認知症になってからも心豊かに生きていくために

認知症になってからも心豊かに生きていくために
高齢者の5人に1人が認知症になると推計されている2025年。その時まで、あと2年に迫っています。

認知症と診断されると、多くの人が「もう何もできない」と自信を失い、今までの仕事や楽しんでいた趣味を諦め、ひきこもりがちに… そんな、認知症に対する“心の中にあるバリア”を打ち破る取り組みが、今、注目されています。

認知症になってからも心豊かに生きていくためにどうすればいいかを考えます。
(NHKスペシャル『認知症バリアフリーサミット』取材班)

認知症の人が抱える“心の中のバリア”

現在、日本における65歳以上の認知症の人の数は約600万人(2020年)と推計されており、年々増え続けています。

認知症の人やその家族などが抱えてしまうのが、「認知症になったら何もできない」という心の中のバリアです。

実際に、認知症当事者への全国規模のアンケートでも、7割近い人が「買い物などの外出や交流の機会が減った」と答えています。

その結果、早期に症状が進行してしまい、結果的に家族の介護負担を増やし、さらには社会保障費の増大にもつながる… そんな“負のスパイラル”があることは、長年、専門家からも指摘されてきました。
こうした中、今、全国各地で広がっているのが“認知症バリアフリーなまちづくり”です。

共通するポイントは、“本人の声” を第一に考えることです。

そして、家族やボランティアは一方的に支援するのではなく、一緒に楽しみながら苦手なことだけを手助けすることが大切だといいます。

認知症になると難しくなりがちな「買い物」について、本人の声から始まったユニークな取り組みを紹介します。

「買い物を諦めたくない…」当事者たちの切実な声

誰もがずっと当たり前に楽しんでいた「買い物」。

それが、認知症になることでとたんに難しくなる。

このように指摘しているのは、岩手県滝沢市で20年以上、認知症専門医として地域住民を診てきた紺野敏昭医師です。

紺野医師は、診察室で多くの当事者と出会う中で「本当は買い物をしたい。でも、ひとりでは難しいから、諦めるしかない…」といった切実な声を数多く聞いてきました。
紺野敏昭医師
「認知症の方ご本人に『もう1回買い物してみたくないですか?』って言うと、『やっぱり買い物してみたい』とおっしゃるんですよ、遠慮がちに。買い物というのは、家族を支えるために何十年とやってきた大事な家事の一つじゃないですか。それを認知症の症状が出てきたからといって、『もう行かないで』と取っちゃうと大事な役割を失ってしまいますよね。みんなで支援して、おひとりで買い物する場面を取り戻せると、自分の自信とか意欲とか、家族の中での役割をもう1回再発見するとか、そういうことができるんじゃないかと、ずっと思っていたんです」
認知症になると買い物にどんな難しさが出てくるのか。

紺野医師は、病院に通ってくる認知症の当事者たち160人に「買い物での心配や困りごと」をアンケート調査しました。

すると、こんな悩みが明らかになってきました。
・広いスーパーで、どこに何があるのか、探し当てるのが難しい
・同じ商品を買いすぎて、家族に注意されてしまう
・会計でもたついてしまい、周囲に冷たい目で見られてしまう
滝沢市内に暮らす、遠藤チエさん(88)も、そんなバリアを前に買い物を諦めてしまった当事者のひとりです。
2年前、86歳の時に、アルツハイマー型認知症と診断されると、外出する機会が激減。

通い始めたデイサービスも気分が乗らずに休みがちになり、夜も眠れないなど身体の不調を訴えることも多くなりました。

すっかり引きこもりがちになった母の様子に、娘の千賀子さんは何度も「外に出よう」と声をかけ続けてきました。
娘 千賀子さん
「いつもふさぎこんでいるような感じで、ベッドに横になっている。『外に行こう』『買い物にも行こう』って誘っても全然行こうとしない」

“本人の声”から生まれた 買い物レボリューション

しかし、そんな遠藤チエさんが、去年(2022年)の秋から、再び地元のスーパーマーケットに通うようになりました。

その理由が、“認知症になっても買い物を楽しめるように”と、紺野医師が始めた「スローショッピング」という取り組みでした。

一体どんな秘密が隠されているのでしょうか。
開催は毎週木曜日の13時~15時。

取材した日は、6組の認知症の人と家族が続々と集まってきました。

そして、この取り組みに欠かせない「パートナー」と呼ばれる住民ボランティア14人が加わります。
早速、遠藤チエさんみずからカートを押して夕飯の買い出しをスタート。

チエさんの脇を固めるのは2人の“パートナー”です。

たわいない会話をしながら必要な時に買い物をするうえでのバリアを解消してくれるのです。

チエさんが、最初に探し始めたのはカレーやシチューのルー。

しかし、広い店内で目的の商品がどこにあるか、簡単には見つからず戸惑っていました。

すると…
パートナー
「ここがね、シチューなんですよ」
遠藤チエさん
「ああ、そこか」
困ってしまった時は、パートナーが商品棚の場所をさりげなく案内してくれます。

ほかにも、調味料など商品の種類が多すぎてうまく選べないときには、選びやすいようパートナーが商品を絞って提案してくれます。
パートナー
「あっさり塩味、昆布だし、やさしい塩味、どれがいい?」
さらに、同じ商品を買いすぎてしまいそうになった場合は、パートナーが優しく指摘してくれます。

これで、買いすぎて家族に怒られる心配もありません。

“本人の声”が生む レジや売り場の改善

商品をじっくり選ぶことができても、安心はできません。

認知症の人たちにとって最大のバリア、“会計”が待ち構えているからです。

会計でモタついてしまい、“周りに迷惑をかけてしまった”と自分を責め、買い物をやめてしまう当事者は後を絶たないというからです。

発起人の紺野医師は、「スローショッピング」の開始にあたって、会計のバリアをどうにかしたいとスーパーに相談しました。

すると、ある工夫をしてくれることになりました。

それが、「スローレジ」と呼ばれる認知症の人の優先レジです。

会計で手間取りどれだけ長い列になっても、ここでは周りの目を気にする必要はありません。

ゆっくりと自分のペースで会計ができるのです。
スーパーにとっても、「スローショッピング」は大きなメリットになっています。

回を重ねる中で次第に集まってくる認知症の人たちの声が、売り場の改善への大きなヒントになることに気付いたのです。

例えば、認知症の人にとって文字だけの案内掲示は分かりづらいと知り、一目見て分かりやすいイラストを付けました。

さらに、高齢者は目線が下がりやすいことから、掲示は床にも表示しました。
すると、結果的に高齢者だけでなく、車いすの人や子どもからも評判がよく“誰にとっても使いやすい売り場”に進化していったのです。

一番大切なことは“助けすぎない”こと

2019年にスタートした「スローショッピング」。

開催回数は140回以上、参加者はのべ2800人を超えました。

この間、失敗を繰り返しながら、当事者がショッピングを楽しむための、一番大切にすべきことが見えてきたといいます。

それは、決して“助けすぎない”こと。

実は、「スローショッピング」を始めた当初は、パートナーが買い物のメモをとってしまったり、“よかれ”と思って商品選びをどんどん進めてしまったりしていました。

パートナーにとっては善意のつもりでも、実はそれが本人のできることを奪ってしまう結果になっていたのです。

その反省から、今では、どんなに買い物に時間がかかっても、売り場を行ったり来たりしてしまっても、困った時以外は助けすぎません。
紺野敏昭医師
「やっぱり、自分で決められることは自分で決めたいと皆さん思っています。何でもかんでも助けてもらうことが希望ではない。できないことは助けてもらいたいけど、できることは自分でやりたい。買い物するという行為自体が、自分が主体になってやっているということを実感する行為だと思うんですよ。“自分の好みとかに合わせてどれを選ぼうか”と選択する喜び。“ちょっと不安だけど、思い切ってレジをひとりでやってみようか”という冒険心。“心配だったけど、ちょっと助けてもらったら全部できた”という満足感を得ることができる」
紺野敏昭医師
「認知症の方ご本人が『自分でまだできるよな』と思うと、うれしそうな顔をされるじゃないですか。あれが本能的な心の動きだと思います。可能性がいっぱいあるんだなと、教わることばかりです。その可能性を、尊重しなきゃいけないなと思います。実は、本人がイキイキと買い物を楽しめることは、パートナーたちにとってのやりがいにもつながっているといいます」
パートナー 浅沼英美さん
「やっぱり笑顔を見たときにおもしろいなというか、うれしい。今までは会計そのものができなかった人が、ある日突然会計をやってみたいとおっしゃったり。認知症だからといって何でもやってあげるということではなく、やれない部分をわれわれがお手伝いして、やれていなかったことがまた復活するようなこともあることが、非常にうれしいです」

再び湧いてきた 暮らしの意欲

紺野医師によると、「スローショッピング」の参加者は、買い物を通して自信を取り戻し、日常の暮らしにも良い影響が出てくる人も多いそうです。

遠藤チエさんもそのひとりです。

認知症になって以来、すっかり台所に立つことがなくなっていたチエさん。

しかし、「スローショッピング」に参加するようになってから、料理の手伝いをかってでるようになりました。

取材中、娘の千賀子さんがうれしそうに1枚の写真を見せてくれました。

それは、母娘で一緒に山登りにいった時の写真です。
もともと、チエさんは山登りが大好きでした。

若い頃には他界した夫と一緒に、ヨーロッパのマッターホルンを登りに行くほどでした。

そんな登山も、認知症になってからは興味すらなくなってしまいました。

ところが、去年11月、千賀子さんが久々に山登りに誘うと、「登ってみたい」と答えたのです。

岩手と秋田にまたがる標高1600mの八幡平の頂上まで登り切りました。

山で撮ったチエさんの満面の笑みの写真。

千賀子さんは、今まで介護の悩みを相談してきた友人たちにも喜びを伝えたくて、この写真で年賀状を作りました。
娘 千賀子さん
「『スローショッピング』に行ってから意欲が戻ってきました。外に出るのがおっくうじゃなくなった。山を登り切って、私もうれしかったです。こんなに動けるんだと思って。ちょっとずつ変わってきています。自分に自信が出てきたんでしょうね。やったって感じですね」
認知症になってからも、“できること”はまだまだたくさんある。

行政や福祉関係者、ボランティア、みんなで一緒に楽しみながら必要なことだけサポートすることで、本人の力でもっともっとイキイキと暮らして、家族の生きやすさにもつながっていく。

“本人の声“を大切にしながらのまちづくりは今、日本各地で広がっています。
プロジェクトセンター ディレクター
鈴木 洋介
2010年入局
東日本大震災の被災地や、障害者福祉、労働問題などを取材
情報番組やドキュメンタリー番組などを制作
プロジェクトセンター ディレクター
川 恵実
2015年入局
これまで福祉分野などの社会問題についてドキュメンタリーを制作