WEB特集

ふまれても 麦のように

幼いころの夢はプロ野球選手ではなく“カープの選手”。
夢をかなえた男は、指揮官として再び戻ってきました。

“ふまれてもふまれても、強くまっすぐ伸びる麦になれ”。
男が胸に刻み込み、支えとしてきた言葉です。

そして、開幕の試合前、選手にこう語ってグラウンドに送り出しました。

「良い時も悪い時もあると思う。苦しい時こそ、手を合わせ、力を合わせ、心を合わせて前を向こう」

常に前を向き、幾多の壁を乗り越えてきたプロ野球・広島東洋カープ、新井貴浩監督の話です。
(広島放送局記者 横山悠)

チームを照らす光に

2023年3月29日昼すぎ。
セ・リーグ開幕の2日前。マツダスタジアムのスタンドで新井貴浩監督を待っていました。

気持ちのいい真っ青な空からは、春の穏やかな日ざしが降り注いでいました。練習後、大きな新井監督がやってきました。

「よろしくね」

この日の笑顔もいつもと変わりません。

私たちは、新井監督が就任した2022年10月12日からおよそ半年間、4回の単独インタビューを通して密着してきました。
新井監督をじっと見ているとすぐに気付くことがあります。新井監督は、常に人に寄っていきます。そして、周りに人が集まってきます。
その明るい表情はいつでも周りの緊張感をほぐしてくれます。
私たち取材者もいつも助けられてきました。

開幕を直前に控えたこの日、監督として臨む初めてのシーズンへの意気込みを尋ねました。

柔和な表情が引き締まりました。
新井貴浩監督
「逆境のときに私は常にみんなを照らす光にならないといけません。絶対に後ろを向かず、前だけを見据えていきます。みんなとがんばっていける自信は100%あります。カープのためだったらなんだってできるしなんだって我慢できるという気持ちです」
新井監督が示したリーダーとしての覚悟でした。

原点は“麦のように”

1977年、広島に生まれ、広島で育った新井監督は根っからのカープファンでした。

旧広島市民球場は自宅から走って行けるほどの距離にありました。

そこでプレーする山本浩二、衣笠祥雄、北別府学…。
この頃の夢は…。

プロ野球選手ではなくカープの選手になることでした。

野球が好きで身近にヒーローがいる新井少年にとってその思いは必然でした。

小学校の時の担任の佛圓弘修さんは当時をよく覚えています。
佛圓弘修さん
「カープが大好きな少年でした。体は大きくて、存在自体が人を明るく照らしてクラスでも太陽のような存在でした」
その頃、新井監督は、後の人生に影響する作品に出会いました。
漫画。「はだしのゲン」。

広島市に投下された1発の原子爆弾によって、家族を失った小学生のゲンが戦後の混乱期を力強く生き抜く物語です。

この中の一節に新井少年は、感銘を受けました。
ゲンが原爆で亡くす前に父親から伝えられた言葉です。
“ふまれてもふまれても、強くまっすぐのびる麦になれ”

くじけそうになるたびにゲンはこの言葉を思い出して、前を向き続けました。

新井監督は、この作品を何度も何度も読み返しました。
新井貴浩監督
「初めて読んだときは怖かったですが、目を背けてはいけないという思いでした。戦争の悲惨さを感じるとともに、麦のように踏まれても立ち上がっていく主人公ゲンの精神にひかれました。その気持ちが小さいころから私に根づいています」

壁に当たっても負けない

振り返れば、新井監督の野球人生は、苦しいことの連続でした。

1999年、駒沢大学からドラフト6位で入団しました。

入団時の順位は、決して恵まれたものではありません。

周囲の期待が高かった訳ではありません。
早朝から夜遅くまでユニフォームを泥だらけにしてプロの世界に食らいつきました。試合ではエラーもたくさんしました。三振も…。首脳陣からの厳しい声もたくさん受けました。

それでもプロ5年目で4番に抜てき。その後、ホームラン王に輝きました。
絶頂期だった2008年、阪神に移籍しました。広島で行われた試合では、激しいブーイングも受けました。
阪神で打点王になりますが30代後半になって出場機会を減らし、自由契約になりました。

戻ってきたカープでは、若手と一緒になって再びレギュラーを目指しました。そして、チームの中心として3連覇に貢献しました。
新井貴浩監督
「常に自分の前には、自分が持っている力より大きな壁が出てきました。プロに入った時、4番で結果が出ない時…。そのたびに『絶対に負けないぞ』『もうダメではなく、まだダメだ』と奮い立たせてきました。何度も乗り越えてきました。野球が楽しいと思ったことはないですし、常に苦しかったです」
“ふまれてもふまれても、強くまっすぐのびる麦になれ”

壁に当たるたびに心に刻まれた言葉を思い返しました。

チームは“家族”

“家族”
結果がすべてのプロ野球の世界。チーム内でも厳しい競争が求められる中、新井監督がチームを率いるうえで表現する時に口にするキーワードです。

去年11月。宮崎県日南市で行われた秋のキャンプ。
監督の立場で初めて練習に訪れた新井監督は、選手に語りかけました。
新井貴浩監督
「お前たちは、カープという大きな家の中にいる“家族”だと思っている。みんなが好きだから。好き嫌いで起用したり接したりすることはない。カープという家の中で切磋琢磨してがんばろう」
“家族”という考え方は選手に接する様子からも伺えました。

春のキャンプでした。
6年目、23歳の藤井黎來投手を1軍に抜てきしました。

しかし、バッターを相手にした実戦練習で思うような投球ができず、第3クールの途中に2軍に行くことになりました。

その日、新井監督は、2軍の練習場まで足を運びました。
藤井投手の投球練習をじっと見守り、背中に手を当てながら語りかけました。

「これから強く、大きくならないといけない。もう1回、2軍で鍛えていこう」

キャンプの終盤でした。フリーバッティング中に最も長い時間をかけ、身振り手振りで熱心に個別指導を行った選手がいました。

4年目、26歳の宇草孔基選手。

結果を求めるあまり当てにいくバッティングが目立ち、持ち味のパンチ力を発揮できていませんでした。つきっきりで30分近くアドバイスは続きました。

キャンプを1軍で完走しかけた宇草選手は、キャンプ最終日に2軍での調整が決まりました。
「俺はずっと見ているよ。見捨てないよ」

2軍でも腐らず力をつけて欲しい。

“家族”として誰1人欠くことはない。

選手と向き合い、選手を思う新井監督の“親心”でした。

長所に目を向ける

選手への指導の中にもその思いやりをかいま見ます。
6年目、24歳の遠藤淳志投手がブルペンで投球練習をしていた時でした。遠藤投手は実力がありながら去年は4勝。伸び悩んでいました。

この日、野球で鉄則とされる低めへの投球練習をしますがコントロールが定まりません。もやもやした様子を抱えながら練習を終えようとしていました。

そこにそれまでじっと練習を見守っていた新井監督がようやく声をかけました。

「遠藤。ストレートをもう3球投げられるか。真ん中高めでいいから」

高めのボールは、長打につながりやすいとして、一般的にピッチャーが避けるボールです。予想外の要求でしたが遠藤投手は力強い高めのストレートを3球投げました。

投球を見届けた新井監督は、何度もうなずきました。そして遠藤投手に近づきました。
新井貴浩監督
「お前のいいボールは、スピード以上にキレのあるストレートなんだ。バッターはいいストレートを高めに投げられたらすごく嫌なんだよ。低めに投げるという理想を追い求めるのもいいと思うが、自分の理想とバッターが何を嫌がるかというところにかい離があると思う。そう考えたら楽にならないか」
新井監督はベテランの選手にも目を配りました。

10年目の内野手、田中広輔選手(33)。かつては不動のショートとして2016年からのリーグ3連覇の原動力となりました。

しかし、2019年に右ひざを手術。深刻な打撃不振に陥りました。
昨シーズンの先発出場は8試合にとどまり、シーズン終盤は1軍に呼ばれることがなく自信を失いかけていました。

“再び1軍で野球がしたい”

再起をかける田中選手に新井監督は、言葉をかけました。

「戦力として見ている。一緒にがんばろう」
田中広輔選手
「ここ数年、結果の出ていない僕に期待のことばをかけてくれて、そのことばに救われました。なんとか新井監督を胴上げしたいという気持ちになりました」
そして、田中選手には「広輔は引っ張るのが強みだ」と長所も伝えました。

左バッターの田中選手は、オープン戦では7本のヒットがすべて引っ張ったライト方向でした。

4月9日の巨人戦では2年ぶりのホームランをライトスタンドに打ち、その1週間後には同点の満塁ホームランを同じくライトスタンドへ打ちました。

一塁へ走りながらガッツポーズする田中選手に迷いはありませんでした。

選手の短所を指摘するよりも長所に目を向けて伸ばしていく。
新井監督がまいた種は選手にとって自信という芽になって出てきています。
新井貴浩監督
「大切なのは選手に気づいてもらうことだと思っています。『こういう見方や考え方があるよ』ということを選手に提供して、あとは選手本人がどう感じて自分の中でつかんでいくかだと思います」

絶対に後ろを向かない

取材を続けてきた私は常に前向きに振る舞う新井監督に尋ねました。

「苦しい時に逃げ出したくなることはないんですか?」

「苦しい時…」

新井監督は、一呼吸置いて応えました。
新井貴浩監督
「逃げ出したくなることはないですね。1回もないです。もちろん人間なので弱気になることがありますけど、落ち込んでいるときには『こんなのでいいのか。前に進め』と奮い立たせるもう1人の自分がいます。どんな逆境の時でも絶対に後ろは向かない」
シーズンの始まりとともに新井監督が率いるカープも出航したばかりです。私は、この監督のもとで、どんな時も前を向いて進んでいくチームを想像しています。たとえ、苦しいことが続こうとも。
“ふまれてもふまれても、強くまっすぐ伸びる麦になれ”

新井監督が胸に刻んだこの言葉はチームを強くすると信じずにはいられません。
広島放送局記者
横山悠
平成28年入局
前橋局、長野局を経て広島局
去年8月からプロ野球・広島担当
左投げ左打ちで大学まで野球を続ける
新井監督は子どもの頃からテレビで見ていました

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