スーダンで“人道危機” 独自退避の日本人が見たものは?

スーダンで“人道危機” 独自退避の日本人が見たものは?
いまも戦闘が続き人道危機への懸念が高まるアフリカのスーダン。先月下旬、日本政府は自衛隊機などを派遣し現地にいる日本人の退避を完了しました。

こうした中、独自のルートで退避を迫られた日本人がいます。国際NGO「国境なき医師団」の現地責任者として医療支援を続けてきた男性です。

スーダンを離れたいま、何を思うのか。
そして、これから日本に期待される役割は何なのか語りました。

(社会部・紙野武広)

医療支援の現地責任者

今回、NHKの取材に応じたのは、国際NGO「国境なき医師団」の落合厚彦さん(61)です。
落合さんは、スーダンの首都ハルツームで現地の活動責任者として感染症予防などの医療支援にあたってきました。

スーダンには2017年以降、3回目にわたって赴き、去年6月からは3つのチーム、およそ40人を統括していました。

突然襲った危機

先月中旬、そんな落合さんを武力衝突が突然、襲います。
見せてくれた写真には1発の銃弾が写っていました。落合さんたちが活動する宿舎の敷地内に落ちていたといいます。
落合さんが宿舎の屋上から撮影した写真には多くの住民が暮らす市街地から立ちのぼる真っ黒な煙も記録されていました。
当初は早期に収束すると期待し、様子をうかがっていた落合さん。

しかし、情勢は日に日に悪化、落合さんたちは銃撃を避けるため地下室に避難することが多くなりました。最低限の明かりのもと、同僚たちと地下で息を潜める生活が続きました。

折衝の相手になってきた政府機関も休止するなど、実質的に活動ができなくなりました。
落合さん
「4月15日の朝8時半ごろ砲撃や銃撃の音が聞こえて、屋上から街を眺めると黒煙が上がっていたので、これは大変なことになったと思いました。私たちのいるハルツームでも略奪が起きてどんどん物資がなくなっているようでした」

スーダンの“優しさ”に魅せられて

しかし、以前のスーダンはいま伝えられているほど危険な国ではなかったといいます。

2017年、落合さんが初めて訪れたとき最も印象に残ったのはスーダンの人々の優しさでした。
落合さん
「ハルツームは仮にどこかで財布を落としても誰かが届けてくれるような場所で、日本で伝えられている紛争のイメージとは全く違いアフリカ一、安全な都市と言われていました。外国人をもてなすという気持ちが強く、レストランで会った見ず知らずの人にごはんをごちそうされたこともあるぐらい実際のスーダンの人たちは本当に気持ちの優しい人たちなんです」
落合さんはもともと日本でラジオ番組を制作するディレクターでした。

しかし、大学時代、アフリカを旅した時に感じた人々の熱気に感銘を受け、いつかはアフリカに関わる仕事がしたいという思いを募らせてきたといいます。
そして40代半ばを迎えた15年前(2008年)、国境なき医師団に参加。情報を発信するだけでなくみずから現地での支援活動に携わりたいという思いを抑えられなくなったといいます。
赴任先は夢に見たアフリカ。

風土病がまん延する中でも現地の人たちと寝食をともにしながら支援にあたることに大きなやりがいを感じていました。
落合さん
「当時のスーダンはいまと比べると比較的治安は安定していましたが、医療資源は潤沢ではありませんでした。適切な治療をしなければ高い確率で命を落としてしまう危険性がある感染症が流行していて、1人でも多くの人を救いたいという気持ちでした」

スーダンと日本の関わりは

スーダンは原油や鉱物などの天然資源が豊富な国として知られていますが、長年続いた独裁的な政権とその後の政治の混乱を背景に日本の民間企業の進出は限定的です。

それでも日本はこれまで原油やごまなどをスーダンから輸入し、自動車やその部品などをスーダンに輸出しています。

また、日本のJICA=国際協力機構などが長年にわたって農業分野での支援などを行っているほか、鳥取大学などは暑い気候にも耐えられる小麦の品種改良の研究を現地で行うなど、スーダンの食料自給率の向上に貢献しています。
「国境なき医師団」も1978年からスーダンでの活動を始めています。

医療へのアクセスが難しい地域の住民や難民に対し、栄養失調対策や予防接種を提供するなどの支援を続けてきました。

武力衝突の直前まで国内の10の州で現地スタッフも含めておよそ1200人が支援活動にあたってきました。

支援を続けなければ… 自衛隊機の退避を辞退

そんな、スーダンだけに武力衝突のあと医療支援が中断するとまだまだぜい弱な医療体制が崩壊してしまうのではないか。

そう考えた落合さんは、日本の自衛隊機での退避を辞退し、活動を続ける決断をしました。
落合さん
「状況を良くするというのは大きな課題ですが、私たちは目の前で支援を必要とする人たちへの支援をとにかく続けたいし、それを提供するのが喫緊の課題でした。何よりもチームの責任者がスタッフよりも先に国外に避難するのは無責任だと思い、日本政府の申し出は丁重に断りました」

それでも退避… 緊迫の状況

しかし、状況は悪化の一途をたどります。

医師団が支援する西部のダルフール地域の病院には戦闘に巻き込まれた子どもを含む多くの民間人が運びこまれていました。
ベッドが足りず、けが人を廊下の床に寝かせて処置を受ける人々。今月3日時点で427人が運び込まれこのうち89人が亡くなりました。

さらに落合さんのチームが支援する別の病院には、病院に武装した集団が押し入り医薬品などを略奪されたとの報告もありました。

情勢が改善する見通しが立たない中、落合さんは先月24日、国外退避を決断しました。
落合さん
「2つのグループによる衝突が起きてますけど、それに乗じた犯罪も横行し事務所や商店も攻撃されている状況でした。実際のリスクとは別にスタッフの精神的な負担も非常に大きかったので退避する判断をしました」
落合さんは別の場所にいるチームとも連絡をとりあいながら、独自に車を手配、退避ルートを慎重に検討しました。
ハルツーム市内を出るまでの1時間半ほどは激しい戦闘が行われた軍事拠点も多く、準軍事組織によるチェックポイントでは車を止められることもあり、緊張した場面が続きました。

また、落合さんのような支援団体だけでなく多くの人が国外に退避しようと国境には車が殺到し非常に混乱した状況で、隣国のエチオピアに出国するまで3日を要したといいます。
落合さん
「道中には燃えた戦車が点在していました。これまで宿舎にいたので分かりませんでしたが、外に出て初めて、ここが戦闘が激しい地域だったと気付きました。再び戦闘が激化しないことをみんな祈りながら避難していました」

後ろめたい気持ちも

先月末、NGOの拠点があるスイスに到着した落合さん。いまその胸にあるのは、無事にスタッフを避難させることができたと安どの思いです。

その一方で、スーダンへの支援を継続できなかったことや現地にスタッフを残してみずからが退避したことへの後ろめたい気持ちも拭い去れないといいます。
落合さん
「医療ニーズが高まる中、本来であれば物資も人も増やしていかないといけないですが、それができていない。現地に残った同僚からも、『状況がますます悪くなってきているので、できれば退避したい』という声が聞こえてくるなかで、自分だけが安全なところに避難してしまったのはすごく心苦しく罪の意識を感じます」

スーダンがこれから直面する危機

これまで行ってきた支援は休止せざるをえない状況も生じています。

落合さんはこのまま戦闘が長引けば長引くほどスーダンの人たちの暮らしは一層深刻な危機に直面すると懸念しています。
落合さん
「紛争が起きる前から医療崩壊に近い状況でしたが、いまは物流も滞ってしまい、医薬品は不足し、それを補てんする手だてもありません。略奪にあうなど機能していない病院もあり、医療自体が危機的な状況にあります。国内のインフラも破壊されていて、一般市民の生活も厳しくなっています。停戦されないかぎり、どんな支援団体も活動できないので、まずは停戦の実現が重要だと思います」

私たちには何ができるのか

こうした中、岸田総理大臣は先月下旬からアフリカを歴訪し、エジプトやケニアの大統領と会談。スーダン情勢をめぐって緊密に連携していくことで一致しました。
さらに日本はG7の議長国として今月19日から広島でサミットを開催する予定です。

落合さんは、スーダンにとって政治的にしがらみない日本の立場をいかして、率先して援助に乗り出してほしいと期待しています。
落合さん
「近年、ウクライナやアフガニスタンで人道危機が起きていて、支援のニーズに対する資源が足りていない状況です。日本はスーダンと歴史的にも政治的にもしがらみがなく、悪いイメージを持たれていないのは利点です。政治的なニーズではなく人道ニーズに即した援助をすべきではないかと思います」
落合さんは6月で本来の任期を迎え、数週間後には帰国する予定です。

それでも日本にいる私たちがスーダンをめぐる状況に関心を持ち続けることが大切だとこれからも伝え続けていきたいといいます。
落合さん
「日本人の退避が完了したことで、注目が薄れてしまうのではないかと心配しています。実際の問題はこれからです。ウクライナをはじめ、ひとたび紛争が起きると巡り巡って日本にも影響が出る時代だと思います。日本の皆さんにもどこか遠い国で起きている出来事と捉えずに自分ごととして考えてもらいたいのです」
社会部記者
紙野 武広
2012年入局 釧路局、沖縄局、国際部を経て
2022年から社会部