“メッシの心を動かした”記者が見たワールドカップ秘話

“メッシの心を動かした”記者が見たワールドカップ秘話
ワールドカップ・カタール大会で、アルゼンチンを優勝に導いたキャプテン、リオネル・メッシ。

クールでシャイな性格で知られ、感情をあらわにすることはまれだったが、そんなメッシがこれまでにない表情を見せた瞬間があった。

引き出したのは、若きジャーナリスト、ソフィア・マルチネス。彼女は、常識外れの行動で、メッシの心を揺さぶり、さらに祖国の未来をも切り拓こうとした。(NHKスペシャル「メッシと私」取材班)

物議を醸したインタビュー

準決勝アルゼンチン対クロアチアでは、ピッチ外で画期的な出来事があった。

アルゼンチンが、8年ぶりの決勝進出を決めた試合後のことだ。
アルゼンチン公共放送から派遣されたジャーナリスト、ソフィア・マルティネスは、ミックスゾーン(記者のために設けられた質問スペース)でメッシを待ち構えていた。

メッシが出てきたのを見つけ、すぐに声をかける。

インタビュー時間はわずか1分。選手の言葉をどれだけ引き出せるかが勝負だが、この日ソフィアはまさかの行動に出た。
「これは、質問ではありませんが、伝えたいことがあります。
次はワールドカップ決勝で、誰もが優勝を望んでいます。
でも結果がどうであれ、あなたには“誰にもないもの”があります」
「あなたのユニフォームを着ていない子はいません。
本物ではなく、ニセ物か、手作りかもしれないけれど」
「あなたは、みんなの人生に足跡を残しました。それはどんな勝利よりも大切なもの。誰にも奪えないもの。
それを心に留めていてほしい。優勝より大切なものを、すでにあなたはみんなにもたらしています。
ありがとう、キャプテン」
なんと持ち時間の半分以上の35秒間を費やして、質問ではなく、メッシへの言葉を伝えたのだった。
「ジャーナリストなのになぜ自分が話すの?」「あれはジャーナリズムではない」といった批判が彼女のメッセージボックスには届いたが、メッシは、感極まった表情で、涙さえ浮かべているようだった。
過去4大会、国の期待を背負い続けながらも、ワールドカップには手が届かなかったメッシ。

これまで見せたことのないようなメッシの表情に、多くのファンはことば以上のメッセージを受け取った。

ソフィアのインスタグラムのフォロワー数は、一挙に50万も増加。

アルゼンチンはもちろん、アメリカ、韓国、イスラエルなど世界中のメディアが取り上げるほど話題になった。

優勝しなくてもよかった!?

彼女のインタビューの真意を掘り下げるべく、私たちは、アルゼンチンにソフィアを訪ねた。
ブエノスアイレスの住宅街にある自宅マンションの入り口で待っていると、ソフィアは、華奢な腕の中に、大きなオレンジジュースを我々撮影スタッフ全員分抱えて現れた。
国内では、ソフィアはかなりの有名人で、アルゼンチン人スタッフたちのテンションが上がるのを感じながら、いよいよインタビューがはじまった。

なぜ、質問ではなく、ああいった言葉を投げかけたのか?
ジャーナリスト ソフィア・マルティネスさん
「私の勝手な思い込みかもしれませんが、準決勝のあとピッチの中にいたメッシは、サポーターの姿を、一生記憶に刻もうと思って見ているように感じました」
「すごく幸せそうにしているのを見て、次の決勝の結果が悪くてもこれを終わらせてはいけないと思ったんです。

決勝で負けてもアルゼンチン国民のメッシへの愛は変わらないし、メッシを批判するべきではない。

W杯優勝というみんなの期待通りの結果にならなくても、彼がアルゼンチンのためにしたことは、何かが残ると思いました」
「優勝しても、しなくても。

大切なのは結果ではないと、わかってもらいたかったのです。

もし決勝でアルゼンチンが負けた後に言っても慰めにしか聞こえません。

準決勝後の今こそ、伝えるタイミングだと思いました。

“アルゼンチン人みんなの幸せは、あなたがいるからだ”と知って決勝に臨んでほしかったのです」
ソフィアが「結果ではない」と繰り返し強調するその背景には、アルゼンチンのサッカージャーナリズムの伝統があるようだ。

他のアルゼンチン人ジャーナリストに聞くところでは、この国のサッカーメディアは、結果がまず大事。
代表チームだろうが、メッシのようなエースであろうが、負ければコテンパンに批判するのが慣習らしい。

そして、国民は、そんな喧嘩腰の批評に少々うんざりしはじめているとも。

ソフィアは、そんな伝統を壊し、勝利以外にも、サッカーにはすばらしいものがあるはずと、メッシの存在を通じて改めて伝えようとした。

分断した社会をつないだメッシ

決勝戦の結果がどうなろうとも、このワールドカップを、どうにかアルゼンチン社会の未来に繋げたいとソフィアは考えていた。
「この国には、インフレ率の高さやら政府の意思決定のことやら、さまざまな問題があります。国内サッカーについても、極度の情熱ゆえ、恥ずかしいことに、サポーター同士の衝突などネガティブなことがよく起こります」
ソフィアのみならず、今回の取材を通じて出会った人たち全員が、いまの経済状況には苦しんでいた。

2022年の消費者物価上昇率は94.8%という超インフレ状態。

1年で通貨の購買力がほぼ半分に落ちるという異常事態のさなかにある。

もともと経済格差の大きい国であったが、海外資産・ドル資産を持っている人と、そうでない人との間で、その差がいっそう深刻になっているという。

アルゼンチンの優勝、それを導いたメッシの活躍は、分断した社会をひとつにまとめる力にもなったとソフィアは考えている。
それを体現していたのが、決勝戦が始まる前の国歌斉唱のシーンだった。

普段は、口ずさむくらいしか歌わないメッシだが、決勝戦では声の限りに歌っていた。
「世界一のサッカープレイヤーが私たちと同じ気持ちで国歌を歌っている。私と同じユニフォームを着て、私と同じくらいアルゼンチン人であることを感じている。ものすごく誇らしいことです。幸せな瞬間でした」

「どこ見てんだ?アホ」暴言の裏側

ソフィアがとても気にしている場面がある。

荒れに荒れた準々決勝、アルゼンチン対オランダだ。
メッシは、相手ベンチを挑発するポーズをとり、試合後のインタビュー中には、ミックスゾーンに姿を見せたオランダ選手に向かって「どこ見てんだ?アホ」と、汚い言葉を吐いた。

アルゼンチン国民の多くは、これに大熱狂した。

これまで比較的お行儀がよいとされていたメッシが、ついに、「マラドーナ化」したと大喜びしたのだ。
ブエノスアレイス市内には、この時の挑発ポーズの壁画が描かれ、まねをして写真を撮る人たちが後を絶たない。
海賊版グッズ屋では、このポーズと暴言を組み合わせたTシャツが数千枚を売り上げている。

メッシの伝説がまたひとつ増えたと、世間は喝采する。
ソフィアはしかし、メッシの意外な本音を聞いていた。
「『どこ見てるんだ?アホ』の発言を、メッシは悔いていたし、挑発的なジェスチャーをしたことも悔いています。

その行為を褒めたたえて神格化する人も多いのに、彼は『後に残ってほしくない』と言いました。

彼から学んだり、彼を見習ったり、崇拝する人が多くいると知っているからです。一挙手一投足が記憶に刻まれると知っているんです」
周囲の盛り上がりとは裏腹に、メッシは、オランダ戦での言動を後悔していた。

とりわけ、子どもたちへの悪影響をメッシは気にしていたという。

メッシと子どもたち

調べてみると、メッシはたしかにこれまで、子どもたちとの関わりに力と時間を注いできたことが伺える。
故郷の母校への訪問やバルセロナの小児がんセンターへの支援。
東日本大震災で被災した子どもたちをバルセロナのカンプ・ノウスタジアムでもてなしたこともあった。
なぜ“子ども”なのかー。
私たちは、ブエノスアイレス郊外のビジャと呼ばれる地区にある少年少女サッカークラブをたずねた。経済的に苦しい人が多く住む地域で、犯罪発生率も高い。

かの英雄マラドーナは、こうした地域から成り上がっていったことは有名な話だ。

サッカー場につくと、5歳から10歳くらいの少年少女が、突然の豪雨もものともせず、水たまりの中でサッカーをしていた。

クラブ会長のタカは笑顔で言う。
サッカークラブ会長のタカ
「ここでは生まれると、まだオムツの頃からボールを蹴り始める。どうしてかわかるか?テニスには高価なラケットが必要、ラグビーにもお金がかかる。だからその辺のビニール袋のボールを蹴り始める。土曜日にはここに来てプラスチックのボトルを蹴って遊ぶ。子どもはボールを蹴る運命だ。他に何もないからね」
さらにインタビューを続けると、タカは顔を曇らせて、子どもたちにとってのサッカーの意味を教えてくれた。
「一番大事なのは、ドラッグやアルコールから遠ざけることだ。サッカーをしていれば、悪い連中とつるむ時間がなくなる。ドラッグに手を出さないですむ」
ドラッグやアルコールの摂取だけではなく、多くの16歳以下の子どもがドラッグの密売に手を染めることも、社会問題になっているという。

メッシが生まれ育ったロサリオにも、こうした地域が多数ある。

アルゼンチンにとって、サッカーは子どもたちが道を踏みはずさないようにするための重要な社会的意義があることを、メッシは肌で知っている。

そして大げさではなく、サッカーキッズたちのほぼ全員が、メッシを手本にしている。
だからこそ、相手にけんかを売るようなそんな言動を、彼は「後悔している」と語ったのだろう。

ちなみにビジャは、外国人が訪れるには危険な地域だそうだが、地域の方々同士は、全員家族のように仲が良い。

日本からきた私をアサード(アルゼンチン流BBQ)に誘ってくれ、とても親切で、心から歓迎してくれた。

「メッシの国」となったアルゼンチン

12月18日。

決勝戦後のミックスゾーンでソフィアはメッシを待ち構えていた。

最高の歓喜の瞬間である。

大興奮の渦の中、メッシと話せないのは覚悟していた。
チームメイトとともに、ワールドカップを抱えたメッシが現れた。

多くのリポーターが声をかけるが、メッシもほかの選手たちも歌を歌い続け、叫び続け、踊り続ける。インタビューに答える者はいない。

だがメッシは、ソフィアの姿を見つけると、近づき、力強くハイタッチを交わした。

ソフィアにはそれで十分だった。


優勝を見届け、ブエノスアイレスに戻ってきたソフィアは、一変した祖国の姿に驚く。
「カタールに行く前は、問題だらけの国でしたが、帰国したら、すべてがバラ色に見える恋する国になっていました。

それこそサッカーの魔法だと思います。

アルゼンチン人の情熱は、ときにネガティブなことを生じさせますが、その情熱によって美しいものも生まれます。

ワールドカップは、国の団結という本当に美しいものを生みました」
今回、アルゼンチンでは、メッシから大きな影響を受けた人たち10数名を取材したが、その全ての人たちが口をそろえて挙げたのが、今回のワールドカップで感じた団結だ。
政治、経済、文化、あらゆる面で分断を感じてしまうという社会の中で、メッシの活躍だけが、あらゆる垣根をいっとき忘れて、心をひとつにできるものとなった。

優勝から2か月がたった今も、多くの人が、10番のユニフォームを身につけ、目抜き通りのオーロラビジョンには、繰り返し繰り返しメッシがワールドカップを掲げる映像が映し出されている。
取材の終盤、アルゼンチン人コーディネーターとカメラマンに聞いた。

「そろそろメッシに批判的なひとも取材したいんだけど、どうかな?」

彼らは即答した。

「今、この国でそういう人を探すのは、難しいよ。笑」
NHKスペシャル ディレクター
斉藤 勇城
スペイン映画を観て映像の世界に憧れ2006年NHK入局
キューバ・ハバナ大学でスペイン語初級を修了
サッカーの腕前はリフティング3回 ズブの素人