朝日新聞 阪神支局襲撃事件から36年 亡くなった記者を悼む

昭和62年に兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、記者2人が殺傷された事件から3日で36年です。支局には知人や地元の人たちが訪れ、亡くなった記者を悼みました。

昭和62年5月3日、西宮市の朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入って発砲し、当時29歳だった小尻知博記者が殺害され、別の記者1人も大けがをしました。

事件のあと「赤報隊」を名乗る犯行声明文が報道機関に送られ、朝日新聞を狙った犯行が繰り返されましたが、いずれも未解決のまま時効となりました。
事件から36年となった3日、支局の1階に設けられた拝礼所には、小尻記者の知人や地元の人たちが次々と訪れて、手を合わせていました。
支局の3階の資料室では、小尻記者が撃たれた際に穴があいた上着や、散弾によって変形したボールペンなどを例年、一般公開していますが、新型コロナの感染対策として、ことしも公開は見送られました。
小尻記者から取材を受けたことがある千葉県の高校教師、沼山尚一郎さん(59)は「取材先に寄り添う優しい人でした。言論の自由を暴力でねじ伏せるという決して忘れてはならない事件であり、高校の教え子たちにも語り継いでいきたいです」と話していました。

大阪本社幹部 “暴力に屈することなくペン持ち続ける”

事件から3日で36年となるのに合わせて、広島県呉市にある小尻記者の墓を朝日新聞大阪本社の山浦一人 編集局長らが訪れ、手を合わせました。

事件のあと、「赤報隊」を名乗る犯行声明文が報道機関に送られ、その後も別の支局に爆発物を置くなどの犯行が繰り返されましたが、いずれも未解決のまま時効になりました。

山浦編集局長は「この日を迎えるたびに深い悲しみと卑劣な犯行に対する怒りの念を抱き続けてきた。異なった意見を暴力で封じることがあってはならず、残された者は暴力に屈することなく、ペンを持ち続けていくと誓った」と話していました。

また武井三聡子 広島総局長は「自由に発言できて、ものが書ける社会をつくっていかなくてはならないということを小尻さんに話しかけながらお参りした」と話していました。