「困った人をほっとけない」無償で続けた自転車修理

「お金はいいから、いいから」そう言ってお客さんから代金を受け取らずに自転車の修理を続ける男性。

2011年3月19日に宮城県石巻市で撮影された映像には、想像を絶する被害の記録とともに、自転車を直すために手を動かし続ける1人の男性が映っていました。

朝6時に店を開くと、毎日40台もの自転車を1か月間、無償で修理し続けました。

被災から1週間あまりのこの時期に、忙しそうに動き回る、どこか前向きな姿が印象に残りました。

「寒いから中に入りな」

ことし2月2日、映像に映っていた自転車店を訪ねました。

太平洋に面した石巻市では珍しく、道路にはうっすらと雪が積もっていました。

訪れたのは午前8時すぎ。

店主の平塚功さんが「寒いから中に入りな」と温かく迎えてくれました。
12年前の映像では、厳しい顔つきで作業を続けていましたが、この日出会った時は、穏やかな表情と若々しさが印象的でした。

学校に向かう子どもたちに「おはよーさん」と笑顔で声をかける様子から、優しい人柄がうかがえます。

車は流され ガソリンも不足

石巻市は東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けました。

車は流され、ガソリンも不足していたため、被災直後の生活の足は自転車でした。

当時の映像には、流された車や家財道具が散乱する道路を自転車で行き来する人たちが映っています。

ガラスやくぎを踏んでタイヤがパンクしてしまうことが多かったといいます。

1mの津波 商品も工具も水浸し

平塚さんの店舗を兼ねた自宅は、海からは2キロほど離れたところにあります。

それでもおよそ1メートルの高さの津波が押し寄せました。

商品の自転車20台ほどが水につかり、海水をかぶった工具は使い物になりませんでした。

それでも車に残っていた工具を引っ張り出して、被災から2日後には店を再開。

パンクで困っていたお客さんが次々と自転車を持ち込んできました。
「震災直後は他の自転車屋さんはほとんど閉まっていたんだよね。朝の6時くらいから動いて一日に40台くらいは修理したかな。11回パンクを直した人もいるよ。ここから車で30分以上かかる女川とか雄勝からも、直してくれって自転車をひいてきたお客さんもいたね。」

平塚さんは当時のことを思い出しながら、ぽつぽつと話してくれました。

なんとか直してほしいと自転車を持ち込むお客さんの姿を見ていると、お金のことなど二の次だったと言います。
「困ったお客さんを助けてあげたいという気持ちで動いていただけだよね。」

このとき、平塚さんには気がかりなことがありました。

隣町の女川町で暮らす親族と連絡が取れていなかったのです。
「あのころは修理することで頭がいっぱいだったけれども、仕事が終わって家に戻るとみんなのことを思い出していました。亡くなったのはいとこたちあわせて8人です。そのうち4人は今でも見つかったって話は聞かないですね。」

親族の無事を祈りながら…

自分自身も被災して親族の無事を祈りながらも、目の前の困っている人のために動き続けた平塚さん。

なぜそこまでできたのか、疑問をそのまま平塚さんに投げかけました。

「なんでだろうね。私もよく分からないんだけど、昔からそういう感じだからね。」平塚さん自身もはっきりとした答えが出ないままのようでした。

自然と広がった支えあいの輪

平塚さんの姿を見ていた近所の人たちが、少しずつ手伝うようになりました。

ひとりふたりと仲間が増え、最終的には6人ほどでタイヤ修理や交換を行うようになりました。

およそ1か月間、代金を受け取らず、毎日持ち込まれる自転車の修理を続けました。

友人が集う“集会所”

あれから12年。

平塚さんは今も同じ場所で店を続けています。

店の柱には、あの日襲った津波と同じ1メールの高さのところに日付が書かれていました。
「ここは集会所なんだよ」と冗談交じりに言っていたとおり、午後3時になると約束でもしていたかのように近所の人たちが集まってきました。

家庭菜園の野菜に使う肥料の話。

地元の野球チームの話。
日常のささいな出来事をそれぞれが楽しそうに話します。

平塚さんはどちらかと言えばいじられ役。

「商売っ気がないんだから」と笑われても、うれしそうに、ほほみながら話を聞いていました。

平塚さんを支えた小野寺さん

友人のひとり、小野寺喜一郎さんは、当時平塚さんの店の手伝いをしていたといいます。

30年以上つきあいが続く、ご近所さんです。

震災後、娘のところに避難していましたが、自宅の様子を見るために戻ってきた時に、平塚さんの店の前に100台以上の自転車が並んでいるのを見ました。

自分にも何かできることがあるはずだと思い、平塚さんに声をかけたといいます。
「自転車を持ってくるお客さんはひっきりなしだったけど、平塚さんは修理専門で動いていて、お客さんの相手をする暇がなかったから、私が自転車の受け取り役をしていました。自分は自転車の修理はできなかったけど、困っている人のために動いている平塚さんを見ていたら自然と手伝おうって気持ちが湧いてきたね」

平塚さんの思いが伝わって、支えあい助け合う場が12年前のこの場所にあったことを改めて知りました。

踏まれても抜かれても…

近所の人たちが帰ったあと、12年前と今で変わったことを平塚さんにたずねてみました。

少し考えてから「変わったことはないかもしれないね。変わるつもりもないしね。」そのあとにこう話してくれました。

「わたし雑草っていうことばが好きなんですよ。いつも傾いていて、踏まれても抜かれても出てきますよね。それが好きなんですよ。雑草って嫌われるけど、命はあるし花も咲くからね。」

取材後記

未曽有の災害に襲われた12年前「いま自分にできることは何か」と考え、困っている誰かのために動いた人たちがいました。

「人生も自転車と同じで後ろには進めないんだよね。だから前向くしかないんだよね。」平塚さんとの話の中で印象に残ったことばです。

平塚さんのようにはなれなくても、自分以外の誰かのために動ける優しさを持ち続け、私なりの震災の伝え方をこれからも模索してきたいと思います。

(映像センター カメラマン 佐藤寿康)