【動画】3.11 東日本大震災12年 きょう一日の動き

【動画】3.11 東日本大震災12年 きょう一日の動き
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で12年。
犠牲となった人を悼む、追悼の一日です。
各地の様子などを動画でお伝えします。

仙台 青葉区 16:30すぎ 追悼キャンドルナイト

「キャンドルナイト」は、震災で犠牲になった人を追悼し風化を防ごうと仙台市内の高校生たちが中心となって毎年開かれていて、仙台市青葉区の勾当台公園市民広場ではろうそくが入った紙コップおよそ2000個が並べられ「未来へ」という文字がキャンドルで作られています。

トルコ 14:46 「ともに黙とう」

2月6日の大地震で大きな被害を受けたトルコ南部では日本の国際緊急援助隊の医療チームと通訳ボランティア、それに地元の医療従事者などおよそ80人が東日本大震災が起きた日本時間のきょう午後2時46分にあわせ、黙とうをささげました。

福島 双葉町 14:46 生後まもなく原発事故で避難生活を

双葉町の沿岸部に3年前に完成した産業交流センターでは、ウクライナ出身の演奏家、
カテリーナさん(36)が楽器を奏でながら歌声を響かせました。生後まもなく、チョルノービリ原発事故が発生して避難生活を余儀なくされたカテリーナさんは19歳のときから日本に移り住んでいて、双葉町の住民と交流を続けています。

宮城 名取 14:30すぎ 「命を守ってあげられなくてごめんね」

宮城県名取市の閖上中学校では、帰宅した生徒ら14人が津波で犠牲となりました。
3月で定年退職となった八森伸さん(60)。発災当時、閖上中学校の教務主任でした。
生徒に津波の恐ろしさを教えてこなかったことを後悔し、再建された閖上小中学校の初代校長として赴任して防災教育に力を入れてきました。
11日、風船に亡くなった子どもたちへのメッセージを書いて飛ばしました。

岩手 釜石 鵜住居町 14:46 老舗旅館で祈りの風船

岩手県釜石市鵜住居町にある旅館「宝来館」は、津波で2階まで浸水し、旅館にいて亡くなった人はいなかったものの、自宅に戻った従業員が亡くなりました。
11日はおよそ100人が集まり、全員で黙とうのあとに風船を一斉に飛ばしました。

宮城 石巻 日和山 14:46 日和山で追悼のサイレン

地震が発生した午後2時46分に追悼のサイレンが鳴り響くと訪れた人たちは海に向かって1分間、祈りをささげていました。
石巻市では、東日本大震災で「関連死」を含めて県内で最も多い3500人以上が亡くなり、県によりますと今も417人の行方が分かっていません。

岩手 宮古 田老地区 14:46 防潮堤で追悼

宮古市の田老地区では、震災前、「万里の長城」とも呼ばれる国内最大級の防潮堤が
整備されていましたが、津波が防潮堤を乗り越えて押し寄せ、181人が犠牲となりました。
その後の復旧工事で高さ14点7メートル、全長1点2キロの新たな防潮堤が2021年完成し、11日はこの防潮堤の上におよそ300人が集まりました。このあと田老第一小学校の児童が「希望」や「復興」などと記した、たこをあげました。

東京 銀座 14:46 鎮魂の鐘

東京・銀座では中心部にある時計塔で地震が発生した午後2時46分に合わせて1分間、鐘を鳴らし、震災の犠牲者を追悼しました。鎮魂の鐘を鳴らす追悼は震災の翌年から
毎年行われていています。

宮城 石巻 渡波長浜海岸 14:46 入門する双子の高校生

震災で519人が犠牲になった石巻市渡波地区で生まれ育った双子の高校生、飯野錬さん(18)と禅さん(18)は、4月、大相撲の伊勢ノ海部屋に入門します。
発災当時、2人は6歳で、津波の光景を思い出して泣き出してしまうこともありましたが、地域の人が励ましてくれたということです。

宮城 南三陸町 14:46 “移りゆくふるさと”の景色を撮影

町内で写真館を営むカメラマンの佐藤信一さんは、震災の発生後、毎年3月11日に町の姿を写真におさめていて、きょうも移りゆくふるさとの景色を撮影しました。

宮城 仙台 若林区荒浜 14:46 風船およそ1000個を

荒浜小学校は震災当時、津波が校舎の2階まで押し寄せ、校舎に避難した児童や住民は
全員救助されましたが、周辺の地区でおよそ200人が犠牲になりました。
11日は地域の人たちが集まり、午後2時46分に祈りをささげたあと、マリーゴールドなどの花の種を入れた色とりどりの風船およそ1000個を一斉に空に放ちました。

福島 相馬市 原釜地区の海岸 14:30ごろ 「木の葉流し」

県によりますと、相馬市では12年前の津波などで458人が犠牲になっていて、11日は
遺族などおよそ200人が集まりました。
「じぃちゃん元気でね」とか「亡くなった人の分まで強く生きます」など、亡くなった家族へのメッセージなどを書き込み、木の葉を海に浮かべ、犠牲者を悼んでいました。

宮城 南三陸町 志津川 14:30 亡き夫の最期の場所で

当時、南三陸町に住んでいた佐藤せつ子さん(67)は、南三陸消防署の指揮隊長として住民の避難誘導などにあたっていた夫の武敏さん(当時56歳)を津波で亡くしました。
せつ子さんは11日、夫の最期の場所となった消防署がかつてあった場所を訪れ、いつも持ち歩いている小さな仏壇に花を供え手を合わせました。

宮城 石巻 南浜町 14:00すぎ 行方わからぬ母の自宅跡で

石巻市出身で東京に住む八島慎治さん(56)の母の美代子さん(当時75)は、市内の南浜町に住んでいましたが12年前の津波で行方がわからないままです。
母の自宅があった場所は、現在は石巻南浜津波復興祈念公園の一部になっていて、11日八島さんは家族と公園を訪れ、自宅があった場所に祈りをささげました。

宮城 東松島 大曲 13:00 青いこいのぼり280匹を掲げ追悼

この追悼行事は、東松島市で被災し当時5歳だった弟を亡くした男性が弟が好きだった青いこいのぼりを自宅の前に掲げたことをきっかけに始まり3月11日に毎年行われているものです。亡くなった子どもたちが天国で寂しい思いをしないようにという思いが込められています。

静岡 駿河区 12:50 プロ野球の楽天が犠牲者に祈り

東北を拠点とするプロ野球の楽天は、遠征先の静岡市でロッテとのオープン戦に臨み
試合前に両チームの選手たちが祈りをささげました。

宮城 気仙沼 12:00 震災遺構で高校生らが語り部活動

気仙沼向洋高校の旧校舎は最上階の4階まで津波が押し寄せ、3階には流された車が突っ込んだまま保存されるなど震災遺構として公開されていて、11日は、地元の高校や中学校の生徒など20人以上が訪れた人たちに語り部活動を行いました。

福島 富岡町 10:00 初めての捜索

福島県川内村出身の秋元 怜さん(19)は、原発事故の影響で県外に避難しました。
地域のために役立ちたいと考えて去年から双葉郡を管轄する消防本部で働いています。消防署員となって初めての3月11日、同僚や地元の消防団員などあわせておよそ40人で富岡漁港の周辺に出て今も行方が分からない人の捜索にあたりました。

岩手 釜石 鵜住居地区 10:00 「芳名板」には1002人の名前

釜石市の追悼施設、「釜石祈りのパーク」には、市内の犠牲者のうち遺族が同意した1002人の名前が記された「芳名板」が設置されています。
家族3人で献花に訪れた市内の20代の男性は、「この地区に住んでいた祖母を津波で亡くしました。時間が経っても気持ちの整理はつきません」と話していました。

宮城 山元町 中浜小学校 9:30 “記憶を伝える”18歳の語り部

山元町の中浜小学校は、高さ10メートルを超える津波に襲われ、2階建ての校舎の天井近くまで浸水しましたが、児童や住民など90人は屋上にある屋根裏倉庫に避難して全員助かりました。
語り部をしている「やまもと語りべの会」の阿部泉人さん(18)は「後世に伝えていきたいという思いで話しました。防災に対する意識が高まってほしいなと思います」と話していました。

宮城 岩沼 9:30 津波により教え子を亡くした69歳の語り部

県によりますと、岩沼市は津波で市内のほぼ半分の範囲が浸水し関連死を含めて180人以上が亡くなりました。岩沼市内の高校で非常勤講師を務める青木孝豪さん(69)が語り部の活動を行いました。
青木さんは震災当時、県内の高校の教諭で、津波により教え子を亡くしました。

宮城 女川町 8:30 復興への「黄色いハンカチ」

震災で800人以上が犠牲になった宮城県女川町では、復興へのメッセージなどが書かれた黄色いハンカチおよそ900枚が、駅前の広場に掲げられました。
この取り組みは、震災の記憶の風化を防ごうと女川町の有志が映画「幸福の黄色いハンカチ」にちなんで5年前から行っています。

岩手 大槌町 吉里吉里地区 7:00 ごろ 海に向かって祈り

この地区に住む山崎テミ子さん(80歳)は、津波で同級生の行方が今もわかっていないといいます。けさは近所の子どもと一緒に海まで歩き、海に向かって手を合わせていました。

岩手 釜石市鵜住居 根浜海岸 7:00 ごろ 「追悼の花火を」

岩手県釜石市の鵜住居地区では、津波で580人が犠牲となりました。
岡本幸喜さん(29)は、「今夜、この海岸で仲間たちと一緒に追悼の花火を打ち上げる予定で準備のために訪れました。12年はあっという間でしたが震災を知らない世代が増えているので、『災害は起きるんだぞ』ということを伝えていきたいです」と話していました。

岩手 陸前高田 6:00 ごろ 「奇跡の一本松」への思い

震災の犠牲者を追悼する「高田松原津波復興祈念公園」を訪れていた橋本義昭さん(71)は昇る朝日とともに震災の津波を耐え抜いた「奇跡の一本松」を写真におさめていました。
橋本さんは震災直後から陸前高田市などで炊き出しなどのボランティアを行い「奇跡の一本松」の保存事業にも携わったということです。

福島 相馬 尾浜地区 6:00ごろ 語り部として避難の大切さを

五十嵐ひで子さん(75)は、12年前の津波で夫の利雄さん(当時67)と同居していた叔父の2人を亡くしました。五十嵐さんは、津波の恐ろしさや避難の大切さを伝えようと、語り部として活動しています。

宮城 名取 閖上地区 6:00ごろ 海に向かって祈り

朝早くから訪れた人たちが、海に向かって祈りをささげていました。宮城県によりますと、名取市では、震災で、関連死を含めて954人が亡くなり、38人の行方がいまもわかっていません。

岩手 宮古 田老地区 6:00ごろ 地震と津波を想定した避難訓練

岩手県宮古市の田老地区では、午前6時ごろ、市民を対象に大津波警報を伝える防災無線が放送されると、自宅を出た人たちが近くの高台へと避難を始めました。

千葉 旭 6:00「最大で7.6メートルの津波が」

千葉県旭市では早朝から海岸に足を運び、思いをはせる人たちの姿が見られました。
最大で7.6メートルの津波が押し寄せた旭市では震災関連死を含めて14人が亡くなり、2人が行方不明となっています。

宮城 南三陸町 5:30ごろ 旧防災対策庁舎の前で

800人以上が犠牲となった宮城県南三陸町の「震災復興祈念公園」には県外からも人が訪れ朝早くから祈りをささげる人の姿が見られました。公園を訪れた人たちは、43人が犠牲になった旧防災対策庁舎の前で手をあわせたり、お経を唱えたりして、祈りをささげていました。
旧防災対策庁舎で多くの同僚を亡くしたという40代の町職員は「親しくさせていただいた諸先輩方をこの庁舎で亡くしたので祈りに来ました。天国で皆さんが見守ってくださったおかげできょうこの日がありますという 思いを込めました」と話していました。

宮城 気仙沼 5:30ごろ 1128人の名前が地区ごとに刻まれた銘板

海や中心部の町並みを見渡せる高台に作られた「気仙沼市復興祈念公園」には朝早くから多くの人たちが訪れました。公園に設置された銘板には、震災で犠牲になった人のうち家族の同意が得られた1128人の名前が地区ごとに刻まれていてます。

宮城 仙台 若林区荒浜 5:30ごろ 12年通い続ける男性の祈り

荒浜地区で生まれ育った大学敏彦さん(68)は、震災発生の当日、仕事で地区を離れていて無事でしたが、津波で自宅と実家を流され妻と両親、兄とおい、合わせて5人を亡くしました。