スキー渡部暁斗 異例の“広告募集”のワケ

スキー渡部暁斗 異例の“広告募集”のワケ
「スポーツはなくてもいいものだし、むしろ、ないほうがいい」。

オリンピックで3大会連続のメダルを獲得し、長くスポーツ界に身を置いてきたトップアスリートが口にした、みずからを否定するかのようなことば。

その裏には、深まる葛藤と向き合いながらもアスリートとして歩みを進めていくという固い決意がありました。

(スポーツニュース部 沼田悠里)

異例の“広告募集”

去年10月のスキーシーズン開幕。

ノルディック複合の渡部暁斗選手は、いつもと少し違った姿で大会にあらわれました。

見慣れない帽子やヘルメットの真ん中に大きく書かれていたのは、「広告募集」の文字。
選手たちはふだん、スポンサー名が書かれた帽子やトレーニングウェアを着て試合に臨みます。

その中でも帽子やヘルメットの真ん中は、特に目立つため大切な場所です。
34歳の渡部選手はノルディック複合のトップ選手として長く活躍し、去年の北京オリンピックでは銅メダルを2つ獲得するなど、オリンピックで3大会連続のメダルを獲得した第一人者です。

そんなトップ選手であれば、サポートしたい企業はたくさんいるはずですが、それにもかかわらず、渡部選手が、異例とも言える方法でスポンサー募集に乗り出した理由は意外なものでした。

自然を愛する男が感じた危機感

渡部選手は、ワールドカップや練習のため、1年の半分以上をヨーロッパで過ごします。

20年近く世界を転戦する生活を続ける中で、かつてない危機感を感じるようになりました。
オーストリアにある「ダハシュタイン氷河」は雪のない夏でも、スキーのトレーニングができるよう世界中からスキーのトップ選手が集まります。

これまでは夏でも毎日のように練習できていたといいますが、ここ数年は雪が足りず、氷河が真っ黒になって、コースが閉鎖されている日が多くなりました。
渡部暁斗選手
「氷河の縮小が現実問題として自分たちのトレーニングにも突きつけられているし、そういうのを見ながら環境問題が深刻になってきているんだと感じた」
さらに日本でもショックな出来事がありました。

シーズンを終えて帰国すると必ず訪れる、地元、長野県のスキー場をこの春、訪れた時のことです。
斜面と斜面の間にある休憩ポイントでは、数年前まで雪が降り積もり、木の枝に腰掛けられていました。
ところがことし、枝は手を伸ばしても届かない、はるか上にありました。

渡部選手の頭に浮かんだのは「悲しい」という感情と「いよいよだ」という思いでした。

雪不足 スポーツ界にも広がる影響

年々深刻化する地球温暖化によって進む雪不足は、スポーツ界にも大きな影響を及ぼしています。

ノルディック複合のワールドカップでも昨シーズン、ヨーロッパでは会場のコンディションの影響で予定変更や大会の中止を余儀なくされるケースが相次ぎました。
去年の北京オリンピックは、ほとんどの会場が人工雪というコンディションでした。

堅いバーンで転倒し、けがをする選手が相次ぐといった影響も出ました。

さらに、札幌市が招致レースに手をあげている2030年冬のオリンピックの開催地についても、IOC=国際オリンピック委員会は「地球温暖化などの影響で冬の大会のあり方についてより深い議論が必要だ」などとして決定を先送りするなど、影響は広がっています。

日本の積雪量は7割減少?!

気象庁などのデータでは、1962年以降、日本海側で1日の降雪量が20センチ以上となった日は年々減少しています。

今後さらに温暖化が進み、年間の平均気温がおよそ3度から5度上昇した場合、北海道の一部地域を除く全国の年間降雪量は、20世紀末と比べて、今世紀末(21世紀)までに7割減少するという予測もあります。
ことし2月、岩手県で行われた冬の国体では、ジャンプ会場の雪がとけてしまい、競技開始ギリギリまで整備が必要になりました。

これまで都道府県による立候補制で開催されてきた冬の国体でしたが、競技別の分離開催を含めた持ち回り制の導入などを本格的に検討することが決まりました。

雪が必要なスキー競技を実施できる地域が、より限られていくという現実に対応するための、苦渋の選択でした。

“文化を消したくない”

長野県白馬村出身の渡部選手。

ふるさとは長野オリンピックの会場でもあり、子どものころから生活の中に当たり前のように雪がある環境で生まれ育ちました。
その雪が世界規模で年々失われていくという現実を目の当たりにして、渡部選手はアスリートとしてだけでなく、雪の降る地域で育ってきた1人の人間として、環境問題に取り組みたいと考えるようになったといいます。
渡部暁斗選手
「簡単に言えば“文化が失われるな”と。冬になったら雪が降ってスキーをして遊ぶのが自分たちにとっては当たり前で、住んでる人にとっては大変だけど、除雪のノウハウや作物がとれない冬の間はどうするかとかいう、先人の知恵も含めて日本の雪とか冬という文化が失われていくのは本当に悲しいことだなと思っている。自分はスキー選手でもあるし、雪国で育ったことがある意味、自分の強みでもあるので、そういうところを通して何かしたい」

二酸化炭素の排出量 知っていますか?

環境問題に取り組むといってもアスリートの立場で何ができるのか。

渡部選手が考えた末、まず始めたのは自分が二酸化炭素をどのくらい排出しているか調べることでした。
スキーに限らず世界で活躍するスポーツ選手は、移動で飛行機を使うケースが多く、人よりも多く二酸化炭素を排出します。

渡部選手が自身の二酸化炭素排出量を調べると年間70トン。これは、日本人の平均のおよそ2倍の量です。

アスリートは地球温暖化にスポーツが与える影響に無自覚であってはならないと感じたといいます。
渡部暁斗選手
「地球環境に対して他人以上に負荷をかけながら競技を続けることへの葛藤は大きくなっている。冬季のアスリートや雪や冬に関係してくる人たちが少しでも環境問題というものに興味を持ってまず何か第1歩を踏み出してほしいなという気持ちを持っている」

“広告募集”に広がる賛同

先月、ふるさと長野県の山林に、ヒノキの苗木を植える渡部選手の姿がありました。その費用を賄うことができたのは、冒頭の「広告募集」のおかげでした。

渡部選手が「広告募集」で募ったのは、広告料だけでなく、「エコパートナー」として二酸化炭素の排出量を減らす取り組みのサポートをしてくれる企業でした。
渡部選手の考えに賛同し、何社かから応募があり、その中でスポンサーに決まったのが環境に優しい靴を作るメーカーでした。

渡部選手は、メーカーから得た広告料すべてを使って、自分が1年に排出するとされる70トン分のクレジットを購入し長野県木曽町に贈りました。
スポンサーの靴メーカー 蓑輪光浩さん
「気候変動をどうやって逆転できるか、みんなの気づきとアクションが生まれることが大切で、渡部さんが発信することで知ってもらえるなど、大きな意味を持っている」

気づく人を増やしたい

地球温暖化という世界規模で起きている問題は、なかなか自分のこととして捉えることが難しいのが現実です。だからこそ渡部選手は、まずは興味を持ってもらうことが大切だと考えています。

自身が異例の形で「広告募集」をしたことも、話題になって、多くの人に知ってもらい、それが誰かの気づきにつながればという願いが込められていました。

そして小さな歩みでいいのでコツコツ取り組んでいくことこそが大切だと指摘します。
渡部暁斗選手
「環境問題ってすごく規模が大きくて考えれば考えるほど自分の無力さを感じたり自分のことでもあるんだけどひと事という感じがすごく強いと思う。自分が感じている気持ちというのをいろいろな人に伝えていかなきゃいけないと思うし、それがある意味自分にできる、小さいかもしれないけどひと事じゃなくなる1歩。何気ないことでいいと思うんです。例えば試合会場ではケータリングとしてペットボトルに入った膨大な飲料が用意されいて、これまではなにげなく2~3本取っていってたけどそれはやめました」

アスリートとして 1人の人間として

自然の中で行われるスキーは、雪が降らなければ競技そのものが存続できなくなります。

そして雪不足でスキーができる環境が少なくなることは、競技人口のすそ野を徐々に狭めることにもつながっています。

環境問題や持続可能な社会の実現を考えた時に、スポーツの存在意義は何であり、環境に負荷を与えながらスポーツを続ける意味はどこにあるのか。

厳しい目が向けられることを自覚しているからこそ、渡部選手は、その問いと向き合いながら1歩ずつ歩みを進めていく責任があると感じています。
渡部暁斗選手
「スポーツはある意味、なくてもいいものだし、むしろない方が環境にとってはいいはず。でも、それをやらせてもらってる以上、アスリートとしてだけでなく、1人の地球に住む人間として向き合っていきたい」
スポーツニュース部 記者
沼田 悠里
2012年入局
金沢局、岡山局を経て2018年から現職
現在は体操やスキーなどの競技取材に加え、ジェンダーや環境など社会的な視点でもスポーツを取材