しかし、判決を前に、国側が15人の裁判官全員による大法廷での審理を求める上申書を提出すると、当時の最高裁長官のもとに、元長官の村上朝一氏から電話があったとして、「法務省側の意を受けた村上氏が大法廷回付の要望をされた由」、「この種の介入はけしからぬことだ」と憤りを記していました。
その後、審理は大法廷に回付され、逆転で飛行禁止の訴えを退ける判決が言い渡されました。

元最高裁判事 團藤重光氏 在任中のノート公開 「介入」記載も
1974年から9年にわたり最高裁判所の裁判官を務めた團藤重光氏が、最高裁での議論の内幕や自身の思いなどを在任中に記したノートの一部が公開されました。大阪空港の夜間の飛行禁止を住民が求めた「大阪空港公害訴訟」の最高裁判決を前に、法務省の意向を受けた元最高裁長官が審理の進め方に「介入」したとする記載があり、分析した龍谷大学の研究グループは「三権分立の大原則が侵害された可能性があることを示す貴重な資料だ」としています。
ノートは、日本を代表する刑法学者で、1974年に最高裁判所の裁判官に就任した團藤重光氏に関する資料を保管・分析している龍谷大学が、NHKとの共同研究の成果として19日に報道陣に公開しました。
團藤氏が最高裁在任中の9年間に書き残していたうちの1冊で、最高裁が1981年に判決を言い渡した「大阪空港公害訴訟」について議論の内幕などが詳しく記されています。
住民が国に対し、大阪空港の夜間飛行禁止や損害賠償を求めたこの裁判は、当初、團藤氏が所属していた第1小法廷が担当しました。
ノートには、「一応の結論」として、飛行禁止を認めた2審判決を「是認していいのではないか」と記されていて、第1小法廷が住民勝訴の結論を固めていたことがうかがえます。


分析した研究グループの福島至龍谷大学名誉教授は「行政の意を受けた人が司法の外から介入したとすれば、憲法で保障された裁判官の独立や、三権分立の大原則が侵害されたことになる。その可能性を示す貴重な資料だ」と話しています。

一方、最高裁判所は、NHKの取材に対し「やり取りの有無や、その内容を確認できないので回答できない」としています。
大学では5月に、このノートを一般にも公開することにしています。
大学では5月に、このノートを一般にも公開することにしています。