事件が起きたのは、今から39年前の昭和59年12月でした。
滋賀県日野町で酒店を営んでいた69歳の女性が行方不明になり、その後、殺害されているのが見つかりました。店の金庫が盗まれていて、警察は強盗殺人事件として捜査を始めました。
3年後、強盗殺人の疑いで逮捕されたのが、店をよく利用していた阪原弘さん(当時52)でした。
阪原さんは逮捕時は容疑を認めていましたが、裁判では「自白を強要された」として無罪を主張しました。しかし、裁判所は自白は信用できるなどとして無期懲役の判決を言い渡し、平成12年に最高裁判所で確定します。
阪原さんは、再審=裁判のやり直しを求めましたが、服役中の平成23年に75歳で病死し、手続きは打ち切られました。
翌年、遺族は2度目の再審請求を行います。
焦点となったのは、阪原さんの捜査段階の自白が信用できるかどうかでした。自白が、客観的な事実と矛盾するという新たな証拠が弁護側から次々と提出されたのです。
5年前、大津地裁は、医師の鑑定書など新たな証拠から自白での殺害方法と遺体の状況が合わないなど重要な部分で信用性が揺らぎ、自白を根拠とした判決には大きな疑いが生じたとして、再審を認める決定を出しました。
裁判所は決定で、阪原さんは警察官から顔を殴られるなどの暴行を受けたり、「娘の嫁ぎ先に行ってガタガタにする」などと脅迫的なことばをかけられたりしていた疑いがあると指摘しました。
これについて、35年前の起訴された当日、阪原さんが、接見した弁護士に訴えていた音声のテープが残されています。
その中で、阪原さんは「わしも娘がかわいいので、それまでなんぼ拷問受けても死なへんさかいにと私は思いましたが、娘のこと言われたときには、もうそれに応じなしょうがないと」と話していました。
弁護団によりますと、殺人事件で有罪判決を受け社会復帰することのないまま服役中に死亡した人に対して再審を認めたのは、大津地裁が初めてでした。
これに対して検察は「再審を決定するのに必要な証拠の新規性がない」などと主張して即時抗告し、大阪高等裁判所で改めて審理が進められてきました。
去年3月には、裁判官らによる酒店や遺体の発見現場などの現場検証が行われ、双方が立証を終えていました。
その後、弁護団が報道陣を現場に案内し、遺体を遺棄したあと再び店に戻って酒を飲み、その後、金庫を盗んで山に捨てに行ったという阪原さんの自白は極めて不自然だとして、再審の必要性を訴えました。
弁護士の1人は「ありえない自白になっている。阪原さんを何とか犯人にするために無理やり、捜査側が創作したストーリーだと思う」と話していました。
39年前の滋賀 強盗殺人事件 再審認めるか大阪高裁がきょう判断
39年前、滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件で無期懲役が確定し、服役中に死亡した男性について、大阪高等裁判所は27日、再審=裁判のやり直しを認めるかどうかの決定を出します。5年前、大津地方裁判所は再審を認める決定をしていて、高裁の判断が注目されます。
昭和59年に、日野町で酒店を経営していた69歳の女性が殺害され金庫が奪われた事件で、店をよく利用していた元工員の阪原弘さんが強盗殺人の罪に問われ、無期懲役が確定しました。
無実を訴えていた阪原さんは裁判のやり直しを求めていましたが、服役中の平成23年に75歳で病死し、遺族が代わって再審を求めています。
これについて大津地裁は5年前、「捜査段階での自白は警察官から暴行を受けるなどして強要された疑いがある」などと判断して、再審を認める決定をしました。
弁護団によりますと、殺人事件で有罪判決を受け、社会復帰することのないまま服役中に死亡した人に再審が認められたのは初めてでしたが、検察が即時抗告したため、大阪高裁で改めて審理されていました。
大阪高裁は27日午後2時に決定を出す予定で、再審を認める決定を維持するのか、取り消すのか判断が注目されます。
事件の内容と再審決定までの経緯
自白の信用性が最大の争点
阪原弘さんの再審を認めるかどうかの審理では、自白が客観的な事実と整合するかという、自白の信用性が最大の争点となりました。
この事件では、阪原さんによる犯行であることを裏付ける直接的な証拠はなく、阪原さんの捜査段階の自白と、事件当日の目撃情報や遺体の状況などの間接的な証拠を積み重ねて有罪判決が確定していました。
5年前、大津地方裁判所が再審を認めた決定は、弁護団が新たな証拠として提出した医師の鑑定書などを基に、「自白での殺害方法は、遺体の状態という重要な客観的事実と整合しておらず、信用性が大きく揺らいでいる」と指摘しました。
また、「警察官から暴行を受けるなどして自白を強要された疑いがある」とも指摘しました。
さらに、犯人しか知りえない金庫の発見場所を阪原さんに案内させた「引き当て」捜査をめぐっては、現場に向かう際に撮影したとされた写真の多くが、実際には帰り道に撮影されていたことがネガの分析で分かり、「事実認定を誤らせる危険性が大いにあり、不適切だ」と捜査のずさんさを批判しました。
これに対して、検察が、即時抗告し、大阪高等裁判所で審理が行われてきました。
すでに確定した有罪判決について再審を認めるには「新しい証拠」が必要ですが、検察は、弁護団が提出した医師の鑑定書は判決が確定した当時も存在した手法で行われていて、「新しい証拠」とは認められないなどとしています。
そして、自白の根幹部分に矛盾はないため信用性は揺らがないと主張し、地裁の決定は、当初からあった古い証拠の再評価を行っているだけだと批判しています。
一方、弁護団は、確定判決などが認定した被害者が殺害された時刻は誤りだとする医師の別の鑑定書を提出し、その時間に殺害したという阪原さんの自白の根幹部分が揺らいでいると主張しました。
このほか、大津地裁が自白について「警察官による断片的な誘導や、阪原さんが警察官の認識に無意識にたどりつこうとするなどの相互作用があった」と判断したことについて、検察は「独自の概念で誤った認定だ」などと批判しました。
一方、弁護団は「地裁の認定は正当だ」とする法言語学者の意見書を提出していました。
この事件では、阪原さんによる犯行であることを裏付ける直接的な証拠はなく、阪原さんの捜査段階の自白と、事件当日の目撃情報や遺体の状況などの間接的な証拠を積み重ねて有罪判決が確定していました。
5年前、大津地方裁判所が再審を認めた決定は、弁護団が新たな証拠として提出した医師の鑑定書などを基に、「自白での殺害方法は、遺体の状態という重要な客観的事実と整合しておらず、信用性が大きく揺らいでいる」と指摘しました。
また、「警察官から暴行を受けるなどして自白を強要された疑いがある」とも指摘しました。
さらに、犯人しか知りえない金庫の発見場所を阪原さんに案内させた「引き当て」捜査をめぐっては、現場に向かう際に撮影したとされた写真の多くが、実際には帰り道に撮影されていたことがネガの分析で分かり、「事実認定を誤らせる危険性が大いにあり、不適切だ」と捜査のずさんさを批判しました。
これに対して、検察が、即時抗告し、大阪高等裁判所で審理が行われてきました。
すでに確定した有罪判決について再審を認めるには「新しい証拠」が必要ですが、検察は、弁護団が提出した医師の鑑定書は判決が確定した当時も存在した手法で行われていて、「新しい証拠」とは認められないなどとしています。
そして、自白の根幹部分に矛盾はないため信用性は揺らがないと主張し、地裁の決定は、当初からあった古い証拠の再評価を行っているだけだと批判しています。
一方、弁護団は、確定判決などが認定した被害者が殺害された時刻は誤りだとする医師の別の鑑定書を提出し、その時間に殺害したという阪原さんの自白の根幹部分が揺らいでいると主張しました。
このほか、大津地裁が自白について「警察官による断片的な誘導や、阪原さんが警察官の認識に無意識にたどりつこうとするなどの相互作用があった」と判断したことについて、検察は「独自の概念で誤った認定だ」などと批判しました。
一方、弁護団は「地裁の認定は正当だ」とする法言語学者の意見書を提出していました。
家族「再審で無罪を確定させたい」
阪原弘さんの妻、つや子さん(85)と、長男の弘次さん(61)は、30年以上にわたって弘さんの無実の罪を晴らそうと闘い続けてきました。
弘さんは家族思いで、子どもとの時間を何より大切にしていましたが、その性格があだとなり、事件に巻き込まれることになったと言います。
事件が起きたあと、殺害された女性の酒店の常連だった弘さんは、連日警察署に呼び出され、激しい取り調べを受けます。
自分は関わっていないと言い続けましたが、警察官が口にしたことばで、あらがえなくなったといいます。
逮捕の前日に父の弘さんが語った内容について、弘次さんは「父は、泣きながら殴られても蹴られても、自分がやったと言わんかったんや。だけど、『娘の嫁ぎ先に行って、家の中ガタガタにしてきたろうか』、そう言われたときは父も我慢できんかった」と振り返ります。
弘さんは、結婚式を挙げたばかりだった娘の家庭を守りたい一心でうその自白をしたと家族に打ち明け、翌日、逮捕されました。
弘次さんは、当時の心境を「『父ちゃんは、やったと言ってしまったけど、何もしていない。誰も信じなくても家族だけには信じてほしい』そのように、父は泣きながら言いました。奈落の底というのはこの時のためにあるんだなという思いでした。自分が何もやっていないのに私がやりましたって言わなければいけない瞬間というのは、本当につらかったと思います」と話しました。
また、弘さんの妻の、つや子さんは「夫が泣いているのを初めて見ました。何も証拠が無いのにひどいと思います」と話していました。
裁判では、自白を根拠に無期懲役の判決が確定し、弘さんは再審=裁判のやり直しを求めました。しかし、服役中に体調を崩して亡くなり、裁判所は再審請求の手続きを打ち切りました。
弘次さんたち家族も、一度は諦めそうになりましたが、真実だけは明らかにしたいと、翌年、2度目の再審請求に踏み切りました。
5年前、大津地裁は「自白を強要された疑いがある」などと指摘して再審を認める決定をしましたが、検察が即時抗告したため、大阪高裁で改めて再審を認めるかどうか審理が進められてきました。
弘さんの逮捕からまもなく35年。
高裁の決定を前に弘次さんは「当時20代だった私は61歳になり、これまで本当に長かったと思う。父は当然無罪になるべきで、今でも元気で生きているべき人だったと思っています。大阪高裁が検察の即時抗告を棄却すると信じている。再審で無罪を確定させたい」と話していました。
弘さんは家族思いで、子どもとの時間を何より大切にしていましたが、その性格があだとなり、事件に巻き込まれることになったと言います。
事件が起きたあと、殺害された女性の酒店の常連だった弘さんは、連日警察署に呼び出され、激しい取り調べを受けます。
自分は関わっていないと言い続けましたが、警察官が口にしたことばで、あらがえなくなったといいます。
逮捕の前日に父の弘さんが語った内容について、弘次さんは「父は、泣きながら殴られても蹴られても、自分がやったと言わんかったんや。だけど、『娘の嫁ぎ先に行って、家の中ガタガタにしてきたろうか』、そう言われたときは父も我慢できんかった」と振り返ります。
弘さんは、結婚式を挙げたばかりだった娘の家庭を守りたい一心でうその自白をしたと家族に打ち明け、翌日、逮捕されました。
弘次さんは、当時の心境を「『父ちゃんは、やったと言ってしまったけど、何もしていない。誰も信じなくても家族だけには信じてほしい』そのように、父は泣きながら言いました。奈落の底というのはこの時のためにあるんだなという思いでした。自分が何もやっていないのに私がやりましたって言わなければいけない瞬間というのは、本当につらかったと思います」と話しました。
また、弘さんの妻の、つや子さんは「夫が泣いているのを初めて見ました。何も証拠が無いのにひどいと思います」と話していました。
裁判では、自白を根拠に無期懲役の判決が確定し、弘さんは再審=裁判のやり直しを求めました。しかし、服役中に体調を崩して亡くなり、裁判所は再審請求の手続きを打ち切りました。
弘次さんたち家族も、一度は諦めそうになりましたが、真実だけは明らかにしたいと、翌年、2度目の再審請求に踏み切りました。
5年前、大津地裁は「自白を強要された疑いがある」などと指摘して再審を認める決定をしましたが、検察が即時抗告したため、大阪高裁で改めて再審を認めるかどうか審理が進められてきました。
弘さんの逮捕からまもなく35年。
高裁の決定を前に弘次さんは「当時20代だった私は61歳になり、これまで本当に長かったと思う。父は当然無罪になるべきで、今でも元気で生きているべき人だったと思っています。大阪高裁が検察の即時抗告を棄却すると信じている。再審で無罪を確定させたい」と話していました。
自白や供述の信用性否定し再審認めるケース相次ぐ
再審=やり直しの裁判をめぐっては、裁判所が当時の自白や供述が信用できないと判断し、再審を認めるケースが相次いでいます。
平成15年に滋賀県東近江市の病院で患者が死亡したことをめぐり、殺人の罪で服役した元看護助手の女性は、3年前、大津地方裁判所で裁判がやり直され、捜査段階の自白は警察官が不当に誘導した疑いが強いとして証拠から排除されるなどして、無罪が確定しました。
また、平成7年に大阪 東住吉区で小学生が死亡した火事では、放火や殺人などの罪で服役していた母親らの裁判がやり直され、7年前、大阪地方裁判所は「火事は自然発火の可能性があり、警察官が取り調べで精神的圧迫を加え、虚偽の自白をさせた」などとして、無罪を言い渡し確定しました。
また、昭和60年に、当時の熊本県松橋町で男性が殺害された事件では、4年前、殺人などの罪で服役した男性の裁判がやり直され無罪が確定しました。
この再審請求では、弁護団が新たな証拠として、凶器とされた小刀の形と遺体の傷が合わないとする専門家の鑑定を提出したほか、自白では燃やしたとされた布を検察が証拠として保管していたことが判明し、裁判所が自白と客観的な事実が矛盾しているとして自白の信用性を否定し、再審を認めました。
平成15年に滋賀県東近江市の病院で患者が死亡したことをめぐり、殺人の罪で服役した元看護助手の女性は、3年前、大津地方裁判所で裁判がやり直され、捜査段階の自白は警察官が不当に誘導した疑いが強いとして証拠から排除されるなどして、無罪が確定しました。
また、平成7年に大阪 東住吉区で小学生が死亡した火事では、放火や殺人などの罪で服役していた母親らの裁判がやり直され、7年前、大阪地方裁判所は「火事は自然発火の可能性があり、警察官が取り調べで精神的圧迫を加え、虚偽の自白をさせた」などとして、無罪を言い渡し確定しました。
また、昭和60年に、当時の熊本県松橋町で男性が殺害された事件では、4年前、殺人などの罪で服役した男性の裁判がやり直され無罪が確定しました。
この再審請求では、弁護団が新たな証拠として、凶器とされた小刀の形と遺体の傷が合わないとする専門家の鑑定を提出したほか、自白では燃やしたとされた布を検察が証拠として保管していたことが判明し、裁判所が自白と客観的な事実が矛盾しているとして自白の信用性を否定し、再審を認めました。