「もう一度、自分の人生を生きたい」

「もう一度、自分の人生を生きたい」
「もう一度、自分の人生を生きたい」

ロシアのウクライナ侵攻で故郷を逃れ、日本に避難してきたウクライナ人女性の言葉です。

1年前の2月24日。突如ロシアが始めた戦争によって、女性は希望に満ちた将来だけでなく、家族や友人との平穏な日常生活を奪われました。

ウクライナの人たちがどんな境遇に直面しているのか、女性はこれまで心にしまっていた胸の内を語ってくれました。

(甲府放送局記者 清水魁星)

一瞬で奪われた日常

エリザヴェータ・ズヴォリンスカさん、25歳。

母国ウクライナを離れ、去年5月から山梨県で暮らしています。
アートが好きで、ファッションデザイナーとして活動していたエリザヴェータさん。

自分のブランドを立ち上げ、小さいながらもスタジオを構えた直後のことでした。
エリザヴェータさん
「侵攻が始まった日の朝5時ごろ、友達が電話してきました。荷造りして逃げるまで30分しかないって言われたんです」
1年前の2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始。

ロシア軍による攻撃の刃は、エリザヴェータさんが暮らしていた首都キーウにも及びました。爆発音が聞こえる中、友人とウクライナ西部に逃れました。
キーウ市外に向かう道路は避難しようとする人々の車で大渋滞、周囲からは爆発音が何度も聞こえ、頭上には戦闘機の姿がはっきり見えました。
エリザヴェータさん
「こんなことが21世紀に起こるなんて信じられず、悪い夢なんじゃないかと思いながらも、必死で逃げました」
ロシアの攻撃は激しさを増し、状況はさらに悪化。避難先のウクライナ西部でも毎日のように空襲警報が鳴り響いたといいます。
そして、エリザヴェータさんは国外に避難することを決断。友人のいるベルギーを目指します。国境付近まで車で向かったあと、歩いて国境を越えました。
「人生はがらりと変わりました。戦争前と後で私の人生は引き裂かれ、自分自身もバラバラになった気分です」

気がかりは母国に残る家族

ベルギーの知り合いの家で過ごしたあと、パートナーのつてを頼って山梨県に逃れてきました。

当初は全く日本語もわからず、失望やいらだちがあったというエリザヴェータさん。日本語の学習や生活費など、ボランティアや民間団体の支援を受けて、徐々に日本での生活に慣れていきました。でも、心は落ち着きませんでした。

ウクライナでは18歳以上の男性の出国が禁じられたため、父親は出国できなくなり、母親や幼い弟もキーウに残ったままです。
「キーウに残る両親や弟を思うと心配です。無事を確認しようと毎日メッセージを送っていますが、返事が来るまで数時間から数日かかることもあります」

疲弊する家族

侵攻から1年となる2月の上旬、ロシア軍が大規模な攻撃を行うかもしれないという報道が連日流れる中、エリザヴェータさんは両親にテレビ通話で連絡を取りました。

久しぶりにキーウにいる両親の顔を見ることができましたが、通信状態が悪く、画質は悪いまま。無事なのか気がかりで矢継ぎ早に質問を繰り返しました。
エリザヴェータさん
「安全なの?警報が鳴ってるのに怖くないの?」
母親
「手元の携帯でSNSをチェックして、隣国のベラルーシからミサイルが発射されたら逃げるつもり。2時間おきに避難するわけにはいかないから」
母親の話では、この日もキーウには空襲警報が発令。

ロシア軍によるインフラ施設への攻撃で、1日数時間程度しか電気が使えないということでした。両親の顔には疲労の色がにじんでいました。
母親
「ストレスがとても多くて、あなたを見るたびに涙が出そうになる」
エリザヴェータさん
「お母さん、どうか泣かないで」
通話を終えた後も、エリザヴェータさんの手は小刻みに震えていました。

家族がこの戦争の中、キーウで生き延びていけるのか、不安でしかたないといいます。
「電話をしていても電話を切った後でも、いつ何が起きるかわからなくてとても怖いです。不安で震えが止まりません」

アートが支えに

不安な気持ちがつきないエリザヴェータさんでしたが、生活のさまざまな面でお世話になっている日本の人たちに少しでも恩返しがしたいという気持ちをずっと抱いていました。

そこで、日本語学校のスタッフの人たちの支援を受けて、去年から子どもたちを対象にしたアート教室を開催。1月には、甲府市内のこども園で工作の授業を行いました。
題材として選んだのは、ウクライナでは平和の象徴として知られているコウノトリです。

エリザヴェータさんの丁寧な指導のもと、子どもたちは色紙や新聞紙をちぎりあわせていきました。
でき上がったのは、色彩豊かでどこか温かみのあるコウノトリ。

エリザヴェータさんの授業は、工作だけでなく英語も同時に学べると保護者などにも人気です。評判は県内各地に広がり、今後も複数のこども園で教室を開く予定です。
「いまはファッションデザイナーとして服をデザインしたり、売ったりすることはでません。でも、アート教室は私の経験や能力を生かすことができますし、山梨の役に立つことができます。アートの授業は私という存在を日本で表現するチャンスです」
ウクライナでの戦争が混迷を深める中、いつ家族と再会し、離ればなれの生活に終止符を打てるのか、全く見通しは立っていません。

そうした中でも、大好きなアートで一定の収入を得られるようになったエリザヴェータさんは日々の生活に少しずつ、生きがいや喜びを見いだすようになっています。
エリザヴェータさん
「私の人生は一度戦争によって奪われ、2度目の人生を生きているような気分です。将来のことはまだ考えられませんが、いまは日本でもう一度、自分の人生を生きたいです」
甲府放送局記者
清水魁星
2020年入局
県政や市政、経済を担当 ウクライナから避難した人と知り合い、取材を始める。