JR福知山線 107人死亡の脱線事故18年 遺族やJR西幹部ら追悼

107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で18年です。現場近くでは事故が発生した時刻にあわせて追悼慰霊式が行われ、遺族やJR西日本の幹部らが亡くなった人たちを悼みました。

18年前の2005年4月25日、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路脇のマンションに衝突し、107人が死亡、562人がけがをしました。

25日朝、現場では、事故が発生した午前9時18分とほぼ同じ時刻に、快速電車が速度を落としながら通過し、線路沿いの道路では関係者や近所の人などが手を合わせて黙とうをささげました。

そして、マンションの一部を残す形で整備された追悼の施設では遺族やけがをした人たち、それに、JR西日本の幹部らが参列して、慰霊式が行われました。

式の中で、JR西日本の長谷川一明社長は「あの日、私どもは、なにものにも代えがたい皆様の尊いお命を奪ってしまいました。将来にわたり事故の重い反省と教訓を継承し続け、一人ひとりが主体的な安全行動を実践し、さらなる安全性の向上に努めてまいります」とおわびと追悼のことばを述べました。

事故で当時40歳だった長女を亡くした藤崎光子さん(83)は25日朝、事故現場を訪れ、「一人娘を奪われ、毎日娘のことを思っては生きる元気をなくすこともありますが、何よりJR西日本が安全な会社になってほしい。私たちのような『遺族』といわれる人をこれ以上、つくらないようにしてほしい」と話していました。

当時18歳だった次男を亡くした上田弘志さん(68)は「ここ1、2年の間に若い社員の中には、事故の死傷者の人数を言えない人も多く、風化が進んでいると感じる。亡くなった息子に『JR西日本はこんなに変わったよ』と言ってあげたいが、僕が生きている間にはそう言えないかもしれず、つらい思いです」と話していました。

事故から18年がたち、JR西日本に事故後に入社した社員は全体の6割を超えていて、事故の記憶や教訓をどう伝えていくかが大きな課題となっています。

追悼慰霊式が行われた「祈りの杜」では午後5時半から現場近くに住む人など一般の人による献花が行われています。

JR西 長谷川社長「事故の悲惨さを心に刻んでいく」

JR西日本の長谷川一明社長は、追悼慰霊式での献花を終えたあと、記者団の取材に応じました。

この中で、長谷川社長は「わたしたちは2005年の4月25日に大変大きな事故を引き起こし、多くのお客様の尊い命を奪い、多くの方にけがをさせてしまった。深い反省をするとともに事故へのおわび、そして、安全への誓いを新たにさせていただいた」と話しました。

事故から18年がたち、JR西日本では事故後に入社した社員が全体の6割を超えるなど世代交代が進んでいて、事故の教訓をどう引き継いでいくかが課題となっています。

これについて、長谷川社長は、「加害企業としての立場は今後も決して変わらない。経験のある者から事故を語り継ぎ、安全に必要なことを継承しながら事故の悲惨さを心に刻んでいく」と述べ、現在、大阪・吹田市の社員研修センターの隣で整備を進めている、事故車両の保存施設などを通して教訓を引き継いでいきたいという考えを示しました。

一方、JR西日本をめぐっては、ことし1月の大雪で列車の立往生が相次ぐなど、安全面での課題が再び指摘されていて、長谷川社長は「組織として安全を確保し、お客様起点、現場起点で安全確保に取り組む決意だ」と述べ、一連のトラブルを踏まえてさらなる安全対策を進めていく考えを強調しました。

国交省 西田政務官「二度と事故を起こしてはならない」

政府を代表して追悼慰霊式に出席した国土交通省の西田昭二政務官は「鉄道や公共交通にとって安全の確保は第一だ。二度とこのような事故を起こしてはならないし、決して風化させてはいけない。国土交通省としても安全対策の確保や運輸事業者への指導に取り組んでいきたい」と述べました。

脱線事故発生とほぼ同じ時刻 涙拭う人の姿も

現場では、脱線事故が発生した午前9時18分とほぼ同じ時刻に、快速電車が速度を落としながら通過しました。

線路沿いの道路では、関係者や近所の人などが事故現場に向かって頭を下げたり手を合わせたりして黙とうをささげ、なかには涙を拭う人の姿も見られました。

近くに住む70代の男性は「近くに住んでいるので、毎年なるべくここに来て、手を合わせています。このような事故が無いようにただ願うばかりです」と話していました。

福知山線車内 乗客が手を合わせ祈りささげる

脱線事故が発生した午前9時18分とほぼ同じ時刻に現場を通過した電車の車内では、事故現場にさしかかる前に「本日で福知山線列車事故から18年を迎えます。お亡くなりになられたお客様のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様、おけがをされたかたがたとご家族の皆様に深くおわび申し上げます。私たちはこの事故を心に刻み安全運行に努め、改めてお客様に安心してご利用いただけるよう全力をあげて取り組んでまいります」というアナウンスが流れました。

そして、電車が現場付近に近づくと、速度が落とされた車内では乗客が静かに手を合わせて祈りをささげる様子が見られました。

事故があった当時、大阪への通勤でよく福知山線を利用していたという伊丹市の67歳の男性は、「亡くなった方に祈りをささげようときょうは電車に乗りました。建物の様子も当時から変わってしまっているが改めて犠牲者のご冥福をお祈りしたい」と話していました。

神奈川県の大学に留学している20歳の韓国人の学生は「改めて悲惨な事故だと思いました。被害にあった人を追悼することで今後、大切な命が絶たれることがないようにしてほしい」と話していました。

18人が亡くなった伊丹市で追悼の鐘

JR福知山線の脱線事故で亡くなった市民を悼んで、兵庫県伊丹市のJR伊丹駅前でも、事故が起きた時刻に合わせて追悼の鐘が鳴り響きました。

JR伊丹駅前の広場にある楽器「カリヨン」は、ピアノのように鍵盤とペダルを使って大小43個の鐘を鳴らして演奏する鍵盤楽器で、例年、脱線事故が起きた日に鐘を鳴らして、犠牲者を追悼しています。

脱線した列車には伊丹市の市民も多く乗っていて、18人が亡くなりました。
ことしは、市の職員と、被害者や遺族を支援する団体の弁護士など10人が集まり、駅を利用する人たちに黙とうを呼びかけました。

そして、事故があった午前9時18分に合わせて、事故で亡くなった伊丹市民の人数と同じ18回、鐘を鳴らし、集まった人たちが事故現場の方角を向いて黙とうをささげ、犠牲者を悼んでいました。

伊丹市の市長付参事、武田好二さんは「非常に大きな事故で、伊丹市民も多く負傷され、18名が亡くなられました。この事故を風化させないよう自治体でも取り組んでいけたらと思っています」と話していました。

夫を亡くした女性 「事故後入社の社員 遺族と接する場を」

脱線事故で、当時45歳だった夫の浩志さんを亡くした原口佳代さん(63)は25日の追悼慰霊式に出席しました。

原口さんは式のあと取材に応じ「きょう事故現場に来て彼の人生がここで終わってしまったのだと改めて実感しました。とても会いたいですが、『いまは私を見守って』と心の中で伝えました」と話し、涙を流していました。

その上で「追悼慰霊式では若い社員がわたしたち遺族の顔を把握していないと感じさせる場面があり、大きな問題だと思いました。JR西日本が、事故のあとに入社した若い社員たちに、当時の事故の経験や記憶をしっかり伝えられているのかとても心配です。もっと社員が遺族たちと接する場を作ってほしいです」と訴えていました。

次男亡くした男性「風化進んでいると感じる」

脱線事故で当時18歳だった次男の昌毅さんを亡くした上田弘志さん(68)は追悼慰霊式に出席しました。

終了後、取材に応じ、「次男が生まれて18年で事故に遭って亡くなり、それから、きょうで18年がたったので、僕の中ではすごく大きな節目です。天国でゆっくりしてくださいと声をかけました」と涙ながらに話していました。

また、事故から長い年月がたち、JR西日本でも社員の世代交代が進んでいることについて、「ここ1、2年の間に、若い社員の中で、事故当日に運転士が出勤してから事故を起こすまでの経過や、死傷者の人数を言えない人が多く出てきて、風化が進んでいると感じる。いろんな角度から安全について考えられるよう、きっちりと事故のことを伝えてほしい」と訴えました。

その上で、「JR西日本は、ことばでは安心・安全をうたっているが、行動は反対方向に進んでいると思う。最近は雪でのトラブルがあったり、新幹線の点検を忘れて営業したりと、いろいろなところで事故の前に逆戻りしているように見える。亡くなった息子に『JR西日本はこんなに変わったよ』と言ってあげたいという思いを原動力にこれまで事故と向き合ってきたが、僕が生きている間にはそう言えないかもしれず、つらい思いです」と話していました。

長女を亡くした女性「長い18年間だった」

脱線事故で当時40歳だった長女を亡くした藤崎光子さん(83)は25日、事故現場を訪れました。

この18年について藤崎さんは「とても短く感じますし事故はきのうのことのようですが、つらいつらい思いをして長い18年間だったとも思います」と振り返りました。

亡くなった長女、中村道子さん(当時40)は一人娘でした。

藤崎さんは「毎日娘のことを思っては生きる元気をなくしたりすることもありますが、何よりJR西日本が安全な会社になってほしい、それまでは死ねないという思いです」と語ります。

道子さんの写真をキーホルダーにしていつも身につけているといいます。

藤崎さんは「娘の死を無駄にしないためJR西日本がこれ以上事故を起こさず、私たちのような『遺族』と言われる人をこれ以上つくらないようにしてほしい」と思いを語りました。

大けがの女性「悲惨な事故起こしたこと忘れずに」

脱線した電車の3両目に乗り足や顔などに大けがをした兵庫県伊丹市の玉置富美子さん(73)は事故現場を訪れました。

曇り空の下で取材に応じた玉置さんは「18年前のこの日は、きょうと違って暑くて晴れていました。この場所に来ると、車両から投げ出されたことを思い出して、今日の天気のようにどんよりとした気持ちになります。年々、後遺症がひどくなり体も痛くなってきて、あと何回、ここに来られるかなと思います」と話しました。

その上で「JRには私たちがどうして毎年ここに集まるのか、これだけの被害者がいて、事故で心と体に傷を負わせているということを心に留めてほしいです。悲惨な事故を起こしたことを決して忘れず、慢心せずにいてほしいです」と訴えていました。

大けがの女性 「事故を無駄にしないために」

友人どうしで先頭車両に乗っていて、ともに全身を打撲するなどの大けがをした福田裕子さん(39)と木村仁美さん(39)は、毎年一緒に追悼慰霊式に参加しています。

式の後、福田さんは、「毎年、事故の時間は必ずこの場所で過ごしていますが、ここに来ると一年を無事に送ることができたと感じます。来年も変わらず訪れたいと思います」と話していました。

また、木村さんは「4月25日にこの場所に来ることを18年続けていて、この日はこうあるべきだと感じます。人は忘れていくものなので、このような機会に伝えていくことが大切だと思います。事故を無駄にしないために社会を良い方向に変えていかなくてはならないと改めて感じます」と話していました。

大けがの男性「伝えていくのが自分の役割」

脱線した電車の2両目に乗り、右足の骨を折る大けがをした兵庫県多可町の小椋聡さん(53)は「毎年、献花の際にこんなにたくさんの人が心をいためた事故だったのだなと感じます。僕よりもずいぶん若い方が多く亡くなられていて、未来を頑張ることができなかった人たちがいるんだと思うと、頑張らないといけないと改めて強く感じました」と話していました。

その上で「事故を知らない方に話を伝えるというのは本当に難しいと感じます。ただ、当事者が話すことをやめてしまうと事故のことが伝わらなくなるので、伝えていくのが自分の役割だと思う」と話していました。

千葉から訪れた男性「安心・安全と言えるにはほど遠い」

千葉県から献花に訪れた48歳の男性は、「犠牲になった方の冥福を祈る気持ちを込めて、ほぼ毎年現場に足を運んでいます。事故が起きてからJRなりに改善しているという人もいるが、停車位置でドアの開閉を忘れてしまったり、京都で雪が降った際に乗客が閉じ込められたり、実際には道半ばでなかなか安心・安全と言えるにはほど遠い。脱線事故も含めて大きな問題が起きないと世の中は改善に動かないというのは悲しいことです。事故をあらかじめ見通すことはできなかったのかとつくづく思います」と話していました。

救助手伝った女性「人の命をのせている いま一度考えて」

事故の時、救助を手伝ったという現場近くに住む60代の女性は、25日朝、現場に向かって祈りをささげました。

女性は、「事故の現場が血の海だったのを覚えています。こういう悲しい事故は二度とあってはならず、運転手は人の命を車両にのせていることをいま一度考えてほしいです」と時折、言葉を詰まらせながら話していました。

遺族ら 組織罰の制定を「組織の責任を問うことが必要」

JR福知山線の脱線事故から18年の25日、事故の遺族たちが重大事故を起こした企業の刑事責任を問うことを可能にする「組織罰」の制定を訴え、兵庫県尼崎市で署名活動を行いました。

JR尼崎駅前で行われた署名活動は、107人が死亡したJR福知山線の脱線事故のほか、山梨県の中央自動車道の笹子トンネルで起きた事故の遺族などでつくる団体が行ったもので、25日は遺族ら5人が署名を呼びかけました。

多数の犠牲者が出る重大事故が起きた場合、現在の日本の刑法では、法人など組織の罪を問うことができません。

団体では、事故を起こした組織に高額の罰金などを科す「組織罰」を新設すれば、事故を防止する抑止力になるなどとして、新たな法律の制定を目指しています。

団体の代表を務め、18年前の脱線事故で23歳だった長女を亡くした大森重美さんは「大きな事故は、さまざまな人が関わって起きるもので、個人ではなく組織の責任を問うことが必要です。これからも私たち遺族が発信を続け、安全な社会を目指します」と話していました。

JR西日本 安全を最優先にする企業文化を定着させられるか

JR西日本では、福知山線の脱線事故を受けて、安全を最優先とする方針を改めて掲げ、ハード面・ソフト面の両面で取り組みを進めてきました。

事故現場には制限速度を超えた場合にブレーキをかける装置が設置されていなかったことから、会社では、制限速度が設定されている線路の曲線部分すべてにこうした装置を導入するなど、ハード面の対策を進めてきました。

また、ソフト面では、安全を重視する企業風土の定着を目指してきました。

事故当時、JR西日本の社内では、運転士のミスを厳しく指摘する「日勤教育」と呼ばれる会社の懲罰的な指導があり、事故を起こした車両の運転士は、これを避けようと制限速度を大幅に上回るスピードで運転したことが背景にあったと指摘されています。

そのため会社は、速度超過や信号機の見落としといったミスについては、原因究明を優先して懲戒の対象から外し、ミスを報告しやすい仕組みづくりを進めてきました。

さらに、脱線事故をきっかけに、数年ごとに安全に関する計画を策定していて、先月示された今後、5年間の計画では、駅のホーム柵の設置や踏切での事故防止策などをさらに進める方針を打ち出しています。

それでもことし1月には、大雪による線路のポイント故障で複数の列車が立往生し、多くの乗客が車内に閉じ込められたほか、グループ会社の運転士が去年11月以降、車両基地内で8回にわたり酒気帯びの状態で列車を運転していたことが明らかになるなど、安全への意識が会社全体に浸透しているのか、疑問視される事態が相次ぎました。

JR西日本は、18年前の事故の教訓をいかし、安全を最優先にする企業文化を定着させられるのか、不断の取り組みが求められています。