
日銀 植田総裁初の決定会合 大規模な金融緩和策 維持を決定
日銀は、植田総裁のもとで初めてとなる金融政策決定会合を開き、今の枠組みでの大規模な金融緩和策を維持することを決めました。また、1990年代後半以降の金融緩和策について、1年から1年半程度をかけて多角的にレビューを行うことを決めました。
日銀は28日までの2日間、植田総裁の就任後初めてとなる金融政策決定会合を開き、短期金利をマイナスにし、長期金利をゼロ%程度に抑える、大規模な金融緩和策を維持することを全員一致で決めました。
長期金利の変動幅もプラスマイナス0.5%程度に維持しました。
また、日銀は1990年代後半以降続けてきたさまざまな金融緩和策について、1年から1年半程度をかけて多角的にレビューを行うことを決めました。
日本でデフレが長期間続いた原因や、金融緩和策の効果、それに副作用などについて時間をかけて検証し、今後の金融政策運営にいかすねらいがあるとみられます。
一方、日銀は、今回の会合に合わせて最新の物価の見通しを公表しました。
今年度の生鮮食品を除いた消費者物価指数の見通しは、政策委員の中央値で、前の年度と比べてプラス1.8%と、これまでのプラス1.6%から引き上げました。
また、2024年度は、これまでのプラス1.8%からプラス2.0%へと引き上げたほか、初めて示した2025年度については、プラス1.6%としました。
さらに今後の金融政策の方向性を示す「フォワードガイダンス」で、金融政策の基本姿勢について「賃金の上昇を伴う形で、2%の『物価安定の目標』を持続的・安定的に実現することを目指していく」とし、「賃金の上昇を伴う形で」という表現を使って「賃金の上昇」と「物価上昇」の好循環が必要だという姿勢を強調した形です。
植田総裁 “金融引き締め 遅れより拙速がリスク大”
日銀は来年度の消費者物価が目標とする2%に上昇するという見通しを示しましたが、植田総裁は28日の会見で、もう少し辛抱して粘り強く金融緩和を続けたいという考えを示しました。
日銀は今回、今後の消費者物価について来年度は日銀が目標とする2%に上昇するという見通しを示しました。
植田総裁は、会見で、2%の物価目標を安定的に実現する可能性も出てきているとした上で、「ならしてみると、2%に近い数字が続いているが、もう少し辛抱して粘り強く金融緩和を続けたいというのが正直な気持ちだ」と述べました。
その上で、「引き締めが遅れて、2%を超えるインフレ率が持続するリスクよりも、拙速な引き締めによって、2%を実現できなくなるリスクのほうが大きい」という考えを示しました。
また、金融政策を縮小する出口政策に関連し、日銀の25年間の金融緩和策をレビューする1年から1年半の間に正常化を始める可能性もゼロではないという認識を示しました。
その上で、「正常化を始めるプロセスがどんどん後ろずれしていく可能性もまたゼロではない。2年後3年後4年後ということになる可能性も残念だがありえる」と述べました。
一方、1年から1年半程度の時間をかけてレビューする目的や金融政策との関係について、「5年の任期中にある程度のレビューの結果を出して、それを残りの任期である程度、役に立てたいという問題意識がある。必要な政策変更は1年半の間であっても、実行するというスタンスだ」と述べ、レビューの期間中の政策変更もありうるという認識を示しました。
また、レビューの対象とする25年間の金融緩和策について「効果はあったと思うが、2%の目標を達成するところまで十分な成功を収めてこなかったと思う」と述べました。
日銀は今回、今後の消費者物価について来年度は日銀が目標とする2%に上昇するという見通しを示しました。
植田総裁は、会見で、2%の物価目標を安定的に実現する可能性も出てきているとした上で、「ならしてみると、2%に近い数字が続いているが、もう少し辛抱して粘り強く金融緩和を続けたいというのが正直な気持ちだ」と述べました。
その上で、「引き締めが遅れて、2%を超えるインフレ率が持続するリスクよりも、拙速な引き締めによって、2%を実現できなくなるリスクのほうが大きい」という考えを示しました。
また、金融政策を縮小する出口政策に関連し、日銀の25年間の金融緩和策をレビューする1年から1年半の間に正常化を始める可能性もゼロではないという認識を示しました。
その上で、「正常化を始めるプロセスがどんどん後ろずれしていく可能性もまたゼロではない。2年後3年後4年後ということになる可能性も残念だがありえる」と述べました。
一方、1年から1年半程度の時間をかけてレビューする目的や金融政策との関係について、「5年の任期中にある程度のレビューの結果を出して、それを残りの任期である程度、役に立てたいという問題意識がある。必要な政策変更は1年半の間であっても、実行するというスタンスだ」と述べ、レビューの期間中の政策変更もありうるという認識を示しました。
また、レビューの対象とする25年間の金融緩和策について「効果はあったと思うが、2%の目標を達成するところまで十分な成功を収めてこなかったと思う」と述べました。
日銀 来年度の消費者物価指数 目標の2%に達する見通し
28日に日銀が発表した「展望レポート」では今年度の生鮮食品を除いた消費者物価指数の見通しを引き上げ、来年度・2024年度は日銀が目標としている2%に達するとの見通しを示しました。
日銀が示した生鮮食品を除いた消費者物価指数の見通しは、今年度が政策委員の中央値でプラス1.8%と、前回・1月の決定会合で示した1.6%から、0.2ポイント引き上げられました。
また、来年度も前回から0.2ポイント引き上げられプラス2.0%、そして、今回初めて示した2025年度はプラス1.6%でした。
物価の見通しについて、日銀は、輸入物価の上昇を受けた企業の価格転嫁の影響から上昇してきたものの、足もとは、政府の経済対策による電気料金などエネルギー価格の押し下げなどの要因でプラス幅を縮小しているとしています。
そのうえで、今後は輸入物価の上昇を受けた企業の価格転嫁の影響が減り、今年度半ばにかけて縮小していく可能性が高いとしています。
その後、企業の価格や賃金の設定などに変化を伴う形で賃金の上昇率などが高まっていく中、物価を押し下げてきた政府の経済政策の反動もあって再びプラス幅を緩やかに拡大していくとみられるとしています。
日銀は、2%の物価安定目標の実現に向けた基調的な物価の動向を見る上で、生鮮食品に加え電気代などのエネルギー関連を除いた消費者物価指数も重視しています。
この見通しについては、
▽今年度は前回から0.7ポイント引き上げてプラス2.5%、
▽2024年度は前回から0.1ポイント引き上げてプラス1.7%としています。
また、2025年度はプラス1.8%としています。
日銀は賃金の上昇を伴った物価上昇を目指していますが、ことしの春闘では、去年を大きく上回る賃金の上昇率が実現する見込みがあるとしています。
ただリスク要因として物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方が根強く残る場合、来年以降は、賃上げの動きが想定ほど強まらず物価が下振れる可能性もあると指摘しています。
日銀が示した生鮮食品を除いた消費者物価指数の見通しは、今年度が政策委員の中央値でプラス1.8%と、前回・1月の決定会合で示した1.6%から、0.2ポイント引き上げられました。
また、来年度も前回から0.2ポイント引き上げられプラス2.0%、そして、今回初めて示した2025年度はプラス1.6%でした。
物価の見通しについて、日銀は、輸入物価の上昇を受けた企業の価格転嫁の影響から上昇してきたものの、足もとは、政府の経済対策による電気料金などエネルギー価格の押し下げなどの要因でプラス幅を縮小しているとしています。
そのうえで、今後は輸入物価の上昇を受けた企業の価格転嫁の影響が減り、今年度半ばにかけて縮小していく可能性が高いとしています。
その後、企業の価格や賃金の設定などに変化を伴う形で賃金の上昇率などが高まっていく中、物価を押し下げてきた政府の経済政策の反動もあって再びプラス幅を緩やかに拡大していくとみられるとしています。
日銀は、2%の物価安定目標の実現に向けた基調的な物価の動向を見る上で、生鮮食品に加え電気代などのエネルギー関連を除いた消費者物価指数も重視しています。
この見通しについては、
▽今年度は前回から0.7ポイント引き上げてプラス2.5%、
▽2024年度は前回から0.1ポイント引き上げてプラス1.7%としています。
また、2025年度はプラス1.8%としています。
日銀は賃金の上昇を伴った物価上昇を目指していますが、ことしの春闘では、去年を大きく上回る賃金の上昇率が実現する見込みがあるとしています。
ただリスク要因として物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方が根強く残る場合、来年以降は、賃上げの動きが想定ほど強まらず物価が下振れる可能性もあると指摘しています。
日銀 25年間の金融緩和
日銀は、1990年代後半以降、25年間にわたるさまざまな金融緩和策について1年から1年半程度の時間をかけて多角的にレビューすることを決めました。
25年間の金融政策とはどのようなものか振り返ります。
25年間の金融政策とはどのようなものか振り返ります。
【速水総裁の時代 1998年~2003年】
いまから25年前の1998年、いわゆる新日銀法のもとでの初めての総裁となった当時の速水総裁は、就任直後から金融機関の経営破たんや長期化する景気低迷への対応など厳しい政策運営を迫られ、1999年にはデフレ圧力が高まる可能性に対処するため先進国としては前例のない金利を実質的にゼロにまで引き下げるいわゆる「ゼロ金利政策」に踏み切りました。
しかし翌年の2000年になって景気の回復傾向が明確になり、8月には「デフレ懸念の払拭(ふっしょく)が展望できるような情勢に至った」としてゼロ金利政策をいったん解除します。
植田総裁は、このとき日銀の審議委員でしたが執行部の提案に反対しました。
その後、アメリカ経済の減速をきっかけに景気が悪化に転じると2001年3月には金融市場に大量の資金を供給する量的緩和政策に踏み切りました。
しかし翌年の2000年になって景気の回復傾向が明確になり、8月には「デフレ懸念の払拭(ふっしょく)が展望できるような情勢に至った」としてゼロ金利政策をいったん解除します。
植田総裁は、このとき日銀の審議委員でしたが執行部の提案に反対しました。
その後、アメリカ経済の減速をきっかけに景気が悪化に転じると2001年3月には金融市場に大量の資金を供給する量的緩和政策に踏み切りました。
【福井総裁の時代 2003年~2008年】
後任の福井総裁は2003年の就任当日にイラク戦争が勃発しその5日後に異例の臨時会合を開催。
市場の動揺を防ぐため金融市場に供給する資金量を増やす緊急措置を決めました。
当時、日本経済は長期化するデフレと不良債権の問題に苦しんでいましたが、福井総裁は、量的緩和政策によって金融市場への資金供給量を拡大する政策を推し進めました。
こうした中、景気は回復傾向をたどり日銀は2006年3月に量的緩和政策を解除してゼロ金利政策に移行。
そして同じ年の7月には、そのゼロ金利政策も解除して日銀が政策目標とする短期の市場金利を0.25%前後に引き上げることを決めました。
そして2007年2月には追加の金利の引き上げに踏み切りました。
市場の動揺を防ぐため金融市場に供給する資金量を増やす緊急措置を決めました。
当時、日本経済は長期化するデフレと不良債権の問題に苦しんでいましたが、福井総裁は、量的緩和政策によって金融市場への資金供給量を拡大する政策を推し進めました。
こうした中、景気は回復傾向をたどり日銀は2006年3月に量的緩和政策を解除してゼロ金利政策に移行。
そして同じ年の7月には、そのゼロ金利政策も解除して日銀が政策目標とする短期の市場金利を0.25%前後に引き上げることを決めました。
そして2007年2月には追加の金利の引き上げに踏み切りました。
【白川総裁の時代 2008年~2013年】
福井総裁の後任人事をめぐる混乱で総裁が20日間にわたって空席となるなか就任した白川総裁。
2008年に就任してからはサブプライムローン問題やリーマンショックの影響で混乱が続いた金融市場への対応やデフレからの脱却に向けた金融政策に取り組みました。
2010年には国債などの買い入れを積極的に行って金融緩和を実施する包括的な金融緩和策を導入するなどデフレからの脱却を目指した政策運営を行ってきました。
しかし2011年の東日本大震災やその後のヨーロッパの債務危機などの影響で日本経済は大きな落ち込みを余儀なくされました。
白川総裁は大胆な金融緩和を求める当時の安倍総理大臣の要請を受け2%の物価上昇率を明確な目標と位置づける政府との共同声明にもとづいてさらに緩和的な政策を打ち出しました。
2008年に就任してからはサブプライムローン問題やリーマンショックの影響で混乱が続いた金融市場への対応やデフレからの脱却に向けた金融政策に取り組みました。
2010年には国債などの買い入れを積極的に行って金融緩和を実施する包括的な金融緩和策を導入するなどデフレからの脱却を目指した政策運営を行ってきました。
しかし2011年の東日本大震災やその後のヨーロッパの債務危機などの影響で日本経済は大きな落ち込みを余儀なくされました。
白川総裁は大胆な金融緩和を求める当時の安倍総理大臣の要請を受け2%の物価上昇率を明確な目標と位置づける政府との共同声明にもとづいてさらに緩和的な政策を打ち出しました。
【黒田総裁の時代 2013年~2018年】
2013年に就任した黒田前総裁は初めて開いた金融政策決定会合で2%の物価目標を2年程度で実現することを念頭に、市場に大規模な資金を供給する「量的・質的金融緩和」という新たな金融緩和の強化策を決定。
デフレからの脱却を目指しました。
「黒田バズーカ」とも呼ばれた大規模な金融緩和で、当時の歴史的な円高は修正され株高が進みました。
2016年1月には日銀史上初めてとなる「マイナス金利政策」の導入に踏み切ります。
そしてこの年の9月には▽短期金利をマイナスにし、▽長期金利をゼロ%程度に抑える今の金融緩和策の枠組みイールドカーブコントロールを新たに導入しました。
この結果、日本経済はデフレではない状況となりましたが賃金上昇をともなった2%の物価安定の目標を達成できないまま緩和策が長期化し、これが去年の急激な円安と物価高の一因になったとも指摘されています。
さらに日銀が望まない形で消費者物価の上昇率は一時、4%を上回る水準まで上昇しまた、大量に国債を買い入れたことで債券市場の機能が低下するといった副作用も問題視されました。
このようにこの25年間日銀はさまざまな政策を打ち出して経済の好循環を生み出そうとしてきましたがその効果は長続きせず、日銀が目指す賃金の上昇を伴った物価の上昇という形はなお実現していません。
デフレからの脱却を目指しました。
「黒田バズーカ」とも呼ばれた大規模な金融緩和で、当時の歴史的な円高は修正され株高が進みました。
2016年1月には日銀史上初めてとなる「マイナス金利政策」の導入に踏み切ります。
そしてこの年の9月には▽短期金利をマイナスにし、▽長期金利をゼロ%程度に抑える今の金融緩和策の枠組みイールドカーブコントロールを新たに導入しました。
この結果、日本経済はデフレではない状況となりましたが賃金上昇をともなった2%の物価安定の目標を達成できないまま緩和策が長期化し、これが去年の急激な円安と物価高の一因になったとも指摘されています。
さらに日銀が望まない形で消費者物価の上昇率は一時、4%を上回る水準まで上昇しまた、大量に国債を買い入れたことで債券市場の機能が低下するといった副作用も問題視されました。
このようにこの25年間日銀はさまざまな政策を打ち出して経済の好循環を生み出そうとしてきましたがその効果は長続きせず、日銀が目指す賃金の上昇を伴った物価の上昇という形はなお実現していません。
黒田総裁のもとでの金融政策 検証は
日銀は、前任の黒田総裁のもとで2016年と2021年に金融政策についての総括的な検証や点検を実施して結果を公表しています。
この2度の検証や点検は、いずれも黒田総裁が就任して以降に導入された大規模な金融緩和策を対象に日銀内で議論が行われ、数か月程度で結果が公表されています。
また、結果の公表に合わせていずれも大規模な金融緩和策の持続性を高めるための政策の修正も打ち出されました。これに対して、今回、日銀が実施を公表したレビューでは、日本経済がデフレに陥った1990年代後半以降の25年間に実施されたさまざまな金融政策を対象に多角的に行うとしています。
期間も1年から1年半と、これまでの検証や点検よりも長く、外部の有識者や国内の企業経営者らから幅広く意見を聞くとしていて、必ずしも金融政策の枠組みの修正を伴う形ではないとしています。
こうした比較的時間をかけて行う検証は、海外では、アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会は2019年からおよそ1年半をかけて行ったほか、ヨーロッパ中央銀行も2020年1月からおよそ1年をかけて実施しています。
FRBやヨーロッパ中央銀行では、職員や幹部による議論に加え、金融や経済の専門家、それに一般の市民へのヒアリングも行っていて、今後も5年ごとにこうした長期間のレビューを実施するとしています。
この2度の検証や点検は、いずれも黒田総裁が就任して以降に導入された大規模な金融緩和策を対象に日銀内で議論が行われ、数か月程度で結果が公表されています。
また、結果の公表に合わせていずれも大規模な金融緩和策の持続性を高めるための政策の修正も打ち出されました。これに対して、今回、日銀が実施を公表したレビューでは、日本経済がデフレに陥った1990年代後半以降の25年間に実施されたさまざまな金融政策を対象に多角的に行うとしています。
期間も1年から1年半と、これまでの検証や点検よりも長く、外部の有識者や国内の企業経営者らから幅広く意見を聞くとしていて、必ずしも金融政策の枠組みの修正を伴う形ではないとしています。
こうした比較的時間をかけて行う検証は、海外では、アメリカの中央銀行にあたるFRB=連邦準備制度理事会は2019年からおよそ1年半をかけて行ったほか、ヨーロッパ中央銀行も2020年1月からおよそ1年をかけて実施しています。
FRBやヨーロッパ中央銀行では、職員や幹部による議論に加え、金融や経済の専門家、それに一般の市民へのヒアリングも行っていて、今後も5年ごとにこうした長期間のレビューを実施するとしています。