逃亡したロシア兵たちが語ったこと

逃亡したロシア兵たちが語ったこと
「死ぬのが怖い」「戦争に加担したくない」
ロシアによるウクライナ侵攻開始から1年。

いま、ロシア軍を離反したいというロシア兵の声が、フランスの人権団体のもとに連日のように寄せられている。

亡命に成功したロシアの元兵士たちが語ったのは、機能不全に陥って暴走を続けるロシア軍の驚くべき実態だった。
(NHKスペシャル「調査報告・ロシア軍~“プーチンの軍隊”で何が~」取材班)

“戦地から逃れたい” ロシア兵たちから相次ぐSOS

フランスに拠点を置く人権団体「グラーグネット」。いま、ロシア国外への脱出を望むロシア兵からの電話が相次いでいる。

指定された取材場所に向かうと、複数の警察官に迎えられた。

代表ウラジーミル・オセチキン氏は、ロシアの人権活動家だが、ロシア政府から反政府活動を行っているとして指名手配されている。命を狙われているため、24時間護衛がついている。

私たちは1時間に渡る綿密なボディーチェックを受け、ようやくオセチキン氏に会うことができた。挨拶の声をかけようとしたその時、電話が鳴り響いた。

兵士I

兵士:「ロシアから出るのを手伝ってくれますか?明日の朝には出発したいと思っています。でももし捕まったらどうしたらいいのか…」

オセチキン氏
:「私たちに何ができるか弁護士と話します。とにかくしっかりしてください!いいですね?」

兵士K

オセチキン氏:「明日にでも出発できるように航空券を手配します」

兵士:「私は軍服しかもっていません。帽子も上着も」

オセチキン氏
:「出国を拒否されないよう別の服を買ってください。軍服で飛行機に乗らないように」
この団体では、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった1年前から、ロシア兵からの軍の離反や国外亡命に関する相談を受けている。

去年9月に30万人規模の予備役が動員されて以降、その数は急増し、これまで500人以上の兵士たちから相談を寄せられているという。

しかし亡命させることができたのはこれまでにわずか10人だ。
ウラジーミル・オセチキン氏
「兵士たちは、最前線にいて『死ぬのが怖い』、『戦争に加担したくない』、『どう抜け出せばいいか分からない』と連絡をしてきます。彼らの多くは周りの目を盗んで1度だけしか連絡をしてきません。それが明るみに出た場合、見せしめの刑に処されたり、むごたらしく殺されたりすることを恐れているのです。どんなに助けたいと思っても、助けられない人が大半です」

低い士気

団体の支援で、国外に逃れることができた元ロシア兵がスペインで取材に応じてくれることになった。

指定されたホテルのロビーで待つこと2時間。帽子を深くかぶり、コートのえりで顔を覆った男が私たちの前に現れた。ニキータ・チブリン氏だ。

もともと飲食店などで仕事をしていたが、家族を養うために安定した収入が得られる契約軍人となったチブリン氏。1年前、首都キーウ攻略を担った主力部隊の1つに所属していたが、当初は、戦場に行くことは知らされていなかったと語った。
おととしの年末、所属部隊の大佐から「私たちは演習に行く。誰も軍事活動には参加しないし、誰も殺すことはない」と言われ、隣国ベラルーシに向かった。

そして、侵攻前日にあたる去年の2月23日の夜のこと。突然、「演習は終わりだ、明日我々はウクライナを攻撃するぞ!2~3日でキーウを制圧する」と、号令がかかったと言う。

実際に戦闘に加わることなどは想定していなかったチブリン氏は戦うことを拒否したが、「そんなことはできない、行くしかない。言うことを聞かないなら、投獄する。殺される可能性もあるんだぞ」と脅され、無理やり戦地に送られたと言う。
ニキータ・チブリン氏
「私は強制的に歩兵戦闘車に押し込まれました。取っ手が壊れていて内側からドアを開けることはできませんでした。戦時中は上官の言うことは絶対だと言われ、従わないと射殺すると脅されました」
チブリン氏は、戦地では、多くの兵士たちの士気は上がらなかったと話した。

ウクライナの国境を越えてすぐ受けたウクライナ軍の砲撃に、はじめて敵のものだと気づき、散り散りに逃げた。部隊が使用していた歩兵戦闘車や戦車は、整備不良で走行中に壊れたりするものも多かったと言う。

キーウの掌握に失敗したが、上官からは「ウクライナ軍を抑えることができた。君たちはよくやった」と告げられ、部隊は東部へと向かった。

そこでは、兵士たちは民家を回っては金めの物や高級車を盗んでいたと言う。
こうした様子を目の当たりにしたチブリン氏は、部隊からの脱出を決意、監視の目を逃れてロシアに向かうトラックに飛び乗った。

その後、7か国を経由し、現在スペインで亡命申請を行っている。
ニキータ・チブリン氏
「私は死なないで済むように早く戦地を離れて家に帰ることだけをずっと考えていました。他にも同じように辞めたいと思っていた人たちがたくさん逃げ出しました。こんなことになるなんて知らなかった。知っていたら絶対に行きませんでした」

除隊する将校も

オセチキン氏の元には、部隊を指揮する将校からも離反の支援を求める声が寄せられていた。

この日、連絡が入ったのは上級中尉だったコンスタンチン・エフレーモフ氏。

「プーチン大統領の掲げる戦争の大義に共感できない」と亡命への助けを求めていた。
コンスタンチン・エフレーモフ氏
「もし今ロシア国内で真実を話せば、私は戦地に送り返されるか、姿を消すことになるでしょう。もちろん私はとても家が恋しいですし、国外に出ればいつ自分の友人や母親に会えるのか分かりません。ですが、真実は鳴り響かなければならないのです」
ウラジーミル・オセチキン氏
「一番大事なのは、あなたの証言と命を守ることです。今夜、出国のルートとチケットについて決めましょう」
複数の国を経由して、メキシコ・カンクンに滞在するようになっていたエフレーモフ氏に対し、私たちはたび重なる交渉の末、対面で取材することができた。
エフレーモフ氏が語ったのは、部隊の指揮系統が全く機能していなかったという実態だった。侵攻前、クリミア半島で演習を行っていたが、上官からは「軍事演習を終えて2~3週間後には戻る」と伝えられていた。

しかし、2月24日の早朝、突然砲撃音が聞こえた。その時、はじめて戦争が始まったことを知ったと言う。

エフレーモフ氏によると、ある戦場では、上官たちが姿を消したこともあったという。そのため戦況を理解していない兵士たちが混乱し、互いに銃撃戦を始めたこともあったと証言した。

この時はパニックに陥った200人の兵士があちらこちらに逃げ回りながら、同士討ちを続け、数時間後に味方だと気づいた時には60人以上の死者が出ていたと言う。

指揮官から標的へのミサイル攻撃を命じられた際に、兵士たちが命令を拒否して上官と対立するケースもあり、指揮系統が機能不全に陥っていたと証言した。
戦地に身を置く中で、軍やプーチン大統領が掲げる戦争の大義に疑問を覚えるようになったエフレーモフ氏。そして、これ以上加担できないと、部下6人と将校たちを引き連れ、軍を離反した。
コンスタンチン・エフレーモフ氏
「国家元首が引き起こした非人道的なゲームの中で、自分が小さなねじとして利用されているという感覚でした。軍人の10%ほどの人は、プーチンのために自分の命を捨てる用意ができています。残りの40%は、流れに任せて泳いでいて賛成も反対もしません。しかし半数以上は彼を憎み、軽蔑しています。私が知る限り、将校の4人に1人ほどは、この“狂気”に参加するのを拒否しています。軍人も国防省の役人もみな、この軍事侵攻が“おとぎ話”であることを理解しています。何のためにウクライナで戦うのか、その理由は誰にもわからなかったのです」
自らが戦地で見た真実を伝えたいと、エフレーモフ氏は、アメリカへの政治亡命を目指している。
「私はウクライナ国民に対する強い羞恥心と罪悪感があります。罪のない人々にこれほどの痛みと苦しみをもたらしたことを、私も含めた全員が責任を負わなければならないのです。私たちはこの戦争を終わらせなければならないのです」

ワグネル元指揮官は

人権団体の元に連絡を寄せた中には、ロシアの正規軍ばかりではなく、民間軍事会社ワグネルの戦闘員もいた。

ワグネルはこれまで、シリアや中央アフリカなどで軍事支援を行ってきたよう兵の集団だ。その存在はこれまで、公式には政府に認められてこなかったが、去年11月には、ワグネルのオフィスビルがメディアに公開され、政府公認の組織として扱われるようになった。

ワグネルが新たな戦力として目をつけたのは、ロシアの刑務所で服役する受刑者たち。刑務所をまわり、恩赦と引き換えに戦闘員を募ってきた。これまでワグネルがウクライナに送り込んだ兵力は、5万人に上ると言われている。
この日、団体に連絡をしてきたのは、このワグネルで指揮官をつとめていたアンドレイ・メドベージェフ氏。

ワグネルから逃れるために、ロシア国外に出られる場所を探っているところだった。
オセチキン氏:「国境を越えられる場所を見つけたのですか?」

メドベージェフ氏:「はい、そこには森があって国境を越えるには、最良の選択肢だと思います。とにかく行って様子を見てみます。今FSBが私の捜索をしています。もし捕まったらワグネルに引き渡され、“排除”されてしまいます」
その後メドベージェフ氏からの連絡が途絶え、この通話からおよそ1週間後の12月15日、ワグネルに捕らわれたという情報がオセチキン氏の元に届いた。

しかし1月13日、メドベージェフ氏はロシア国外に逃れることができた。メドベージェフ氏は、オセチキン氏に国外脱出をした際の緊迫した体験を語った。
アンドレイ・メドベージェフ氏
「フェンスを越えて森を抜け、湖に出ました。その時150メートルほど離れたところにロシアの国境警備隊が走ってきているのに気づきました。すぐそばで銃声が2発鳴ったとき、私は携帯を壊して森に投げ込み、遠くに見える民家の明かりを目指して、凍りきっていない湖の上をひたすら走りました。彼らは私を追いかけるのを恐れたようで、犬を解き放ちました。私はただ走って、走って、走りました」

“見せしめの処刑が行われていた”

メドベージェフ氏は、去年7月にワグネルと契約し、激戦地バフムトに投入された。

上官からは「殺されないうちは前進せよ」と命じられ、水すらも与えられないまま、2日間、眠らずに戦闘を強いられたと言う。そして、ワグネルが過酷な戦闘を強行する裏で、戦闘員への「処刑」が頻繁に行われていたと、証言した。

ワグネルの契約書には「命令を拒否したり、遂行しなかったりした場合、戦時中の法律に従い、あなたは裁かれる可能性がある」と書かれており、“裁き“は射殺を意味しているのだという。

“裁き”は、見せしめのために頻繁に行われ、刑務所から新たな囚人たちが戦地に到着するたびに、戦闘員を射殺していたと語った。
アンドレイ・メドベージェフ氏
「処刑を行うのは、『ミョド』と呼ばれるワグネルの保安部で、新しく人が到着するたび、『ミョド』によって何らかの規律違反をした戦闘員が射殺されます。私が知るだけでも、10回の銃殺があり、そのうち2件を目撃しました。1人は逃亡したため、もう1人は泥酔したために殺されました。新入りに、恐怖を体験させ、指令の遂行を邪魔するようなことを一切考えないようになるようにするためです。遺体はその場に埋められ、行方不明者の表示がつけられます。死亡補償金を支払う必要をなくすためです」
メドべージェフ氏は現在ノルウェーに滞在、亡命を申請している。

兵士の証言を戦争犯罪の立証に

ロシア兵たちを亡命させ、彼らの証言を集めてきたオセチキン氏。

ウクライナ当局や国連、国際司法裁判所に対して、集めた元兵士の証言や内部資料の提供を行っている。ロシアの戦争犯罪の立証に役立てるために、この活動を続けていかなければならないと考えている。
ウラジーミル・オセチキン氏
「これは違法で不当な戦争だと思います。独裁者プーチンは兵士たちを狂気のままに動く突撃部隊としか見ていません。そして犬死にさせるのです。この現実はどんなホラー映画をもりょうがする悪夢です。私たちのような小さなチームが、ロシアの治安当局からの巨大な圧力にさらされながら、将来行われるであろう裁判のための証拠を集めるために、できる限りのことをやっています。これは私たちロシア人国民の義務、人間の義務なのです」