二度と壊れない宝物 熊本と宮城 12年の絆

「地震があったから、これがうちに来てくれた」
熊本地震で被災した警察官は、子どもたちが今も愛用し続けている茶碗を手に、そう語りました。
この茶碗は、東日本大震災で支援した少年から贈られた「宝物」。
震災をきっかけにつながった、熊本と宮城の2人を結ぶ12年間の証です。
(熊本放送局記者 松尾幸明)
熊本地震で被災した警察官は、子どもたちが今も愛用し続けている茶碗を手に、そう語りました。
この茶碗は、東日本大震災で支援した少年から贈られた「宝物」。
震災をきっかけにつながった、熊本と宮城の2人を結ぶ12年間の証です。
(熊本放送局記者 松尾幸明)
茶碗に込められた思い
かわいいイルカのキャラクターが描かれた、セットの茶碗。
何の変哲もないプラスチックの食器ですが、そこには、ある思いが込められていました。
この茶碗の持ち主は、熊本県警の警察官(38)です。
今も心の支えとして、大切にしています。
何の変哲もないプラスチックの食器ですが、そこには、ある思いが込められていました。
この茶碗の持ち主は、熊本県警の警察官(38)です。
今も心の支えとして、大切にしています。

警察官
「これを使って食べている子供たちの姿も好きなんです。ずっと使い続けていて、うちの宝物にしています」
「これを使って食べている子供たちの姿も好きなんです。ずっと使い続けていて、うちの宝物にしています」
2016年 熊本地震

7年前のあの日。
「まさか熊本で震度7の地震が起きるなんて」
そのとき所属していたのは、特に被害が大きかった地域の警察署でした。
災害対策にあたる担当は、たったの4人。
管内に大きな被害が出ていないことを、なんとか確認しました。
念のため「自分が残ります」と、警察署で泊まりこむことに。
一息つこうと道場で横になった直後、再び震度7の本震が起きました。
これまで経験したことのない揺れに、道場に飾られていた賞状は大きな音を立てて、壁から一斉に落ちました。
すぐに1階の当直に駆け下りると、棚などが倒れ、床は散乱していました。
地震で外れた受話器を戻した直後、一斉に電話が鳴ったといいます。
それ以降の記憶があいまいになるほど、地震の対応に追われ続けました。
「まさか熊本で震度7の地震が起きるなんて」
そのとき所属していたのは、特に被害が大きかった地域の警察署でした。
災害対策にあたる担当は、たったの4人。
管内に大きな被害が出ていないことを、なんとか確認しました。
念のため「自分が残ります」と、警察署で泊まりこむことに。
一息つこうと道場で横になった直後、再び震度7の本震が起きました。
これまで経験したことのない揺れに、道場に飾られていた賞状は大きな音を立てて、壁から一斉に落ちました。
すぐに1階の当直に駆け下りると、棚などが倒れ、床は散乱していました。
地震で外れた受話器を戻した直後、一斉に電話が鳴ったといいます。
それ以降の記憶があいまいになるほど、地震の対応に追われ続けました。

警察官
「妻や子どもは当然相手にできない状況で、ずっと警察署に詰めている。警察署の椅子と体が一体化するぐらい。そこで身動きとれずに仕事していた」
「妻や子どもは当然相手にできない状況で、ずっと警察署に詰めている。警察署の椅子と体が一体化するぐらい。そこで身動きとれずに仕事していた」
ようやく帰宅できたのは1週間後。
家のドアを開けると、壁には穴が空き、物は散乱。
家のドアを開けると、壁には穴が空き、物は散乱。

食器の多くも、粉々に割れていました。
苛酷な状況に追い込まれる中、支えてくれたのは、ある少年との絆でした。
苛酷な状況に追い込まれる中、支えてくれたのは、ある少年との絆でした。
12年前 宮城県岩沼市で
東日本大震災の発生から8か月後の2011年11月。
特別派遣の警察官として、宮城県岩沼市へ応援に入りました。
当時27歳。
警察官になって3年目の若手でした。
3週間の派遣期間で担当した一つが、仮設住宅に避難した被災者の訪問です。
始めてまもなく、自宅が津波の被害を受けた女性から、相談が寄せられました。
女性は、6歳の息子が急激な環境の変化で、大きなストレスを抱えていると明かしました。
家族5人で3部屋だけの仮設住宅。
壁が薄く音を出すことができないため、静かに生活するようにと制限されていました。
特別派遣の警察官として、宮城県岩沼市へ応援に入りました。
当時27歳。
警察官になって3年目の若手でした。
3週間の派遣期間で担当した一つが、仮設住宅に避難した被災者の訪問です。
始めてまもなく、自宅が津波の被害を受けた女性から、相談が寄せられました。
女性は、6歳の息子が急激な環境の変化で、大きなストレスを抱えていると明かしました。
家族5人で3部屋だけの仮設住宅。
壁が薄く音を出すことができないため、静かに生活するようにと制限されていました。

「長男は感情の起伏が激しく、少し離れただけで泣き出してしまう」
話を聞くと、一緒に派遣されていた先輩達に頭を下げて許可をとり、その日の勤務後、さっそく会いに行きました。
話を聞くと、一緒に派遣されていた先輩達に頭を下げて許可をとり、その日の勤務後、さっそく会いに行きました。

待っていたのは、当時6歳だった小林優杜さん。
会った瞬間に表情が明るくなり、笑顔がはじけたことが今でも忘れられません。
会った瞬間に表情が明るくなり、笑顔がはじけたことが今でも忘れられません。
警察官
「会った瞬間、顔がぱっと明るくなって。『わあ本当に来てくれたんだ』って、喜んでくれたのが最初です」
「会った瞬間、顔がぱっと明るくなって。『わあ本当に来てくれたんだ』って、喜んでくれたのが最初です」
夕食を一緒に食べた後も話に耳を傾け、安心して眠る姿を見てから帰りました。
2日に1回の非番の日は、欠かさずに小林家を訪問。
時間が許すかぎり、優杜さんと過ごしました。
2日に1回の非番の日は、欠かさずに小林家を訪問。
時間が許すかぎり、優杜さんと過ごしました。

優杜さんの母親の美佐子さんです。
その存在の大きさを、今も感じています。
その存在の大きさを、今も感じています。
美佐子さん
「全国の警察の方が来てくれたけど、唯一、初めて心を開いた方だったと思います。『僕がついているから大丈夫だよ』っていつも最後には言ってくれた。
震災で負った傷は、一生背負っていかなきゃいけないじゃないですか。でも何かあったら『あの人がいる』という安心が、優杜の中にはあると思う」
「全国の警察の方が来てくれたけど、唯一、初めて心を開いた方だったと思います。『僕がついているから大丈夫だよ』っていつも最後には言ってくれた。
震災で負った傷は、一生背負っていかなきゃいけないじゃないですか。でも何かあったら『あの人がいる』という安心が、優杜の中にはあると思う」
熊本に戻っても
宮城県を離れた後、勤務する警察署に、一通の手紙が届きました。

小学校1年生の優杜さんが書いた、ひらがなの文字。
警察官や白バイのシールが、何枚も貼られていました。
警察官や白バイのシールが、何枚も貼られていました。
「またでんわをします おはなししようね」
この手紙がきっかけで、優杜さんとのやりとりが始まりました。
電話やメールで頻繁に言葉を交わしたといいます。
電話やメールで頻繁に言葉を交わしたといいます。
警察官
「手紙をもらって、とても嬉しかったです。ああ、この仕事、警察官をやっていて良かったなって。初めて警察官になった、というか。優杜くんとの交流が続くんだと思うと、とても嬉しい気持ちになりました」
「手紙をもらって、とても嬉しかったです。ああ、この仕事、警察官をやっていて良かったなって。初めて警察官になった、というか。優杜くんとの交流が続くんだと思うと、とても嬉しい気持ちになりました」
週に1回程度、仕事が終わった後に数時間ほどかけてメッセージをやりとりし、絆を深めてきた2人。
熊本を地震が襲ったのは、東日本大震災から5年後でした。
熊本を地震が襲ったのは、東日本大震災から5年後でした。
壊れない贈り物
熊本地震への対応で極限まで追い込まれるなか、ある贈り物が届きました。

青とピンクのイルカが描かれた、セットの茶碗。
自宅の食器が割れてしまったと知った優杜さんが、水族館で買ったものでした。
もう壊れることがないようにという願いを込め、プラスチック製を選んだといいます。
自宅の食器が割れてしまったと知った優杜さんが、水族館で買ったものでした。
もう壊れることがないようにという願いを込め、プラスチック製を選んだといいます。
警察官
「壊れないですね、ずっと使えます。優しい気持ちで家族や子供のことまで考えて動いてくれたのは、もう感謝しかない。食器が割れたからこれが次うちに届いたというので、マイナスがかき消されるというか、上書きされてプラスの感情に変わっているのかなと思います」
「壊れないですね、ずっと使えます。優しい気持ちで家族や子供のことまで考えて動いてくれたのは、もう感謝しかない。食器が割れたからこれが次うちに届いたというので、マイナスがかき消されるというか、上書きされてプラスの感情に変わっているのかなと思います」

これまでに経験したことのなかった、熊本での大地震。
優杜さんの存在に支えられていました。
優杜さんの存在に支えられていました。
警察官
「ヒーローでいないといけない、この子のヒーローでありたいっていう。それって結局、力になるんですよね。優杜くんに返してきたことが、自分に返ってきている。ずっとそれが循環して、今になっているのかなと思います」
「ヒーローでいないといけない、この子のヒーローでありたいっていう。それって結局、力になるんですよね。優杜くんに返してきたことが、自分に返ってきている。ずっとそれが循環して、今になっているのかなと思います」
もうひとつの宝物

優杜さんにも、ずっと大切にしてきた、ある宝物があります。
支援物資としてもらった、犬のぬいぐるみです。
このぬいぐるみには、支え続けてくれている警察官と同じ名前がつけられています。
18歳になった優杜さんの部屋には、今もこのぬいぐるみが置かれています。
支援物資としてもらった、犬のぬいぐるみです。
このぬいぐるみには、支え続けてくれている警察官と同じ名前がつけられています。
18歳になった優杜さんの部屋には、今もこのぬいぐるみが置かれています。

優杜さん
「近くにいればもっと心強いなと思ったので、大事にとってあります。当時の心強さがまだ思い出に残っているので、それがあれば気持ち的に楽になれるので、そんな感じにとってあります」
「近くにいればもっと心強いなと思ったので、大事にとってあります。当時の心強さがまだ思い出に残っているので、それがあれば気持ち的に楽になれるので、そんな感じにとってあります」
この春 新しい道へ
4月。
優杜さんは宮城県内の大学に進学しました。
バドミントン部に入り、インカレ出場の目標を追いかけています。
優杜さんは宮城県内の大学に進学しました。
バドミントン部に入り、インカレ出場の目標を追いかけています。

警察官から、進学祝いのプレゼントが届きました。
大学で使えるようにと選ばれたバッグです。
今までもらったものを使うことができず、大事にとっていた優杜さん。
このバッグだけは、毎日大学に持ち歩いています。
12年間、ずっとつながり続けてきた2人。
実は、これまで一度も再会したことがありません。
それぞれの夢があるといいます。
大学で使えるようにと選ばれたバッグです。
今までもらったものを使うことができず、大事にとっていた優杜さん。
このバッグだけは、毎日大学に持ち歩いています。
12年間、ずっとつながり続けてきた2人。
実は、これまで一度も再会したことがありません。
それぞれの夢があるといいます。

優杜さん
「あの警察官の人のように、なっていたいと思います。一番は人として成長していることがいいんですけど、近づけるような存在であっていたい。どちらも釣りが趣味なので、釣った魚を一緒に食べたりしてみたいですね」
「あの警察官の人のように、なっていたいと思います。一番は人として成長していることがいいんですけど、近づけるような存在であっていたい。どちらも釣りが趣味なので、釣った魚を一緒に食べたりしてみたいですね」

警察官
「今の状態では、まだ自分自身に納得できない。いずれ胸を張って会える存在になるくらいまで、自分は頑張らなきゃいけない。優杜くんが20歳を過ぎてお酒を飲めるようになったら、いずれお酒を飲みながら昔話もできたら、それは一番幸せかなと思います」
「今の状態では、まだ自分自身に納得できない。いずれ胸を張って会える存在になるくらいまで、自分は頑張らなきゃいけない。優杜くんが20歳を過ぎてお酒を飲めるようになったら、いずれお酒を飲みながら昔話もできたら、それは一番幸せかなと思います」

松尾幸明
2012年入局
去年8月から熊本へ赴任
2人の再会が取材できる日を待ち望んでいます
(写真は優杜さんと ※記者は右)
2012年入局
去年8月から熊本へ赴任
2人の再会が取材できる日を待ち望んでいます
(写真は優杜さんと ※記者は右)