「日本人は金払えない」アジアの胃袋に向かう高級魚

「日本人は金払えない」アジアの胃袋に向かう高級魚
日本で水揚げされるノドグロやマナガツオといったいわゆる高級魚の行き先が、国内から海外に移っていると言われている。背景には、刺身でも食べられる日本の“鮮魚”に目覚めたアジアの巨大な胃袋があった。九州の近海でとれるおいしい魚が魅力の福岡でも、その影響がじわりじわりと広がっている。
(福岡放送局記者 早川俊太郎)

“博多の台所”に異変?

「ボーとしていると、あんたらそのうち魚食べられんくなるぞ」

福岡の鮮魚市場の関係者のことばに、応接室で出されたお茶を飲む手が思わず止まる。魚の輸出が急拡大していて、市場の仲買人たちの目は、すでに海外に向いているという。

福岡に転勤して、カワハギをはじめとする九州の地魚に魅せられた者として、なんとも気になる話だ。

現状をこの目で確かめようと、全国有数の水揚げ額を誇る博多漁港を擁し、あの長浜ラーメンでもおなじみの長浜鮮魚市場を取材した。

競りの主役は中国人

午前3時。威勢のいい声が市場に響き渡る。

競りの始まりだ。
あいにくしけのため、この日の場内は隙間だらけでコンクリートの床が目立った。勝負はノドグロやマナガツオなどの一部の魚種に絞られた。

競りの主役は、なんと中国人の仲買人だ。

直前まで電話で海外からの注文を受け付け、限られた魚を次々と高値で競り落としていく。
中国人の仲買人
「今回競り落とした魚は、香港のホテルや飲食店に出荷します」
この仲買人を雇うのは、福岡市の仲卸会社だ。

会社では、ここ数年、輸出が急拡大。香港をはじめ韓国や台湾など幅広く手がけ、今では売り上げの4割を輸出が占めているという。

海外の販売先を増やすには、競り落とす魚の種類や量、入札額などのやりとりが現地のことばでできたほうが有利になる。そのため、中国や韓国の仲買人を雇用し、競りの最前線に投入しているのだ。

アジアの需要は伸び続けていて、社長の湯浅俊一さんは、海外向けの販売をさらに強化していく方針だ。
湯浅社長
「もう国内だけではだめだと思います。われわれとしては、高く買ってくれるところに売るのが一番いいんです。今は海外のほうが確実にもうかります」

日本人は金払えない?

市場の運営会社によると、ノドグロやマナガツオ、アラカブ、タチウオといったいわゆる高級魚を中心に、輸出する魚の種類と量が急速に増えているという。
売り上げに占める割合の差こそあれ、今では市場の約40の仲卸会社の大半が、輸出に関わっているとみられている。
「日本人は金払えないからもう無理だ」
取材中、日本人の仲買人からポツリとこぼれたことばに、台頭するアジアの勢いと今の日本の現実を見た気がした。

ノドグロ食べられるのも今のうち?

こちらは、福岡など九州を広くカバーする門司税関による水産物の輸出統計。

去年の輸出額は484億円と過去最高となった。
10年前に比べると、輸出額は2.6倍、輸出の量も1.8倍に増加している。漁獲量が年々減少する一方、輸出が増えれば当然、国内での値上がりや品薄につながる。

影響はすでに、消費の現場にも及んでいる。

2月のある日、福岡市内の海鮮料理店を訪ねると、メニュー表の高級魚のアラカブの文字に、黒いバツ印が付けられていた。
これまで仕入れていた質のいいものが輸出に回り、入荷しづらい状況が続いていて、客への提供を見送っているという。

冷蔵庫から取り出して見せてくれた人気のノドグロやタチウオも、1年で1.5倍ほど値上がりしたそうだ。

約10種類の魚を使った看板メニューの刺身定食は2500円。
ランチとしてはちょっと値が張るが、九州のさまざまな地魚を盛り込んだ料理を提供するには、これぐらいの価格にせざるをえないという。

ただ、5月に改めて訪れてみると、刺身定食は2種盛りが2500円、3種盛りが2800円に変わっていた。1種類当たりの量は増やしたものの、実質的な値上げだという。

仕入れ価格の高騰が理由だということだ。
三宅社長
「このままでは品質のいい天然物はほとんど海外に行ってしまって、国内では数万円もするような高級店以外では養殖の限られた魚しか食べられなくなってしまうのではないかと心配しています。国内のいい魚を使って営業していきたいので、いろんな方法を今、模索しているところです」

なぜ日本の鮮魚が人気?

それではなぜ今、日本の魚の需要が伸びているのか?

専門家は、刺身でも食べられる“鮮魚”の魅力に、海外が気付いたと指摘する。
濱田教授
「アジアの生活水準が上がるにつれ、これまでのカリフォルニアロール的な日本食から、日本の飲食店と変わらない本格的な料理が求められるようになっている。そうした中で、魚を生で食べる文化が今、急速に広まっている」
しかし、なぜ、海外の国々は輸送コストをかけてまで、わざわざ日本の市場で買うのだろうか。

その背景には、血抜きや冷凍など、魚の鮮度を保つ日本ならではの技術があるという。
濱田教授
「海外では、水揚げした魚を新鮮な状態で流通させる技術が十分に発展しておらず、それならば日本から取り寄せたほうがいい。さまざまな魚を刺身にできるような状態で流通させるのは、実は深いノウハウが必要なのです」
さらに、福岡の地理的な条件も、輸出の拡大を後押ししているという。
濱田教授
「アジア圏へのアクセスのよさがあって、かつ九州のいい魚が集まるということから、一気に注文が入っているんだと思います。それなりのお金を払わないと質のいい鮮魚が食べづらいというこの状況は、よほどの経済環境の変化がないかぎりは、続いていくと思います」

日本飛ばしの懸念も

「天然物なんてめったに食べないし、養殖があれば十分だ」

そう考える人もいるだろうが、実は、養殖の魚についても安心していられる状況ではない。
養殖業者の間では、国内向けには販売せず、地域で一丸となって、より利益の出る海外輸出に取り組む動きもすでに出てきているのだ。

アジアが“鮮魚”を知った今、われわれもその価値に向き合っていかなければ、いつか、地元食材の日本飛ばしという新たな課題に直面する日が訪れるかもしれない。
福岡放送局記者
早川俊太郎
名古屋局、経済部などを経て2021年より福岡局
地域経済や消費生活取材を担当