キーホルダー、畑の中にキーホルダー

キーホルダー、畑の中にキーホルダー
後に、殺人事件となる出来事だった。

いくつもそうした事件は取材したのだけれど、この事件のキーホルダーのことが忘れられない。

だれも想像だにしなかった場面で出てきて、いろいろなことを問いかけたからだ。

その問いかけは、いまこそ意味を持つと思い、もう一度取材し直してみた。

(ネットワーク報道部 芋野達郎)

ひと言からの理不尽

寒い2月の夜だった。

男性は車のトランクの中に閉じ込められていた。

動けないように粘着テープで後ろ手に縛られ、手も足も、声を出せないように顔もぐるぐる巻きにされていた。
さらに大きな袋に入れられ、その袋の口も縛られていた。

男性は殺されかけていたのだった。

ことの発端は、その数時間前に入った店でトラブルに巻き込まれ、店の男たちから殴る蹴るの暴行を受けた時に発した、ひと言だった。

「警察に言いに行くぞ」

このひと言を言われて、男たちは「口封じをしなければならない」と思ったという。

そんな理不尽な理由で、男性は殺害する場所を探すために走る車のトランクに入れられていた。

家には妻と4歳になる女の子がいて、帰りを待っていた。

ドーン、ドーン

どうしてそんなことができたのだろうか。

「ドーン」「ドーン」

動けないほどテープでぐるぐるに巻かれた男性が、トランクの中から車を蹴とばす音が、聞こえてきた。

どうにかこうにか、テープをほどいたのだった。
(取材し直すと、後に警察は男性と同じ体格の警察官をテープで巻いて、ほどけるか実験をしていた。ほどけなかった。男性はそれをほどくほど必死だった)

トランクの様子に慌てた男たちは、人影がない周囲が畑という場所で車を止めた。
そして4人が車から降り、スコップなどを手にしてトランクの周囲に陣取り、殴りつける準備をした。

1人がトランクを開ける。

男性は外に飛び出してきた。

畑に向かって大声を出して走り出し、男たちが捕まえようとあとを追う。

多勢に無勢で、男性は捕まってしまう。

その場でひどく殴りつけられ、車に連れ戻された時には抵抗する術はなく、さらに離れた場所に運ばれた。

瀕死の男性はそこで男のコートのベルトを使って殺害された。

(男性の遺体はこの後、発見されないようにと船で海外に送られてしまった)

朝になり、男性の妻が警察にやって来た。

「夫が帰ってこないんです」

“小心者と思われたら”という理不尽

「何か用事があったのではないか」と警察官が妻に聞くと

「夫に限って、連絡せずに帰らないようなことはない」

と、何か起きたことに私は確信があるのだという意志の強さを示して、警察に伝えた。

他にいくつも大きな事件を抱えていた警察署だったが、署長の判断は早く、数十人の体制で一気に捜査に入った。

駅周辺の繁華街で話を聞いていると、男性が出入りした店が突き止められ、トラブルがあったこともすぐにわかった。

しばらくして、トラブルを原因とした恐喝の疑いで店の関係者の男たちが逮捕された。

殺害に関しても認める供述を始めた。

いろいろなことがわかってきて、男たちの間では、“命を奪うまではないだろう”という意見があったようだった。

だが「その意見にひるんでは、小心者と思われてしまう」などという、これまた理不尽な動機を中心となった男が抱き、男性は命を奪われていた。

ところが当初、警察は、男たちを殺人の疑いで逮捕できずにいた。

ところが、見つからない

遺体は海外に送られていて、男性を殺害したという物的な証拠が何ひとつないからだ。

自供だけをもって、殺人で逮捕することはできない。

そこで警察は中心人物の1人を車に乗せ、男性がトランクから逃げ出したという場所を案内させようとした。
警察の考えは、こうだ。
男たちは「男性に畑で暴行を加えた」と証言している。

もしその様子に気付いた人がいたり、何か証拠が残っていれば、自供の真実性が高まる。

それをきっかけに、殺人での逮捕に一歩近づけるのではないか。
ところが、その場所がなかなか見つからなかった。

事件の日、男たちは殺害場所を探して、車で真っ暗な道を“あてもなく”走っていたからだった。

畑の中にキーホルダー

警察は男に「このあたりか?」と聞くが、「どうもはっきりしない」というようなことを言う。

それでも「どうも、このあたりではないか」という場所があり、警察官と男、総勢6人が車から降りてきた。

そして当時の畑の様子を覚えている人がいないか、探し出そうとした。

あたり一面を見渡したが、農家の男性が1人いるだけだった。

警察官が話を聞きに行く。

「1か月ほど前に、畑が荒らされたりしたこと、ありませんでしたか」
「さあー、わかんないなー」
そんな返事が返ってくるばかりだった。

「ここではないのか」と警察官は諦めた気持ちを抱き、車に乗り込んでまた別の場所を探しに行こうとした。

その時だった。

一度、家に戻った農家の人が再びやって来て「頼み事があるんだけれども」と声をかけてきた。
「あなた、警察の人でしょ、畑にこんなものがあってさ」
「落とし物なんだよ、持って行ってよ」
農家の人が手にしていたものは小さなキーホルダーだった。
写真を入れるケースが付いていた。

中に入っていたのは、笑顔の女の子の写真だった。

殺害された男性の4歳の長女だった。

警察官の確信

警察官は、キーホルダーは男性が逃げる途中に投げたのだと確信した。

キーホルダーにはフックがついていて、着ければ簡単に外れない。

暴行を受けた時に落としたのなら、キーホルダーは男たちに処分されている。

さらに時間を巻き戻して考えてみる。

トランクに入れられる前、男たちは男性をテープで縛り上げながら「殺す」という話をしていて、当然、男性の耳にも届いている。

トランクから逃げ出せたとしても、大勢に追いかけられては捕まる可能性が高い。

この状況で捕まるのは、殺害されるのと同じ意味だ。

つまり男性は、殺害され、もう二度と家族に会えないと悟る中でテープをほどき、逃げてキーホルダーを投げた。
そしてそのキーホルダーが畑にあることは、逮捕された男も、警察も知りえなかったことで、自供の真実性が一気に高まった。

死にゆく者が、見つかるかどうかわからないまま投げたものが、真実性を高めた。

何を思って投げたかはこうした事実から想像するしかないが、死を意識しながら、最後に家族に何かを伝えたかったことは想像に難くない。

天井を見上げて

他にも証拠が出てきて、男たちはやがて殺人の疑いで再逮捕された。

そして裁判になり検察官が、事件の中心となった男に求刑をする段となった。
その法廷でのことだった。

求刑を言い渡すはずの検察官が、論告を読み上げている途中で、急に天井を見上げた。

また読み始めるが、また天井を見上げるということが繰り返された。

涙を下に落とさないようにしているのが、周りからもわかった。

懲役15年の求刑が時間をかけて告げられた。

パパがいなくても大丈夫

この時のことを取材しようと検察官がいまどこにいるのか探すと、すでに退官していた。

さらに調べると関東地方で弁護士をしていることがわかり、弁護士事務所で会うことになった。

この法廷のことを聞くと「検察の仕事をしていて泣いたのは、これ一回だけです」と話した。

少しずつ思い出すように話が続いた。
「男性がいなくなる、それは遺族が生きるための収入がなくなってしまうことです。住まいは社宅だったのか、親子2人も住む場所もなくなるかもしれない、そうも思いました」

ただ、論告の内容を細かくは覚えていないという。

そこで、当時の裁判記録を読みたいと検察庁に申請することにした。

1か月半ほどで、論告の記録を閲覧する許可が出た。

記録のあちこちが黒塗りになっていたが、検察官が事件の理不尽さを強調していたことはよくわかった。
「被告人は小心者と侮られ怖じ気付いたと思われると、威信が保てなくなることから、自らの面子と組織維持のためには被害者殺害もやむなしと決意した」

「自己の保身と組織維持のため被害者の生命を犠牲にしようという意図から敢行された身勝手極まりない犯行である」
そして法廷で話していたのは、残された家族のことだった。
「被害者の妻と長女は、被害者が失踪した日以降、長い不安の日々を過ごしつつ、その生還を、ひたすら藁にもすがる思いで祈り続けていたが、それもむなしく、殺害されたことを知らされた」

「遺族らは絶望の淵から這い上がれずにいる。それでもなお、被害者の妻は体調を崩しつつも、自分がしっかりしなくてはと悲しみを必死にこらえて長女を育てている。長女はけなげにも『パパが居なくても寂しくない』と言い、自らと母を励まし、必死に生きていこうとしている」

「しかし、生活資金は早晩底を突くのであり、将来の生活の目途さえたっていない」
記録を読み終えて、元検察官が事務所で話した言葉を思い出した。

「人が殺されることはたいてい、理不尽なことなんです」

いま

人ひとりの命を奪う。

それがどれだけ大変なことなのか。

命だけでなく、大切な人たちの希望も奪うのか。
日本では殺人事件で1年に300人ほどが命を奪われている。

もっともそれは、日本という世界の一部の、それも事件という限られた中での話であって、いま世界では軍事侵攻とか戦争とかいう名でその何倍もの人が、それがなければ希望も夢も失わずに、悲しむ人も生まずにすんだのに亡くなっている。

日本の事件のひとつと世界情勢というのは、大きな違いがあるように聞こえるけれど、亡くなった一人一人に大切な人がいて、殺めることが悲しむ人ばかりを増やすことになんら変わりはない。

投げられたキーホルダーが、いま問いかけるのは、この瞬間にも理不尽なことで亡くなっている人がいて、その一人一人に生き続け愛し続けたかった人がいるということだとも思う。

命を奪われる多くの人が、無念の思いを抱いていることだと改めて思う。

人は悲しむために生まれてきたのではないのだから、理不尽なことが遠のくよう、安全安心な立場にいることに安住せず、できることをやっていかなくてはならないと自分を戒めながら思う。

争いがあることに、どの時点からか慣れてしまって、命の大切さと大切な人を失う悲しみを伝えることに鈍感になってしまってはいないか。

いま自分が悲しむ側にいないから鈍感になっているのであって、痛みを傍観するようになってはいないのかと、これも自分を戒めながら思う。

もし自分が悲しむ側にいたのなら、命が理不尽にも奪われるかもしれない側にいたのなら「なんとかして」「もっと声をあげて」「もっと行動して」と思っているに違いない。
(事件の中心になった男の判決は懲役13年だった。
 畑に投げられたキーホルダーは捜査の後、男性の家族に手渡された)