走行距離100万キロ 走ってみたらどうなった?

走行距離100万キロ 走ってみたらどうなった?
走行距離100万キロの先には?

車を買い替える目安ともされる走行距離をはるかに超え、1台の車に乗り続けている人がいます。

その車の走行距離を示すデジタルの数字が、ついに99万9999キロに。この数字、実に地球およそ25周分にあたります。

(松山放送局宇和島支局 山下文子)

移動手段はすべて車

その車の持ち主は高松市在住の鉄道カメラマン、坪内政美さん(48)である。カメラマンとしての経歴は20年。

活動範囲は四国にとどまらず北から南まで全国を駆け巡っている。

「鉄道カメラマンなんですけど、乗り物に弱くって」と笑う坪内さん。撮影のための移動はすべて自家用車だ。
相棒に選んだのは、日産セドリック。平成9年製で排気量2500ccのセダン車だ。16年前、2500キロしか走っていなかった中古車を購入し、それ以来乗り続けている。

車にはカメラ機材のほかに毛布を詰め込んで現地へ赴く。車内で夜を越し、明け方の鉄道風景を撮影したり、時には脚立代わりにセダンの屋根の上に立って撮影をすることもあるという。
一般的な自家用車の年間の走行距離は1万キロと言われている。

業界では10万キロが車を買い替える目安だという話も聞くので、99万キロを超えたというのは相当珍しいと言える。まさに桁違いだ。

数々のトラブルもあった

しかし、ここまでの道のりは、決して平たんだったわけではない。

九州で70万キロを超えた時、トランスミッションが全く動かなくなるという不具合に見舞われた。前進はするけれど後進にギアが入らない。

どうやって四国に帰るのか。

そんなピンチを救ってくれたのが、長年、車をメンテナンスしてくれている高松市にあるディーラーの整備担当メカニック、中島明巳さん(62)だ。
九州で困っている坪内さんからの連絡を受けて、中島さんは朝一番に四国側のフェリー乗り場がある愛媛県八幡浜に積載車を運転して駆けつけてくれた。

「愛車を九州に残して自分だけ帰ることはできない。八幡浜港で中島さんの笑顔を見て、ああ助かったと思いました」と坪内さんは振り返る。

トランスミッションは交換することになったもののエンジンは一度も交換していない。オーバーホールもしたことがないという。
日産が生み出したこのVQエンジン音を聞くと、新品と比べると多少のノイズはあるものの、いたって調子が良いのだ。

ほかにも細かい部品交換が必要になり、特に古い部品の調達は時に困難だ。

だが、その苦労が2人の絆をさらに深め、共に同じ目標を目指していくことになる。
中島さん
「年数もたっていますからね。全国各地の日産に声をかけて部品を探しています。部品が見つかって直った時に、どうせなら100万キロ目指しましょうよと、私から次の目標を掲げるようになっていました」

そして99万9999キロ

去年の夏にはメーターは90万キロを越え、いよいよ100万キロが視野に入ってきた。
そして年が明けた1月5日。高松市のディーラーの駐車場に積載車に載せられたセドリックがやってきた。

坪内さんは100万キロの瞬間を中島さんと見届けたいと、大台の直前で運転をやめてそのままの状態で運び込んだのだ。
車は整備工場で点検に使うローラーの上に置かれゆっくりとアクセルを踏み込む。

いよいよカウントダウンだ。表示は100万キロに変わるのか。

一同が固唾を呑んで見守る。
「むむむ」どうした。

数字は数分たっても「999999」で固まったまま動かない。明らかに1キロ以上を走っても表示は変わらなかった。

これ以上の表示が必要になると、メーカーも想定していなかったということだろうか。

「100万」の大台か「0」になると予想していた2人はそのどちらでもなかったことにずっこけていた。

それでもこの偉業達成に、ディーラーから「祝 走行距離100万キロ達成」と書かれた手作りのプレートと感謝状が坪内さんに渡された。
そこには「日産車の高い品質と耐久性、その技術を世に知らしめてくれた」と書かれていた。
坪内さん
「本当に感謝するのは、スタッフの皆さんです。皆さんのおかげで100万キロを達成できました」
この日は新年最初の営業日でもあり、店内はお祝いムードに包まれた。

まだまだ現役

この車はあとどのくらい走れるのだろうか。

坪内さんと中島さんが真剣な表情でエンジン音に耳をそばだてていた。アクセルを踏んで吹き上がりを確認している。
坪内さん
「機嫌が悪いとすぐにわかるんですよ。あ、どこかおかしいなと。ちょっとした変化でも気が付くとすぐに中島さんに電話します」
中島さん
「そのおかげで、大事になる前に修理できることもあるんですよ。ちょっとした気付きでも早めに言ってもらえるので対応できます」

記録更新は続く

100万キロ達成がニュースになってしばらくあと、坪内さんのもとに中島さんを通じて日産本社から連絡があった。

100万キロを走ったエンジンがどういう状態なのか調べるため「エンジンを分解してみたい」というリクエストだった。
しかし、坪内さんは相棒のいわば心臓部分を持って行かれるような気持ちになったため、丁重にお断りしたという。

3月現在、車のメーターは止まったままだが坪内さんは相変わらず愛車に乗って全国を駆け巡っている。

車検には走行距離を記載する必要があるため、1000キロまで記録できるトリップメーターで確認しては紙にメモを取っているとのこと。
聞けばすでに10回以上回転しているというのでもう1万キロを超えたということになる。

坪内さんの運転席をよく見ると、ハンドルがすり減っているのがわかる。
ざらざらとしたハンドルを快適に握るため、運転時には坪内さんはいつも革の手袋を装着している。

運転席のシートは坪内さんの体型にあうように深く沈み込んでいる。

ふと、アメリカのテレビドラマを思い出した。

1980年代に放送された「ナイトライダー」のドリームカーだ。
言葉をしゃべる機能こそないけれど、きっと坪内さんにとっては、100万キロを超えてもなお相棒としての存在は変わらない。

そんな車に出会えたということが、私はうらやましくてたまらない。

100万キロを共有した車との思い出は、数知れず、きっと語り尽くせないほどあることだろう。
坪内さん
「私のわがままを聞いて、ここまで付き合ってくれて、酷使してごめんねという気持ちもありますが、エンジンがどこまで持つのか、できるかぎり乗り続けたい。なくてはならない存在ですから。これからも中島さんやスタッフに力を借りたいと思っています」
松山放送局宇和島支局
山下文子

2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。
鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。
実は覆面レスラーをこよなく愛す。