国民保護法に詳しく今回の訓練で講評を行った国士舘大学の中林啓修准教授は、国民保護の取り組みについて「万が一のときに国や地域として住民の安全の確保に何の準備もありませんでしたというわけにはいかない。困難があるのは自覚したうえで準備をしておくことは必要だ」と述べました。
そのうえで「戦争に引きずり込まれない、日本が戦争の当事者にならないような努力を最大限やっていくということと、訓練を行うことは決して矛盾するものではないし矛盾させてもいけない」と指摘しました。

沖縄 武力攻撃想定の図上訓練 先島諸島からの避難手順を検討
有事の際に住民を避難させるための国民保護の取り組みが進められる中、沖縄県で武力攻撃が起きる事態を想定した図上訓練が初めて行われ、台湾に近い先島諸島などから県外に避難する手順が検討されました。
17日、沖縄県庁で行われた訓練には、石垣市や宮古島市など先島諸島の自治体、それに消防や警察、内閣官房などが参加しました。
訓練は、日本周辺の情勢が悪化し、政府が先島諸島の市町村を今後「県外避難」が必要な地域に指定する可能性があるという想定で始まりました。
県と市町村の担当者たちが当面の対応を話し合い、各市町村が避難誘導の方法や経路について検討を始めることや、県が輸送力の確保に向け交通事業者との調整に動き出すことを確認していました。
その後、沖縄本島は屋内避難、先島諸島のおよそ12万人は九州に避難させる方針が決まり、県は増便や定員の拡大が最大限行われた場合、輸送力をふだんの2.36倍に増やせるとの試算を示しました。
このあと、それぞれの市町村が島外への避難ルートを報告しました。
訓練は、県が住民の避難に取りかかるまでのプロセスを時系列に沿って確認したもので、県防災危機管理課の池原秀典課長は「課題は山積していて、今回の訓練でもすべてができた状況ではない。九州など避難先の自治体との連携の確認など今後、検討すべき内容は多い」と話していました。
国民保護法に詳しい専門家「困難を自覚し準備が必要」

日本最南端 約500人暮らす波照間島は
日本最南端の有人島、沖縄県の波照間島は竹富町の島々の一つで、およそ500人が暮らしています。
去年8月、中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を行った際には、島の南西およそ110キロの日本のEEZ=排他的経済水域内にミサイルが落下しました。
今回の訓練で示された避難計画案では、島の住民は1時間余りかけて定員180人と定員97人の高速船を使って石垣島に移動し、その日のうちに新石垣空港から飛行機で九州に向かうことになっています。
しかし、外洋を航行するためふだんも欠航になることが少なくなく、多い月でおよそ半数の便が欠航することもあります。
波照間公民館長の仲底善章さんは「図面上の訓練ならできるかもしれないが、実際は大変じゃないか。また、島が攻撃対象になるとは思えず、自衛隊基地がある石垣島のほうがかえって怖い」と話しています。
また、波照間島には太平洋戦争末期の沖縄戦で住民の避難をめぐるつらい歴史があります。
戦時中、波照間島の島民およそ1500人は、旧日本軍の命令でマラリアがまん延する西表島に強制的に疎開させられ、3分の1に当たるおよそ500人がマラリアに感染して亡くなりました。
この歴史は今も島で語り継がれていて、小中学校の塀には西表島に避難しマラリアで亡くなっていった子どもたちをテーマにして作られた歌の歌詞と絵が描かれています。
仲底さんは「軍令に基づいて『住民を守る』ということで避難させたが結果的には鉄砲の弾で死ぬよりもマラリアで死んだ人が多かった。結局、いまやってる国民保護法で移動させるということも、もしかすると、戦時中、アメリカ軍に撃沈された疎開船「対馬丸」みたいになるんじゃないか」と話していました。
去年8月、中国が台湾周辺で大規模な軍事演習を行った際には、島の南西およそ110キロの日本のEEZ=排他的経済水域内にミサイルが落下しました。
今回の訓練で示された避難計画案では、島の住民は1時間余りかけて定員180人と定員97人の高速船を使って石垣島に移動し、その日のうちに新石垣空港から飛行機で九州に向かうことになっています。
しかし、外洋を航行するためふだんも欠航になることが少なくなく、多い月でおよそ半数の便が欠航することもあります。
波照間公民館長の仲底善章さんは「図面上の訓練ならできるかもしれないが、実際は大変じゃないか。また、島が攻撃対象になるとは思えず、自衛隊基地がある石垣島のほうがかえって怖い」と話しています。
また、波照間島には太平洋戦争末期の沖縄戦で住民の避難をめぐるつらい歴史があります。
戦時中、波照間島の島民およそ1500人は、旧日本軍の命令でマラリアがまん延する西表島に強制的に疎開させられ、3分の1に当たるおよそ500人がマラリアに感染して亡くなりました。
この歴史は今も島で語り継がれていて、小中学校の塀には西表島に避難しマラリアで亡くなっていった子どもたちをテーマにして作られた歌の歌詞と絵が描かれています。
仲底さんは「軍令に基づいて『住民を守る』ということで避難させたが結果的には鉄砲の弾で死ぬよりもマラリアで死んだ人が多かった。結局、いまやってる国民保護法で移動させるということも、もしかすると、戦時中、アメリカ軍に撃沈された疎開船「対馬丸」みたいになるんじゃないか」と話していました。