作家 原りょうさん死去 76歳 「私が殺した少女」で直木賞受賞

佐賀県鳥栖市出身で直木賞作家の原※りょうさんが、今月4日、福岡県内の病院で亡くなりました。76歳でした。

原※りょうさんは佐賀県鳥栖市出身で、九州大学文学部を卒業しフリージャズのピアニストとして活躍したあと、30歳のころから海外の作品を乱読するなどして小説の世界を志しました。

1988年、私立探偵・沢崎シリーズの1作目となるハードボイルド小説「そして夜は甦る」で作家デビューし、高い評価を得ました。

そして、1989年に出版したシリーズの2作目「私が殺した少女」で直木賞を受賞しました。

その後も私立探偵・沢崎シリーズを書き続け、2018年には長編第5作「それまでの明日」を14年ぶりに発表していました。

早川書房によりますと、原さんはことしに入ってから体調を崩していたということで、今月4日に福岡県内の病院で亡くなったということです。

76歳でした。

※りょうは僚の右側のつくりの部分のみ

兄の明さん“ジャズの演奏が最高の息抜きだった”

4つ年上の兄、原明さんは鳥栖市内でジャズ喫茶を営んでいます。

りょうさんは、子どものころから短歌や詩などの文才に恵まれていたということで、明さんは「ジェラシーを感じていた」と振り返りました。

明さんによりますと、りょうさんは当初、テレビ番組などの脚本家を目指していましたが、シーンによってはスポンサーへの配慮を求められるため、それが嫌で「原作を書くしかない」と作家の道を選んだということです。

りょうさんは若い頃、フリージャズのピアニストとして活動していたこともあり、明さんのジャズ喫茶で、数年前まで月に数回、ピアノの演奏を披露していました。

明さんは「弟は演奏を生き生きと楽しんでいた。小説を書くほうは行き詰まることもあるので、ジャズの演奏は最高の息抜きだったと思う」と推し量りました。

演奏は、新型コロナの影響で行われなくなったということです。

りょうさんは、ことし1月、体調を崩して入院し、明さんは「もう1回は退院してくれるかなと期待していたが、そのまま尽きてしまった。弟には私をみとってもらおうと思っていたので残念だ」と惜しんでいました。