのが、私が見てきた弟の像と近いです」
岸田さんは、これまで見た健常者が障害を演じる作品に違和感を抱くこともあったといいます。
岸田奈美さん
「私は母の車いすをずっと見ているから、車いすの役を健常者の俳優さんが演じたりするのを観て、ハンドルさばきとか重心のかけかたとかも違うこともあるし、実際に車いす乗っている人って体の重心とりづらくって支えが必要だったりするのに、自分で車いすを持ち上げていて、観た人にひとりでできるんだって思われてしまう。障害を『こう』だって思ってほしくない。障害がある人はこういうことに困っていて、こういう性格なんだねって思われたくないんです」
今回のドラマでは、坂井真紀さん演じる母・ひとみが途中で病気の後遺症で車いすユーザーになります。

同じ病気の人は、どんな体勢はできるのか、どういう場所なら車いすで走れるのか。

車いすを使うシーンでは、役柄と同じ病気で車いすを使う当事者による徹底した監修が行われました。
さらに、このドラマでは、キャストとして障害のある俳優たちを起用するだけでなく、さりげない背景に映るエキストラにも車いすの人や手話を使う人を入れるなど「画面の多様性」にも挑戦しています。
ドラマや映画の世界に多様性が生まれることへの期待を岸田さんに聞くと、独特の表現で「岸田家がおいしいラーメンを食べられるようになります」と答えてくれました。
岸田奈美さん
「ラーメンって車いすで入れる店がほとんどないんです。100店舗に1店舗くらい。なんで入れないかと言うと、お店の人もどうしていいか分からないんです。ドラマとかメディアに障害のある人が普通に出てきて何気なく見て慣れるっていうのはすごく大事だと思う。当たり前にダウン症の人がバスに乗っているとか、車いすの人がレストランでごはんを食べているとかっていうのを見ると、こういう感じでいいんだっていうのがわかると思う。桶屋がもうかる的な感じで、私の車いすの母がおいしいラーメンを食べられるようになるんじゃないかなと」

“悔しかったら次に変える”

撮影も終盤にさしかかったころ、葵さんに変化があることをご両親が教えてくれました。

葵さんが、「プロの俳優になりたい」と口に出すようになったといいます。

ある日の撮影で、セリフがうまく言えなかった葵さんは、悔しい気持ちを自分の7歳上のお兄さんに電話で相談していました。
現場ではいつも「撮影が楽しい」と笑顔の葵さんですが、芝居に対して悔しさも感じるようになっていました。

お兄さんからは「悔しかったら、次に変えればいい」と言われたといいます。

今回の「俳優」への挑戦は、葵さん本人にとっても、家族にとっても大きなものでした。
母親 佐知子さん
「寝る前に自分から台本開いて覚えたりしていますね。自分のせいでうまくいかなかったら申し訳ないとか悔しい気持ちになるのが分かっているから、そういうことも自分からやるようになりました。葵にとってこんな経験ができるなんて、生まれた時はこんなことが起こるなんて思ってなかったです。やっぱり障害に驚いてしまって、最初は。いろんなものを吸収できていると思うし、現場のみんなで育ててくださっていると思います」
葵さん
「見ている人に幸せが届くことを心がけています。ドラマが終わっても次のドラマに出たいし、映画とかにも出たいって思っているので一生懸命、頑張っています。ここまで頑張ったので、最後までやり遂げます」
そして、迎えた撮影最終日。

吉田葵さんは3か月に及んだ撮影を一日も休むことなく走り抜きました。

クランクアップをして花束をもらった葵さんは、大勢のスタッフの前で堂々としたあいさつをしました。
葵さん
「撮影ありがとうございました。お別れがさみしいけど、いつかまた会いたいです。撮影大好きです!ありがとうございました」
葵さんのあいさつを聞いて涙が止まらないキャストやスタッフの皆さんをよそに、最後まで笑顔の葵さん。

しかしその笑顔には、一人の「俳優」としての凜々しさも感じました。

“障害を描く”ということ

私自身、これまで、健常者の俳優が圧倒的な演技力や徹底した観察眼で障害を演じた作品に感動をもらうことも数多くありました。

一方で、影響力のあるテレビドラマや映画の中で障害を描くことは、時に「ステレオタイプ」を植え付けてしまうこともあるかもしれません。

「障害」が描かれるとき、演出の自由は担保されながらも、そのキャスティングはもっと多様なものになっていいのではないかと思いました。

葵さんがドラマに吹き込んでくれたものは何なのか。

ここで文字では伝えられないものがドラマの「草太」の姿にあると思います。
おはよう日本 ディレクター
植村優香
2017年入局
福岡県出身 名古屋局などを経て現所属
社会の多様性をテーマに取材
ダウン症の妹がいます