那須川天心 ボクシング転向 “どこまで行けるか知りたくて”

“神童”と呼ばれたキックボクサーの新たな挑戦が始まります。
那須川天心、24歳。
キックボクシングなどの格闘技で47戦全勝という輝かしい実績をひっさげて、4月8日にプロボクシング転向初戦に臨みます。
「自分がどこまで行けるのか知りたい」
「人生一生チャレンジ」
みずからの可能性を常に追い求め、新たな道に進む那須川選手の思いに迫りました。
(スポーツニュース部 記者 足立隆門)
那須川天心、24歳。
キックボクシングなどの格闘技で47戦全勝という輝かしい実績をひっさげて、4月8日にプロボクシング転向初戦に臨みます。
「自分がどこまで行けるのか知りたい」
「人生一生チャレンジ」
みずからの可能性を常に追い求め、新たな道に進む那須川選手の思いに迫りました。
(スポーツニュース部 記者 足立隆門)
注目集めた“神童”の転向
ことし2月9日、“格闘技の聖地”後楽園ホールにおよそ100人の報道陣が集まりました。

お目当てはボクシングのプロテストを受験しに訪れた那須川選手。
キックボクシングの「世紀の一戦」と称された試合に勝利してから8か月、無敗の“神童”が本格的に新たな挑戦を始めた瞬間でした。
「緊張感があった」と言いながらも、このとき日本ランキング1位だったスパーリング相手が「想像以上に速かった」と驚くパンチやステップワークを見せて合格。最初の関門を突破後の取材では“新人”らしさあふれる意気込みを述べました。
キックボクシングの「世紀の一戦」と称された試合に勝利してから8か月、無敗の“神童”が本格的に新たな挑戦を始めた瞬間でした。
「緊張感があった」と言いながらも、このとき日本ランキング1位だったスパーリング相手が「想像以上に速かった」と驚くパンチやステップワークを見せて合格。最初の関門を突破後の取材では“新人”らしさあふれる意気込みを述べました。
那須川天心 選手
「ボクシングファンの皆さん、はじめまして。那須川天心です。(ボクシングは)『そんなに甘くないぞ』と、いろいろな目で見られると思う。でもボクシングをなめているわけではないし、尊敬を持って挑もうと思っています」
「ボクシングファンの皆さん、はじめまして。那須川天心です。(ボクシングは)『そんなに甘くないぞ』と、いろいろな目で見られると思う。でもボクシングをなめているわけではないし、尊敬を持って挑もうと思っています」
最初は泣き虫でした
那須川選手は千葉県松戸市出身の24歳。
持ち味は破壊力抜群の左上段蹴り、ダイナミックな胴回し回転蹴り、そして電光石火の左ストレート。キックボクシングなどの並み居る強豪を倒し、リング上での大胆なパフォーマンスでも観客をわかせて人気を集めました。
持ち味は破壊力抜群の左上段蹴り、ダイナミックな胴回し回転蹴り、そして電光石火の左ストレート。キックボクシングなどの並み居る強豪を倒し、リング上での大胆なパフォーマンスでも観客をわかせて人気を集めました。

父親の弘幸さんのキックボクシングジムでは、今もジュニアの部で指導を続けるなど、子どもたちからは「頼もしい先生」としても慕われています。
ただ、弘幸さんによると幼稚園に通っていたころは「入園式にも出ないで、教室でずっと泣いていたような子」だったと言います。
そんな子どもが、どうして今のような強さを身につけるに至ったのか。
最初のきっかけは弘幸さんに勧められて、入園後の5歳の時に空手を始めたことでした。
ただ、弘幸さんによると幼稚園に通っていたころは「入園式にも出ないで、教室でずっと泣いていたような子」だったと言います。
そんな子どもが、どうして今のような強さを身につけるに至ったのか。
最初のきっかけは弘幸さんに勧められて、入園後の5歳の時に空手を始めたことでした。

原点とも言える場所が実家にあります。
8畳ほどの部屋に作った“稽古場”です。
那須川選手が道場から帰ってきたあとや、時には試合が終わったあとにも、弘幸さんを相手に突きや蹴り技を繰り返して稽古。この頃の那須川選手は「風呂に入ってしまったから、もうできない」と言って稽古から逃げようとすることも。弘幸さんに風呂からかかえられて“稽古場”に連れ戻されることもあったといいます。
練習を重ねたことで、強敵に勝てるようになり、大会で優勝することもできるようになりました。ライバルに敗れて悔しさを感じるようにもなっていき、徐々に格闘技への向き合い方が積極的になっていきました。
そして、ある約束をかわしたことで、さらに厳しい稽古を受けるようになりました。
8畳ほどの部屋に作った“稽古場”です。
那須川選手が道場から帰ってきたあとや、時には試合が終わったあとにも、弘幸さんを相手に突きや蹴り技を繰り返して稽古。この頃の那須川選手は「風呂に入ってしまったから、もうできない」と言って稽古から逃げようとすることも。弘幸さんに風呂からかかえられて“稽古場”に連れ戻されることもあったといいます。
練習を重ねたことで、強敵に勝てるようになり、大会で優勝することもできるようになりました。ライバルに敗れて悔しさを感じるようにもなっていき、徐々に格闘技への向き合い方が積極的になっていきました。
そして、ある約束をかわしたことで、さらに厳しい稽古を受けるようになりました。
父 弘幸さん
「『お前が本気でやるなら絶対勝たせてやるから』と。そして『世界一強くしてやるから』と約束した」
「『お前が本気でやるなら絶対勝たせてやるから』と。そして『世界一強くしてやるから』と約束した」
ストイックに強さを
思いに応えるように那須川選手は、その後も実家の“稽古場”で父との練習に明け暮れ、ストイックに強さを追い求め続けました。
友人と遊ぶことも、ほとんどなかったといいます。
小学5年生の時に「K-1」の華やかさに憧れて、みずからの意思でキックボクシングに挑戦してからも生活は変わりませんでした。
小学5年生の時に「K-1」の華やかさに憧れて、みずからの意思でキックボクシングに挑戦してからも生活は変わりませんでした。
那須川天心 選手
「それしかない、それをやらなきゃいけないという感じだったから、逃げたら負けみたいな感じがあった。幼稚園や小学校のころから、みんなは学校終わって外で遊んで帰ってというのが当たり前だったのかもしれないが、僕の場合は、学校に行って、帰ってきて練習して、というのが当たり前だった。今思えばきつかったり、つらいと思ったりすることも結構あったが、自分の中では普通だった。それがあったから今も物事に対してきついって思わない。だから努力だとは思ってないですよね」
「それしかない、それをやらなきゃいけないという感じだったから、逃げたら負けみたいな感じがあった。幼稚園や小学校のころから、みんなは学校終わって外で遊んで帰ってというのが当たり前だったのかもしれないが、僕の場合は、学校に行って、帰ってきて練習して、というのが当たり前だった。今思えばきつかったり、つらいと思ったりすることも結構あったが、自分の中では普通だった。それがあったから今も物事に対してきついって思わない。だから努力だとは思ってないですよね」

“稽古場”には、今も那須川選手が練習中にぶつかってあけた穴が残ったままです。
穴の数が増えていくにつれて、強さは増していきました。
そして、15歳でキックボクシングでプロデビューすると、以降は負け知らずの47戦全勝。愚直な努力を続けてきた泣き虫の男の子が、いつしか“神童”と呼ばれるようになりました。
穴の数が増えていくにつれて、強さは増していきました。
そして、15歳でキックボクシングでプロデビューすると、以降は負け知らずの47戦全勝。愚直な努力を続けてきた泣き虫の男の子が、いつしか“神童”と呼ばれるようになりました。
輝かしい実績を捨ててまで
キックボクシングで輝かしい成績を残しながら、なぜボクシングへの転向を決意したのか。
そこには自分自身の可能性を常に追い求めたいという思いがあります。
そこには自分自身の可能性を常に追い求めたいという思いがあります。

那須川天心 選手
「キックボクシングでは全部やりきったという思いがあります。思い返してみると終盤は楽しさはなく、何か刺激ではなかった。ずっとチャンピオンでいるのは好きじゃない。自分がどこまでいけるのかというのを知りたくて。一から新しいものに挑戦しないと、ということでボクシングを選びました」
「キックボクシングでは全部やりきったという思いがあります。思い返してみると終盤は楽しさはなく、何か刺激ではなかった。ずっとチャンピオンでいるのは好きじゃない。自分がどこまでいけるのかというのを知りたくて。一から新しいものに挑戦しないと、ということでボクシングを選びました」
ボクシングに転向した今も、日常は変わっていません。
「朝起きて走って。朝ご飯を食べて、休んで。昼ご飯食べて練習行って。終わって。夜ご飯食べて寝て。また起きて走ってみたいな感じ」と、まさに強さだけを求めているといいます。
「朝起きて走って。朝ご飯を食べて、休んで。昼ご飯食べて練習行って。終わって。夜ご飯食べて寝て。また起きて走ってみたいな感じ」と、まさに強さだけを求めているといいます。
“違いを超えろ”
とはいえ“神童”といえどもキックボクシングとボクシングとの、さまざまな違いには戸惑うこともあったといいます。

その1つがボクシングの基本である「パンチ」です。キックの攻撃を失う分、相手によりダメージを与えるパンチが必要になります。
ここで浮き彫りになった課題が「上半身と下半身の動きが連動していないこと」。指摘されたのが上半身の力に頼ってパンチを打つ癖です。
ここで浮き彫りになった課題が「上半身と下半身の動きが連動していないこと」。指摘されたのが上半身の力に頼ってパンチを打つ癖です。
相手の隙を見つけた時に、即座にパンチを打ち込もうとする瞬発力の高さが仇になっていました。

克服のために、練習では元世界チャンピオンのトレーナーから指導を仰いでいます。
週3回行うスパーリングの後には、ミットでパンチを受けてもらいながら、ステップの踏み方や、重心の移動、パンチを出すタイミングなど、細部にわたって修正していきました。
シャドーボクシングなど、地道な反復練習も交えながら、鍛錬を重ねるうちに体重が乗った威力のあるパンチを徐々に打てるようになってきたといいます。
週3回行うスパーリングの後には、ミットでパンチを受けてもらいながら、ステップの踏み方や、重心の移動、パンチを出すタイミングなど、細部にわたって修正していきました。
シャドーボクシングなど、地道な反復練習も交えながら、鍛錬を重ねるうちに体重が乗った威力のあるパンチを徐々に打てるようになってきたといいます。

2つ目は「ラウンド数」です。
キックボクシングでは主に3分×3ラウンドでしたが、ボクシングでのデビュー戦は3分×6ラウンドと時間が2倍になります。
那須川選手自身も「キックボクシングが短距離でボクシングがマラソンみたいな長距離、それぐらい違う」というように体力をどのように維持しながら攻撃を仕掛けるのかが鍵だと考えています。
このため、キックボクシング時代にほとんど行ってこなかった5キロから8キロほどのロードワークを実施し、スタミナも養ってきました。
キックボクシングでは主に3分×3ラウンドでしたが、ボクシングでのデビュー戦は3分×6ラウンドと時間が2倍になります。
那須川選手自身も「キックボクシングが短距離でボクシングがマラソンみたいな長距離、それぐらい違う」というように体力をどのように維持しながら攻撃を仕掛けるのかが鍵だと考えています。
このため、キックボクシング時代にほとんど行ってこなかった5キロから8キロほどのロードワークを実施し、スタミナも養ってきました。
那須川天心 選手
「すぐに完成形はできないので。徐々に作り込んでいく感じです。どの競技でもちゃんと対応して極められるところを見せたい。きついのはあります。でも当たり前だし、そういうことをやらないと強くはなれない。みんなも仕事に行くじゃないですか。電車に乗って出勤して、仕事をして終わって。それと一緒です。だから別につらいとかない。そういうのをすべて飲み込んだ上での、いわゆる覚悟なのかな」
「すぐに完成形はできないので。徐々に作り込んでいく感じです。どの競技でもちゃんと対応して極められるところを見せたい。きついのはあります。でも当たり前だし、そういうことをやらないと強くはなれない。みんなも仕事に行くじゃないですか。電車に乗って出勤して、仕事をして終わって。それと一緒です。だから別につらいとかない。そういうのをすべて飲み込んだ上での、いわゆる覚悟なのかな」
遠征で手応え
そして2月下旬から、那須川選手はアメリカでおよそ2週間、合宿を行いました。

目的は同じスーパーバンタム級の強豪たちとのスパーリング。
これまで練習してきたボクシングの技術を試そうと考えました。
これまで練習してきたボクシングの技術を試そうと考えました。
那須川天心 選手
「もっと強い相手とやれば自分の経験値になるし、いい感触がつかめると思っている。そういう選手と1回、拳を交えてみて、一体どこまで自分が通用するか楽しみです」
「もっと強い相手とやれば自分の経験値になるし、いい感触がつかめると思っている。そういう選手と1回、拳を交えてみて、一体どこまで自分が通用するか楽しみです」
アメリカでは日本で行ってきた3ラウンドを超えるスパーリングも実施しました。
ここではWBO=世界ボクシング機構の元チャンピオンであるアンジェロ・レオ選手とも手合わせ。序盤は前に圧力をかけられましたが、2ラウンド目以降はアッパーやストレート、磨いてきた強力なパンチで確実に捉えていきました。
スパーリングの後には元世界チャンピオンからも、その実力に太鼓判を押されました。
ここではWBO=世界ボクシング機構の元チャンピオンであるアンジェロ・レオ選手とも手合わせ。序盤は前に圧力をかけられましたが、2ラウンド目以降はアッパーやストレート、磨いてきた強力なパンチで確実に捉えていきました。
スパーリングの後には元世界チャンピオンからも、その実力に太鼓判を押されました。
アンジェロ・レオ選手
「選手として対戦経験が豊富だ。パンチの角度の正確さにも驚いた。すでにキックボクシングのチャンピオンだから、王者になるための精神力は持っている。本人の努力次第でボクシングでもチャンピオンになれる」
「選手として対戦経験が豊富だ。パンチの角度の正確さにも驚いた。すでにキックボクシングのチャンピオンだから、王者になるための精神力は持っている。本人の努力次第でボクシングでもチャンピオンになれる」

那須川選手自身も帰国後に「みんなが『こんな動きをしていたっけ』とびっくりすると思う」と話して、ボクシングの動きに対応してきたことに自信を示しました。
一方で、自分はボクシングではまだデビューもしていない“新人”として、状況がうまく運んでいる現状に油断しないよう気も引き締めました。
一方で、自分はボクシングではまだデビューもしていない“新人”として、状況がうまく運んでいる現状に油断しないよう気も引き締めました。
那須川天心 選手
「社会人で言うと、新入社員1年目の考え方が社長に全部通っちゃっている。『これでいけるぞ』と言われると、こっちも『社長、ほんとにこんなんでいいんですか』と思う。いいんだと思えないじゃないですか。経験して月日を重ねて自信になるので。まだボクシングを本格的に初めて半年だから、常に疑っていないといけない。スパーリングでしかやってないので自分が合っているかもわからない。その答えが出るのが試合で、その1歩目がデビュー戦だと思う」
「社会人で言うと、新入社員1年目の考え方が社長に全部通っちゃっている。『これでいけるぞ』と言われると、こっちも『社長、ほんとにこんなんでいいんですか』と思う。いいんだと思えないじゃないですか。経験して月日を重ねて自信になるので。まだボクシングを本格的に初めて半年だから、常に疑っていないといけない。スパーリングでしかやってないので自分が合っているかもわからない。その答えが出るのが試合で、その1歩目がデビュー戦だと思う」
“人生一生チャレンジ”
着々と準備を進めてボクシング選手として1歩目を踏み出そうとしている那須川選手。

今後の目標については「目標はない。ボクシングで世界チャンピオンになっても、満足はしないのかな」と意外な答えが返ってきました。
では一体、その中で挑戦を続けるモチベーションは何なのかを尋ねると、自分を見つめる子どもたちへの思いを口にしました。
では一体、その中で挑戦を続けるモチベーションは何なのかを尋ねると、自分を見つめる子どもたちへの思いを口にしました。
那須川天心 選手
「何かをやろうと思う気持ちがすごく好きなので、子どもたちに伝えるきっかけになればなと。現実が見えるじゃないけど、夢を妥協して大人になっていくわけじゃないですか。諦めないかぎり成功できるチャンスはあるんだぞっていうところを僕は体で表現したい。『俺も頑張るからお前も頑張れ』『俺もでっかいことやるから、お前もやれって』」
「何かをやろうと思う気持ちがすごく好きなので、子どもたちに伝えるきっかけになればなと。現実が見えるじゃないけど、夢を妥協して大人になっていくわけじゃないですか。諦めないかぎり成功できるチャンスはあるんだぞっていうところを僕は体で表現したい。『俺も頑張るからお前も頑張れ』『俺もでっかいことやるから、お前もやれって』」
キックボクシングでファンを魅了した、あの華やかで力強い蹴りを試合で見せることは、もうできないかもしれません。
新たな挑戦に不安があることも認めています。
それでも自分に足りないものを認め、錬磨を重ねてきた。
ひたすらに強さを追い求め続ける“神童”の姿は、ボクシングのリングでもきっと変わらないはずです。
新たな挑戦に不安があることも認めています。
それでも自分に足りないものを認め、錬磨を重ねてきた。
ひたすらに強さを追い求め続ける“神童”の姿は、ボクシングのリングでもきっと変わらないはずです。

那須川天心 選手
「何もやっていない人が『挑戦します』と言っても『お前、何言ってるの』となる。それをずっとやってる人が言うことで、憧れて『俺もやってやろう』という人が出てくると思う。だから今回も勝たないといけないし負けられない。怖い部分はありますけど、そういうものに向かっていかないと人生楽しくないですから。“人生一生チャレンジ”。僕の中ではそう思ってます」
「何もやっていない人が『挑戦します』と言っても『お前、何言ってるの』となる。それをずっとやってる人が言うことで、憧れて『俺もやってやろう』という人が出てくると思う。だから今回も勝たないといけないし負けられない。怖い部分はありますけど、そういうものに向かっていかないと人生楽しくないですから。“人生一生チャレンジ”。僕の中ではそう思ってます」

スポーツニュース部 記者
足立 隆門
2013年 入局
スポーツニュース部でボクシングなど格闘技を担当
中学生のころに漫画「あしたのジョー」を読んで
ボクシングの奥深さを学びました
足立 隆門
2013年 入局
スポーツニュース部でボクシングなど格闘技を担当
中学生のころに漫画「あしたのジョー」を読んで
ボクシングの奥深さを学びました