スーダンから退避のNGO職員 現地の緊迫した状況など語る

情勢悪化が続くスーダンから29日、チャーター機で帰国した日本人とその家族48人のうち、国際NGO「難民を助ける会」の職員の男性がNHKの単独インタビューに応じ、帰国の喜びと現地の緊迫した状況、そして、スーダンへの思いを語りました。

インタビューに応じたのは、東京 品川区にある国際NGO「難民を助ける会」の職員、相波優太さん(32)です。

相波さんは今月1日から短期出張でスーダンを訪れていた際に情勢が悪化し、ハルツーム市内の事務所で身を潜めたり、ほかの支援団体と合流したりして避難を続けました。

その後、陸路でポートスーダンに移動し、航空自衛隊の輸送機でジブチに退避して29日朝、チャーター機で羽田空港に到着しました。

相波さんは「まずは本当に安心したという気持ちです。退避するにあたって外務省、自衛隊、JICA、スーダンの方々に大変お世話になり感謝の気持ちでいっぱいです」と話しました。

相波さんが現地で最初に情勢の変化を感じたのは、4月15日だったということで、「乾いた銃声が最初は散発的に聞こえていた程度だったのが次第に激しくなりました。ふだんは、土曜日は朝の時間は車の移動はあまり見られないのですが、車が激しく往来して様子が違うなと感じました。日を追うにつれて銃声や爆撃音が大きくなり、事務所の窓枠が揺れるようなこともありました」と話していました。

最も緊張したのは、ハルツームからポートスーダンまで移動した時だということで、「ハルツームの集合場所に行くまでに軍のチェックポイントがいくつもありました。遠くで爆撃の音が聞こえる中の移動で一番気を遣いましたし、道中では焼け焦げた車両や戦車が道ばたに何台もありました。JICAの車両で避難しましたが、普通に行けば12時間程度で到着する道のりを国連の車列に入っていたのでゆっくりしか動かず、30時間以上かかりました」と当時の状況を語りました。

そのうえで、「退避までの間、戦闘の合間を縫って近くの店で飲料水や食料の買い出しをしてくれたスーダン人もたくさんいたし、通信が遮断されないよう、電子マネーで通信データを送ってくれた人もいました。ただ、多くのスーダンの人々がいま、大変な状況に陥り、今後さらに支援が必要になると思いますがこういう状況なのでできることは限られていて非常に歯がゆい思いを持っています。日本人にもお世話になったが、それ以上に現地のスーダン人にお世話になったので、状況が落ち着いて何かできる際には恩返しをしたい。日本からするとスーダンはなじみのない国だと思うが、何が起きているのか引き続き関心を持ってもらえたら」と話していました。

緊迫した現地 撮影した写真は

相波優太さんが、退避の過程で撮影した写真です。
現地の4月19日午前6時40分ごろ、ハルツームにある「難民を助ける会」の事務所から窓の外を撮影した写真には、目の前の建物の奥から武力衝突によって発生したとみられる黒い煙があがっています。

相波さんによりますと15日以降、日を追うにつれて爆撃音や銃声が大きくなってきたということで、20日の夜、近くにあるほかのNGOの事務所に避難したということです。
2枚目の写真は、その事務所から窓の外を撮影したもので、ハルツームの国際空港の方角から黒い煙があがっています。
3枚目の写真は、ハルツームからポートスーダンに向かうため、国連の車列に加わって30時間以上かけて移動した際のものです。

まっすぐに伸びる道の上に、車が1列に並んでいます。

車は止まっているとみられ、ブレーキランプが光っているほか、車に乗っていたとみられる人たちが車外に出てきています。
4枚目の写真は、4月24日の午後3時ごろ、航空自衛隊の輸送機がポートスーダンからジブチに向かって離陸する前の機内の様子です。

活動にあたる隊員が話し合っている様子や、退避する人たちが機体の両脇に設置されたシートに座り、携帯電話で連絡をとっている様子が写っています。