震災と原発事故から12年 “外部パワー”が支える復興

震災と原発事故から12年 “外部パワー”が支える復興
東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から12年。福島県では、事故に伴って出された避難指示の解除が徐々に進んで、広い範囲で住民が帰還できるようになりました。しかし、地域や暮らしを以前のように取り戻せたとは言えない状況です。取材を進めて見えてきたのは、“外部パワー”が復興のカギとなっている実態でした。(福島放送局記者 藤ノ木優 橋本央隆)

31歳の若者が

福島県北部沿岸、南相馬市の南側に位置する小高区。福島第一原発からおよそ10キロの場所にあります。
原発事故のあとおよそ5年にわたって避難指示が出され、一時、すべての住民が避難しました。
この土地で酒造りを始めた若者がいます。佐藤太亮さん(31)、埼玉県出身で3年前にこの地に移り住みました。
地元のコメを使った日本酒に、ビールの原料の1つであるホップを混ぜたオリジナルの酒を開発。フルーティーで飲みやすく、新感覚の味わいが話題となりました。

醸造所の一角には、お酒と食事を楽しめるスペースも設けました。小高区では数少ない飲食を楽しめる場所です。
地元の女性客
「お酒を通して地元にこれだけの人が集まってくれてるのも今までないことだったので、すごくうれしいです」
地域の活動にも積極的に参加しているという佐藤さん。

原発事故で、いったんすべてが失われた土地だからこそ、さまざまな人を受け入れようという寛容さがあると感じています。
佐藤太亮さん
「もといた住民も避難して、戻ってきた経験をされているので、新しく移住してくる人たちに対して、すごく応援してくれる空気がある。特別なできごとがあった地域で酒蔵を営ませていただいているので、100年200年、ここで続けていくことを本気で目指しています」

復活のカギは“外部パワー”

小高区では、2016年7月に避難指示が解除されてから徐々に住民が戻ってきましたが、ほぼ3年で「頭打ち」に。

ことし1月時点の地区の人口を震災前と比べると、およそ30%にまで減っています。
避難先への定着も進み多くの帰還を期待するのが難しくなっている中で、市は佐藤さんのように、それまでつながりの無かった人を呼び込むことに力を入れています。

地元のまちづくり団体と連携して、起業を目指す人に事業費を補助し、事業所や住む場所を紹介するなどサポートを続けました。その結果、これまでに7人が小高区で事業を始め、定着しているといいます。

南相馬市全体でみても、外部から移住してきた人は2021年度で229人。前の年度の2倍以上に増えています。

今後の街作りを考えるうえで、新たな移住者を呼び込むことが欠かせなくなっているのです。

農業再生にも

外部パワーを農業の復興に生かそうと取り組んでいるのが、隣の浪江町です。
浪江町で営農が再開されたのは、避難指示が一部で解除された6年前。

大きな力になっているのは、町外の企業や団体です。

このうち、棚塩地区でコメ作りを行っているのは、町が誘致した宮城県の企業。2019年から参入し、今では50ヘクタールにまで拡大しました。
この会社では、今後さらに耕作面積を広げるとともに、地元の農家に対しても技術や販売面で支援していきたいとしています。
志子田勇司さん
「私たちがやれる姿を見せて、農家さんに帰還や農業の再開を促したい。ここ5年以内で2倍、10年後にはさらにその2倍の200ヘクタールを目指したい。もちろん我々だけではできませんので、地元の農家のみなさんに協力してもらいながら作付面積を拡大していければ」
NHKは今回、原発事故で被災した12市町村を対象に、アンケート調査を行いました。
その結果、住民帰還が進まない現状や農家の高齢化などを理由に、浪江町をはじめ8市町村が、「農業の復興に外部の企業や法人の参入が必要」と答えました。

外部パワー借りつつも…

アンケートで「農業の復興に外部の力が必要」と答えた楢葉町も動き始めています。

震災前の7割にとどまっている営農面積を元に戻し、農業を再生していくために大阪の食品会社と連携したのです。
今、力を入れているのが、さまざまに加工でき、商品価値も高いサツマイモの栽培です。企業から栽培のノウハウを吸収して生産力を高めつつ、大口の売り先も確保できます。

町では、この連携をきっかけに、サツマイモを新たな主力の特産品に育てようともくろんでいます。

5年前に町に戻った農家の猪狩一さん(68)。企業が牽引役となりつつ住民が主役となるこの取り組みに共感し、参加を決めました。
これまでサツマイモを栽培した経験はありませんでしたが、食品会社と地元のJAが定期的に開く勉強会で、栽培技術や病虫害の防ぎ方などを学んでいます。

猪狩さんはまだ、経験が浅く試行錯誤の段階ですが、栽培が始まる2月末には、仲間の農家と情報交換しながら苗作りに励んでいました。
猪狩一さん
「1人でやるより2人、2人より4人と増えていけばそれなりに情報もあるし。地域のコミュニティーがよくできると思うんですよ。戻ってきた人たちが生き生きして、楽しく生活することが一番の復興なのかな」
取り組みが始まった5年前には3人だったサツマイモ農家が、今では40人にまで増えました。

本当の復興とは

広辞苑によると、『復興』の意味は、「ふたたびおこること。ふたたび盛んになること」とされています。

ただ、その担い手が“もといた人”である必要はありません。

本当の復興の姿とは何なのか。

12年たって、被災地に戻る住民が限られ、担い手を十分確保できないなか、外部の力を借り、あるいは協力しあうことが、復興の原動力になるよう、今後の広がりに期待したいと思いました。
福島放送局記者 
藤ノ木優
2009年入局
初任地の福島局で東日本大震災を経験
科学文化部で新型コロナなど医療や科学分野の取材を担当
2022年から再び福島局勤務
福島放送局記者
橋本央隆
福島市出身
南相馬支局に勤務していた時に東日本大震災と原発事故が発生
以後震災取材を継続し、現在はいわき支局に勤務