東日本大震災12年 津波の被災地に移住 親の期待を集めるのは

津波で甚大な被害を受けた東北の沿岸部。
12年がたち、復興工事でかさ上げが行われた土地には、ほかの地域からも子連れの家族が移り住んできています。

直接はその土地の被害を知らない、だけどわが子の命を守りたい。
小さな子どもを持つ被災地の親世代の声を取材しました。

お気に入りの土地

小学5年生の娘と1年生の息子を持つ畑田英範さん(38)。
5年前、700人以上が犠牲となった宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区に一軒家を購入し、内陸から移り住んできました。

海釣りが趣味の畑田さんにとって、閖上は釣りでよく訪れていた地域でした。
家から歩いて数分のところに津波の避難所に指定されている学校があるなど、安全面を確認したうえで移住を決めたということです。

畑田さん
「津波に関しての防災の取り組みについてはたくさん調べてから家を買いました。地域の人たちも壁はなく受け入れる体制もあって、住み心地はとてもいいです。もちろん地震があったら安全な場所に逃げなければいけないという不安はあります」

“事実の衝撃 伝え方が難しい”

一方で、閖上地区での具体的な被害について、家庭で子どもたちに伝えることは難しいと考えています。

畑田さん
「こんなに亡くなったという事実はやっぱり衝撃が大きいのかなと思います。年相応にそれを受け入れる心の準備も必要かなと。ただただ怖がらせることにならないように伝え方が難しいです。今は防災に重きを置いて、子どもたちには地震が来たら逃げるということを強く伝えています」

子どもに伝える難しさ

こうした親世代の苦悩が、NHKのアンケート調査でも浮き彫りになっています。

岩手・宮城・福島の沿岸と原発事故による避難指示が出された地域に住む20代から50代の1000人にインターネットでアンケートを行いました。このうち未成年の子どもがいる人292人に、震災のことを伝える機会があるかたずねました。

“ほとんど話さない”“話したくない”が4割

その結果、子どもが小さい人を除くと、
▽「よく話すようにしている」が8%、
▽「機会があれば話すようにしている」が52%となった一方、
▽「ほとんど話さない」が35%、
▽「話をしたくない」が6%と
あわせて4割余りにのぼりました。

きっかけがない どう伝えていいか分からない

「ほとんど話さない」「話をしたくない」と答えた人に複数回答で理由をたずねると、
▽「話すきっかけがない」が58%と最も多く、
次いで、
▽「子どもが興味を示していないと感じる」が19%となりました。
このほか、
▽「どのように伝えればいいか分からない」が13%でした。

備えていても不安も

一方で、震災の経験を伝えていても家庭の備えだけでは限界があると感じている親もいます。

震災後、閖上地区に引っ越してきた竹内宏恵さん(45)です。子どもは小学6年生と2年生、1年生の3人です。
当時、福島県相馬市に住んでいた竹内さんの長男はわずか生後1か月でした。

周囲には原発事故の影響で市の外に避難する人もいました。しかし、予防接種もしておらず3時間おきの授乳が必要な長男を連れての避難は難しいと判断して、自宅にとどまりました。

直後は自宅が断水していたほか、店が開いていなかったため友人にミルクやおむつを融通してもらっていたということで、子どもたちに当時の経験を伝えることで備えの大切さを考える機会を作っていますが、学校教育にも期待を寄せています。

“自分がいないときのために”

竹内さん
「母子家庭なので、子どもたちが家にいて私が仕事をしているときに何かあったらどうしようと思って話をしていますが、実際に大きな災害が来たらその通りにできるかは不安があります。学校の防災教育の時間でいつもやっているから、いざというときもちゃんとできるというのはあると思います」

親が頼りにしているのは

アンケートではさらに、震災の記憶を子どもたちに伝えるために重点的に行うべき手段について複数回答で聞きました。
▽「学校の授業で伝える」が最も多く、66%。
▽「震災遺構や伝承施設の活用」が51%、
▽「テレビや新聞の発信」が43%でした。

震災を知らない子どもに伝える難しさ

親からの期待が高い学教の防災教育。その現場にも変化がおきています。
小中一貫校の宮城県名取市の閖上小中学校では定期的に東日本大震災の教訓を学ぶ授業が行われています。
先月、5年生から7年生への授業を担当したのは、津波で両親を亡くし地元で語り部活動をしている格井直光さん(64)です。
子どもたちに伝える難しさは年々高まっていると感じています。

格井さん
「子どもたちは震災も知らないし、震災前の閖上も知らない。ワンクッション多くの説明が必要になってくる」

“悲しい出来事”から“学ぶもの”へ

震災のあとはみずから体験したことや感じたことを中心に伝えてきたという格井さんですが、今はそうした内容を減らして震災の教訓をなるべく客観的に伝えるようにしています。
震災を子どもたちに「悲しい出来事」として過去のものにするのではなく、「学ぶもの」として興味を持ち、今後の備えに生かしてほしいと考えたためです。
先月の授業では、1933年の昭和三陸津波の教訓が東日本大震災で生かされたかを話しました。

この中では岩手県には教訓を生かして避難訓練を続け犠牲者がゼロだった地区があった一方、閖上地区にも津波に襲われたことを伝える碑があったものの震災前はその存在を知っている人が少なかったと伝えました。

授業の最後に格井さんは「皆さんが震災のことを知って伝えてほしいし、教訓を守って次の災害に備えてほしい。避難をすれば助かるので、皆さんには生き続けてほしい」と訴えました。
授業を聞いた6年生の女子児童
「1つの大きな地震で、たくさんの被害者や心に傷を負った人がいるということと、教訓を生かして今対策をしているということが分かりました。なによりもまず自分の命を大切にして、1分1秒でも早く避難することが大事だと思いました」

“感情抑え淡々と まずは命を守るきっかけに”

格井さん
「子どもたちでもたくさん人が亡くなって悲しいということはわかるので、なるべく自分の感情を抑えて、淡々と話すようにしたほうが、素直に聞いてもらえると思います。震災を知らない子どもたちなので、まずは命を守るきっかけになれば」

“子どもたちが学び続けていくために”

社会心理学が専門で兵庫県立大学の木村玲欧教授は、子どもたちが自分の命を守れるような学びを継続的に得られる環境を作っていく必要があると指摘しています。
木村教授
「震災の教訓を子どもたちに伝承していくときに、親の方針として自分の体験をしっかり伝えていく人もいれば、あまり伝えたくない人や、震災後、ほかの地域から移住してきた人もいます。親が体験を伝えることは重要なことですが、防災教育として子どもたちが学び続けていくためには、学校はもちろん、伝承館やメディアが体系的に防災の知恵を伝え続けていく必要があると思います」