学び続ける経営者たち

学び続ける経営者たち
企業は社会や環境にどう貢献しているか?

その存在意義とは何か?

SDGsへの貢献、企業の適切な統治に対する意識の高まりなど、企業に求められる役割や姿勢は、より重視されるようになっています。

「フィロソフィ」と呼ばれる独自の経営哲学で、多くの人をひきつけた稲盛和夫さんが亡くなって半年あまり。

稲盛さんが大学時代まで過ごした出身地、鹿児島では、変化する時代を生き抜こうと、いまも地元の経営者達が、その経営哲学を学び続けています。

(鹿児島局記者 古河美香/ディレクター 細川雄矢)

鹿児島で学び続ける

鹿児島市で福祉事業の会社を経営する赤見美香さん(44)。

稲盛さんの経営哲学を学ぼうと鹿児島県で立ち上げられた勉強会のメンバーです。
経営に携わって20年近くになる赤見さん。現在5歳の娘を育てています。

稲盛さんの経営哲学を学ぼうと立ち上げられた「盛和塾」(2019年解散)の元塾生で今も学び続ける理由を、こう話します。
赤見美香さん
「稲盛さんの哲学は“世のため人のため”という仕事の原点を思い出させてくれるので、経営者にとって厳しい社会情勢のいまだからこそ、学び続けることに価値がある」

大胆な事業転換 支えたのは

そんな赤見さんは3年前、事業を大きく転換するという決断に踏み切りました。

新型コロナが猛威を振るった2020年。

赤見さんが経営する会社は、主力だったイベントやパーティーへのスタッフ派遣でキャンセルが相次ぎ、依頼件数は1割から2割にまで激減しました。

先が見えない中で、ふと頭に浮かんだのが、稲盛さんの本にあったある言葉でした。

『人に必要とされるものでないと残らない』
赤見さんは、それまでは細々と続けてきた「障害者の就労支援」を事業の柱の1つに据えることを決意しました。

身体障害や知的障害などがある人たちに、障害の程度にあわせてお菓子の包装などの軽作業やフルーツパーラーでの調理といった仕事を提供。

働きながらできることを増やしてもらい、企業への就職にもつなげていくというビジネスモデルを構築しました。
赤見美香さん
「不安で頭がいっぱいになり、どうすればいいかわからなくなっていましたが、このことばを思い出して、いまできることを考えようと前を向けるようになりました」
赤見さんの会社に登録されているメンバーは現在41人。

人を育てることに力を注いだ稲盛さんのような経営者になりたいと、メンバーひとりひとりにあった育成を心がけています。

その中で意識しているのが「小善は大悪に似たり」という稲盛さんのことば。

「部下に迎合するような“表面的な愛情”は、結果として相手を不幸にする。厳しく見えても信念を持って指導することが、長い目で見れば人を幸せにする」という考え方です。

これを赤見さんはみずからの事業の中で、「メンバーができないことを肩代わりしたり、簡単な作業ばかりを割りふったりするのではなく、どうしたらできるか、どんなことならできるかを一緒に考える」という形で実行しています。

会社が運営するフルーツパーラーへ取材に訪れた日、そんな場面を見かけました。

この日作業を担当していたのは、赤見さんが特に気にかけているメンバーの1人、新村美羽さんです。
知的障害があり、さらにおととし発症した脳の病気の後遺症で手足を動かすことが難しいといいます。

そんな新村さんが挑戦していたのは、お菓子の袋詰め作業。

手先の細かい動きが求められるため、かなり時間がかかってしまいます。

その様子を見守っていた赤見さんは作業が一段落したところで「フルーツサンド作りならスムーズにできるかもしれない。失敗しても大丈夫だから!」と提案します。

すると、今度はテキパキと作業を進めていく新村さん。
食パンにいちごを並べ、クリームを盛りつけ、最後は潰れないよう慎重に包丁を入れて、完成。


新村さんは「今度はケーキを作ってみたい」と、仕事への新たな意欲を見せていました。
赤見美香さん
「みんな一緒ではないので、諦めるのではなく、違う方向からできるようにサポートすることを心がけています。話をする中で、本人にとって難しい点を取り除けるのか、どうやったらできるのかというのを考えています」
赤見さんはことし、障害者雇用の進むフランスに足を運びました。

現地のユニバーサルカフェの経営手法を学ぶことで、知的障害がある人も接客に携わることができるようにしたいと考えています。

いままで以上に「誰にでも働く機会の開かれた環境」を作ることが今の赤見さんの目標です。

「鹿児島盛経塾」とは?

赤見さんが参加する鹿児島の勉強会「鹿児島盛経塾」の前身は、京都の若手経営者が稲盛さんの経営哲学を学びたいと立ち上げた「盛和塾」です。

塾生の数は、国内外でおよそ1万5000人に及びましたが、4年前の2019年に稲盛さんが高齢になったことから解散。

その翌年に、鹿児島で新たな勉強会が立ち上がったのです。

開催は月に1度。

およそ60人の経営者たちが、意見交換を重ねながら、切磋琢磨を続けています。

その顧問を務めるのが、鹿児島県いちき串木野市にある明治元年創業の酒造メーカーの5代目社長、浜田雄一郎さん(69)です。
稲盛さんが亡くなった後も学び続ける理由をこう話します。
浜田雄一郎さん
「時代も周りの状況も、自分自身も変わっていく中、瞬間的な悟りを得るだけでは十分ではない」
浜田さんも、もともとは「盛和塾」の塾生です。

焼酎ブームに乗って打ち立てた拡大路線が失敗し、多額の借金を抱えていたころ、わらにもすがる思いで、1991年、盛和塾の門をたたきました。

経営が何とか軌道に乗り始めていた2006年、浜田さんを、ある災難が襲います。

創業以来使われてきた大切な酒蔵の1つが全焼したのです。
浜田さんは、失った以上のものを造ろうと、新たな蔵を作る再建計画を稲盛さんに披露しました。

褒めてもらえると、自信たっぷりだったそうです。

ところが、稲盛さんから返ってきたのは、深いため息と激しい叱責でした。
『何だ、この計画は?借金の積み増しじゃないか。

銀行にとって浜田の借り入れというのは、カモネギだ。

よく見たら、かもの足に豆腐が付いている。“カモネギ豆腐”だ』
獲物がまんまとやってくることを意味する“カモネギ”ということばで一刀両断。

多額の借金をしてまで蔵の再建にこだわることが、本当に従業員や会社のためになるのかと、稲盛さんは問いかけたのです。

浜田さんは計画をすべてキャンセル。

蔵の跡地はいま、ほかの蔵を見学に訪れる人たちに落ち着いた雰囲気を感じてもらおうと庭園になっています。

「幹部を前に赤っ恥でした」と笑う浜田さん。

会社の従業員は300人を超え、昨年度の売り上げは138億円と、県内随一の酒造メーカーにまで成長しました。
稲盛さんが亡くなって半年あまり。

浜田さんは、今後も地元で稲盛さんから受けた教えを反すうしながら焼酎を追求し、世界に広げたいと考えています。

「誰にも負けない努力をする」「思いやりの心で誠実に」

稲盛さんの経営哲学は、一見すると当たり前のことばかりのようにも思えます。

この疑問を取材で出会った経営者たちに投げかけたところ、「当たり前のことだけれども、毎日真剣に向き合って続けていくことは意外なほど難しい。それを続けてきた稲盛さんのことばだからこそ重みがある」と口々に話してくれました。

企業として、経営者としてどうあるべきか?

社会からの要請に、どう応えていくのか?

企業に対して、さまざまな問いかけが投げかけられているいまの時代。

稲盛さんの言葉は、1つの道しるべになっているのかも知れません。
鹿児島放送局記者
古河美香
2004年入局
長崎局を経て2009年から鹿児島局勤務
現在は経済や教育を担当
鹿児島放送局ディレクター
細川雄矢
2020年入局
報道局「ニュース7」「おはよう日本」を経て鹿児島局へ