連合赤軍のメンバー5人が、楽器会社の保養施設だった「あさま山荘」に管理人の妻を人質にとって、10日間にわたって立てこもった「あさま山荘事件」は、今から51年前、昭和47年の2月に起きました。
銃撃戦も行われる中、最後は、長野県警や警視庁の機動隊員らが突入して人質を救出しました。
救出から28日で51年となります。

「あさま山荘事件」から51年 殉職警察官の慰霊式 長野 軽井沢
長野県軽井沢町の保養施設に、連合赤軍が立てこもった「あさま山荘事件」の人質救出から28日で51年となり、殉職した警察官の慰霊式が行われました。


事件では、警視庁警備部に所属していた第2機動隊の内田尚孝隊長と特科車両隊の高見繁光隊員らが銃撃を受けて死亡し、28日は2人をしのんで建てられた「治安の礎」という石碑の前で、慰霊式が行われました。
警察官や地元の人など20人余りが黙とうをささげ、花を手向けて2人の死を悼みました。
警察官や地元の人など20人余りが黙とうをささげ、花を手向けて2人の死を悼みました。

当時、クレーン車を操縦するなどして警察に協力した白田弘行さんは「私が内田隊長に『顔を出すと撃たれるよ』と注意した数秒後に隊長が撃たれ、今でも悔しいです」と話していました。
軽井沢警察署の渡邉禎治署長は「事件解決のために陣頭指揮にあたった2人に、真の警察官の姿を感じている。事件を忘れないためにも末永く追悼を続けていきたい」と話していました。
軽井沢警察署の渡邉禎治署長は「事件解決のために陣頭指揮にあたった2人に、真の警察官の姿を感じている。事件を忘れないためにも末永く追悼を続けていきたい」と話していました。