軍事侵攻あの日何が?重なった“想定外”とキーウ攻防の舞台裏

軍事侵攻あの日何が?重なった“想定外”とキーウ攻防の舞台裏
ロシア軍がウクライナに向けてミサイルを発射し、国境を越え始めた1年前の2月24日。欧米メディアは「首都キーウは72時間で陥落し、ウクライナは降伏するだろう」と盛んに報じていた。

しかし、ウクライナは持ちこたえる。いったいその時、何が起きていたのか?

今回、ゼレンスキー大統領を支える側近たちがNHKの取材に応じ、侵攻開始直後の緊迫した舞台裏を証言。危うい瞬間が幾度もあったことがわかってきた。

ウクライナ、そして世界を大きく揺るがすことになったこの戦争の原点に迫る。
(NHKスペシャル『ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間』取材班)

2022年2月24日 朝5時

オレーナ・ゼレンスカ大統領夫人。

軍事侵攻が始まったときのゼレンスキー大統領の様子を語った。
オレーナ・ゼレンスカ大統領夫人
「聞きなれない音で目が覚めました。朝5時です。何か悪いことだと思いました。夫の姿が見えなかったので隣の部屋にいくと、彼はもう服を着ていました。“何が起きたの?”と尋ねると、彼は“始まった”と言いました。彼はこの上なく落ち着き、そしてこの上なく緊張していました。彼がスーツを着ているのを見たのはそれが最後でした」

隣国ベラルーシからの想定外の侵攻

2月24日未明。

100発以上のミサイルがウクライナ各地に打ち込まれ、地上からは国境沿いに集結していた最大19万のロシア軍が、ウクライナに向けて侵攻を始めた。

ゼレンスキー大統領は、すぐさま自らの携帯電話から国民に向けて、「平静を保つように」とのメッセージを発信した。
しかし、実はこの時、ゼレンスキー大統領たちは想定外の事態に直面していた。

隣国ベラルーシからの攻撃だった。
オレクシー・レズニコフ国防相。

実は侵攻の2日前、ベラルーシのフレニン国防相と電話で話をしていた。
レズニコフ国防相
「ベラルーシ共和国の国防相は、『ベラルーシ側からウクライナを脅かすものは何もない』と私に誓っただけでなく、『軍人として約束する』と言いました。『ベラルーシ側からの侵略はありえない』といったのです」
レズニコフ国防相がベラルーシに電話をかけたのは、脅威と感じる動きがあったからだった。

侵攻前の2月10日から、ロシアとベラルーシの合同軍事演習がウクライナの国境近くで行われていた。

当初、演習は10日間の予定だったものの、その期間を過ぎても撤収の動きが見られなかったため、直接ベラルーシ側に意図を確認しようとしたのだ。

このときベラルーシの国防相が「ベラルーシ側からの侵略はありえない」と確約したこともあり、ウクライナ軍は首都防衛の部隊もふくめ、主力部隊のほとんどをロシアとの国境に近い東部や南部に送っていた。
レズニコフ国防相
「ウクライナ軍の司令部が考えていた最大の脅威は、東部からの侵攻でした。ベラルーシからの脅威はあります。しかしそれらの脅威はわれわれの部隊を東部に移動させないための、あくまでも揺さぶりだろうと。ベラルーシの国防相は軍人の名誉を裏切ったのです。こういった場合、軍人ならピストルを取りロシアに対して撃つのです。彼が真の軍人なら。しかし残念ながらベラルーシにはそのような勇気はなかったのです」
ベラルーシ国境からキーウまでは直線距離で80キロ。

突如、キーウは陥落の危機に直面した。

首都陥落の危機

プーチン大統領の侵攻開始宣言からおよそ6時間後、ベラルーシからおよそ40機のロシア軍のヘリコプターが奇襲攻撃をかけてきた。
狙われたのは首都防衛の重要拠点「アントノフ空港」。

キーウ郊外にあり、ゼレンスキー大統領が執務をおこなう大統領府まではおよそ30キロ。
ちなみにここは、世界最大の輸送機「ムリーヤ」の母港であり、あらゆるサイズの航空機の受け入れが可能。

ここを奪われれば、ロシア軍の大型輸送機によって次々と部隊が送り込まれ、キーウの防衛は絶望的になる。
レズニコフ国防相
「彼らはキーウ周辺の全ての飛行場を占拠する予定だったのです。彼らは飛行場を制圧し、そこに強力な拠点を築こうとしていました。そこにロシア軍は次々と増援部隊を送り込むのです」
不意を突かれたウクライナ軍。

空港の監視カメラには、ロシア軍の攻撃に一方的にさらされ、ほとんど反撃できていない様子が記録されていた。

このとき空港を守っていたのは経験の浅い兵士ばかりだった。
アントノフ空港の防衛部隊 司令官
「2月24日の時点でウクライナ軍の大半は東部に入っており、私の部隊は主に徴集兵からなっていました。経験のない兵士ばかりで、自分の任務をよく理解できていませんでした。部下に『なぜ撃たない?』と聞くと、『弾薬を使い果たしました』と答えました。あっという間の出来事でした」
一方、空港を奇襲したのはロシア軍の精鋭、空挺部隊だった。

彼らは空港の構造を調べ上げてきたようで、まっさきに管制塔を占拠した。
侵攻開始からおよそ11時間が経過した午後4時には、アントノフ空港はロシア軍の支配下に置かれた。

チョルノービリの悪夢

同じ頃、想定外の場所がロシア軍の攻撃を受けていた。

シュミハリ首相は緊急の記者会見を行った。
デニス・シュミハリ首相
「大変遺憾ながら、お知らせします。チョルノービリ原子力発電所がロシア軍に占拠されました」
37年前、爆発事故を起こして大惨事となったチョルノービリ原発。

いまも放射性物質の飛散を防ぐため周囲を鋼鉄製のシェルターで覆われ、厳重な管理下に置かれている。

ここにも重武装したロシア兵、およそ500名が攻め込んできたのだ。

このとき大統領府で事態の報告を受けた、ポドリャク大統領府顧問。
ミハイロ・ポドリャク大統領府顧問
「本当にショックでした。この施設は危険なのです。ウクライナだけでなく、東ヨーロッパ全体の危機なのです。この時点で明らかだったのは、ロシア軍には失礼ですが、完全に異常な集団だということです」
チョルノービリ原発の安全管理責任者は、ロシア軍は「原発をテロから守るために来た」と自らの行為を正当化したと証言する。
チョルノービリ原発 安全管理責任者
「彼らは『ウクライナの過激派がテロ行為を行う可能性があるため、原発を警備下に置くよう命令を受けた』と言いました。私はロシア兵に『自分たちこそ核テロを行っているという認識はあるか』と尋ねました。ロシア兵はただただニヤニヤしていました」
そして、しばらくすると突然、ロシア兵は思いもよらない危険な行動に出た。

使用済み核燃料を冷やすために必要な電力をおくる送電線を切断しはじめたのだ。

チョルノービリ原発は放射能漏れの危機に直面した。
職員たちは、「このままではヨーロッパだけでなくロシアにも”死の灰“が降りかかる」とロシア兵を必死に説得。

ぎりぎりのところで電源を復旧させ、最悪の事態を防いでいた。
チョルノービリ原発 安全管理責任者
「もちろんみんな怯えていました。悪夢です」
ミハイロ・ポドリャク大統領府顧問
「原発でのロシアの兵士たちのふるまいは、この施設が何であるかさえ理解していないものでした。いつ事故が起きてもおかしくありませんでした。信じられませんでした」

武器支援を求めるウクライナ、ロシアを刺激したくない欧米

侵攻が始まってから12時間40分。

ゼレンスキー大統領は、初めてカーキ色のTシャツを着て現れた。

そして、国際社会に対する憤りをあらわにした。
ボロディミル・ゼレンスキー大統領
「ヨーロッパ、そして自由世界の指導者のみなさん。いま私たちを強力に支援してくれなければ、明日、戦争があなたのドアをノックすることになるでしょう」
時折、手をテーブルに打ち付けながら、強い口調で訴えたゼレンスキー大統領。

実はその憤りには背景があった。

9年前、ロシアはウクライナの領土の一部であるクリミア半島を一方的に併合。

脅威に直面したウクライナは、アメリカやヨーロッパの国々に軍事面での支援を求めてきた。

しかし、いつも大きな壁が立ちはだかっていた。ロシアを刺激したくないという欧米の姿勢だった。
レズニコフ国防相
「私はワシントンで携帯型の地対空ミサイルである”スティンガー“の提供を依頼しました。返事は”不可能”でした。『ではどうすれば?』と尋ねると、答えは『塹壕を掘る』でした。欧米は『武器供与はロシアを刺激し、侵攻を招く』と言ったのです」
欧米諸国のその姿勢は、軍事侵攻が始まっても変わらなかった。
ポドリャク大統領府顧問
「欧米のパートナーは、3日か4日で私たちがいなくなると考えていました。“ウクライナはおそらく立ち行かなくなる。ウクライナは独立を守りきれないだろう。われわれは同情し、涙します。でも、とりあえず見守ります、待ちます”と彼らは言ったのです。すでに私たちが攻撃を受けている時点でも、ウクライナに対するパートナーたちの態度が大きく変わることはありませんでした。“われわれはロシアが怖いので、ウクライナを諦めた”と言っているのに等しいのです」

緊迫の72時間と、その後の泥沼

東部と南部からの攻撃を想定し、北部ベラルーシ側からの侵攻を想定していなかったウクライナ軍。

ロシア軍は、戦略的に重要な拠点を次々と攻撃し、初日の夜には首都キーウに間近に迫っていた。

侵攻初日にして、すでに首都キーウは陥落の危機に陥っていた。

そして翌日以降、事態はさらに緊迫度を増していく。
キーウ市内への戦車部隊の侵入と、市街戦。

ロシア工作員によるゼレンスキー大統領の暗殺の企て。

ロシアからの降伏勧告と、欧米からの首都脱出の提案。
だが3日目に入り、ロシア軍の動きに異変が現れる。

ウクライナ軍の強い反撃による、ロシア軍の侵攻速度の低下だった。

その理由のひとつに、ウクライナ軍の秘密作戦と、ロシア軍の誤算があったことがわかってきた。

実は侵攻当初、ロシア軍はミサイル攻撃によって、ウクライナ軍の主要な防空システムを破壊しつくす計画だった。

だが、侵攻を予期したウクライナ軍が、1か月ほど前から戦闘機や防空ミサイルなどを通常の配備地点から秘密裏に移動させたことで、ロシア軍の当初計画に狂いが生じていたのだ。

ウクライナの安全保障部門のトップは秘密作戦の一端をこう証言する。
オレクシー・ダニロフ国家安全保障・国防会議書記
「敵が予想もしないような、とてつもない作業が行われました。最初の頃、敵は狂ったようにミサイル攻撃を行ったとき、彼はこの攻撃でわれわれにとどめを刺せたと信じていました。しかし、敵は重要ではない場所にミサイルを発射していただけなのです」
こうしたいくつもの誤算が重なり、短期間で首都を陥落させウクライナを降伏に追い込むというロシア側の当初計画は、失敗に追い込まれていった。

4月初旬、ロシア軍はキーウ周辺から撤退。

そして、ロシア軍はあらためて戦力を東部と南部に集中させ、領土を面的に広げていく作戦に出ることになる。

今に続く、出口の見えない戦いは、こうして始まった。
報道局社会番組部
ディレクター
木村和穂
2009年NHK入局
ヒューマンドキュメンタリーの制作に主に従事。軍事侵攻以降ウクライナ取材を続けてきた。好きなウクライナ料理は、ボルシチとサーロ(豚の脂身の塩漬け)
報道局社会番組部
ディレクター
矢内智大
2015年NHK入局
札幌局、おはよう日本を経て現所属
報道番組やドキュメンタリーの制作に従事してきた。好物はスパゲッティ