捨てられた事件記録

捨てられた事件記録
捨てたのは裁判所でした。

社会の注目を集めた少年事件の記録が各地の家庭裁判所で廃棄されていたのです。

この問題の発端となったのは、1997年に起きた神戸児童連続殺傷事件でした。

「国民の常識と司法の常識はかい離している」

事件で当時11歳の息子を亡くした遺族のことばです。

記録はなぜ廃棄されたのか。そして、この問題は遺族や社会から何を奪ったのでしょうか。
(神戸放送局記者 武田麻里子・おはよう日本ディレクター 山本諒)

“息子の命が奪われた理由を知りたい”

神戸事件で、息子、淳くん(当時11)の命を奪われた土師守さん(66)です。

事件から25年が過ぎた去年9月、神戸家庭裁判所がすべての事件記録を廃棄していたことを地元紙の記者から知らされたことが始まりでした。
土師さん
「私の仕事場に来てくれて話をしたのですが、来る前にどのような話かは全く聞いていなかったので、最初の第一声で、『え、何を言ってんの?』と。あの重要な事件記録が廃棄されるということはありえないことだと思っていたので」
なぜ息子が殺されなければならなかったのか。

土師さんは、廃棄された記録の中には、その問いの答えが記されていたのではないかと考えています。
土師さん
「廃棄された記録の中には、親として見たくないような内容も含まれていたかもしれませんが、たとえ読むことがつらくても、事件の真相に近づけるのであれば読みたいと考えていました。自分にとってかわいく、愛した子どもが命を奪われたわけです。当然、親としてその真相を知りたい。その気持ちはずっと変わらず持ち続けています。それだけに裁判所のずさんな管理体制には心から憤りを感じているんです。遺族の思いをないがしろにする行為は絶対に許せません」

少年法を変えた神戸事件

1997年、神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件。小学生が相次いで襲われ、当時、小学6年生だった土師淳くんと、4年生だった山下彩花さん(10)の2人が殺害されました。
「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、「さあ、ゲームの始まりです」と記した声明文が警察などに送りつけられるなどの異様さ。そして、逮捕されたのが当時14歳の少年だったことから、事件は社会に大きな衝撃を与えました。

少年は医療少年院送致となりましたが、この事件などをきっかけに少年法が改正され、刑事処分できる年齢が「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げられました。
法改正の転換点とも位置づけられるこの事件の記録が、裁判所によって廃棄されていたのです。

失われた記録とは

今回、裁判所によって廃棄された事件記録は、少年の供述調書や精神鑑定書など、捜査機関や家庭裁判所の調査官などが作成したさまざまな記録です。

規程では、保存期間は最長で加害者の少年が26歳になるまでとし、その後、廃棄することとしています。
ただし、社会の注目を集めた事件少年非行の調査研究で重要な参考資料になる事件などは各地の裁判所で「特別保存」に指定し、永久保存されることになっています。

しかし、神戸家庭裁判所は「特別保存」に指定せず、廃棄していたのです。
記録を廃棄していたことが報道された直後、家庭裁判所側はにべもない対応で、廃棄の経緯についての詳しい調査や、遺族への説明などは「行う予定はない」としていました。

これに対し、土師さんは詳しい経緯の調査を求める要望書を裁判所側に提出し、速やかな検証を訴えました。

各地でも事件記録の廃棄が明らかに

その後も、各地で次々と少年事件記録の廃棄が判明しました。

2004年、長崎・佐世保で当時小学6年生の女子児童が、同級生をカッターナイフで刺して殺害した事件や、2012年に京都・亀岡で当時18歳の少年が無免許で運転していた車で登校中の小学生の列に突っ込み、10人が死傷した事故といった、社会に衝撃を与えた数々の記録が捨てられていたのです。

さらに、大分地方裁判所では「特別保存」として指定していた、6件の民事裁判の記録さえも廃棄されていたことが明らかになりました。
こうした事態を受けて、最高裁判所は、少年事件と民事裁判あわせておよそ100件についてそれぞれの裁判所の職員などへの聞き取り調査を行うことになりました。

奪われた“淡い期待”

公開の法廷で審理される刑事裁判に対し、少年審判は非公開で、いわば「ブラックボックス」。

事件当時は、被害者の遺族ですら少年審判の傍聴や意見陳述ができませんでした。
少しでも真相に迫りたい。

土師さんは、事件記録の閲覧を元少年の弁護団や裁判所に求めましたが、プライバシーの保護などを理由に認められることはありませんでした。
土師さん
「当時、少年審判の日程すら教えてもらえない状況でしたから、代理人弁護士を通じ、裁判所側には事件記録の閲覧などを交渉しましたが、やはり当時の少年法の壁は厚く、いずれもかないませんでした」
その後の少年法改正で、重大事件の被害者や遺族は記録の閲覧や審判の傍聴が可能になりました。

しかし、神戸事件は法改正前に起きた事件だったため対象には含まれませんでした。
土師さん
「私たちのように、事件記録を一切閲覧できてなかった者にとっては、なぜ子どもの命が奪われなければならなかったのか、将来の法改正などで記録を見ることができたならば、その問いの答えの理由に少しでも近づけると淡い希望を持っていました。しかし、それも持てなくなってしまった」

元少年の付添人 “社会にとっても大きな損失”

記録の廃棄をめぐる問題は、遺族だけでなく社会にとっても大きな損失ではないか。

そう語るのは、事件で元少年の付添人を務めた工藤涼二弁護士です。

当時、少年審判のため膨大な事件記録をコピーしていましたが、外部に流出することがないよう、審判のあとにすべて処分しました。
しかし、裁判所による事件記録の廃棄が発覚したあと、神戸事件の審判を担当した際にコピーした捜査書類の目録がとじられた1冊のファイルが残されていたのを見つけました。
135ページにわたる目録からは、供述調書や捜査報告書など少なくとも1000点以上の証拠関係の資料があったことがわかります。

事件当時は何十枚にもわたる供述調書にも目を通し、関係資料をすべて積み上げると、2メートルほどの高さになったのを記憶しているといいます。
廃棄された事件記録の中で工藤弁護士が特に重要だったと指摘するのが、精神鑑定書です。

そこには、少年が事件に至るまでの心の変化が記されていたといいます。
工藤涼二弁護士
「この事件では、動物へ危害を加えるところから徐々にエスカレートしていったが、どのようにしてそこに至る精神状態が形成されていったのか。また、その原因はどのあたりにあり、どのように処遇していれば更生することが可能だったのかなどを考える上では、非常に重要な資料だったと言うほかないです」
そして、今回の問題は、再発防止に向けた検証の可能性をも社会から奪ったと指摘しています。
工藤弁護士
「これは単なる廃棄の問題ではありません。事件記録をもとに、どういう措置を取れば同様の犯罪を防ぐことができるのかといったことなどを、将来、検証することも可能だったと思います。しかし、記録が失われてはそれもできません。われわれ少年の付添人の弁護士たちも、当時は記録は裁判所に残るものだと思ってましたが、こういう事態になると予想できれば残していたと思います」
目録からは、少なくともどういった記録が裁判所から失われたかをうかがい知ることができるため、今後、裁判所側から提供の依頼があれば応じる考えだといいます。

元家裁調査官 “組織として記録の意義を考え直すべき”

なぜ裁判所は事件記録を廃棄してしまったのか。その手を止める人は組織内にいなかったのか。

各地の家庭裁判所で20年以上調査官として働いた、国際医療福祉大学の橋本和明教授に現場の実態を聞きました。

調査官は少年が育った環境などを調査し、記録を作る役割を担います。

橋本教授は自身の経験を振り返り、裁判所は一つ一つの事件の重要性を確認しないまま、事務的に廃棄をしてしまったのではないかと話します。
国際医療福祉大学 橋本和明教授
「私もそうだったかもしれません。かつて裁判所にいる時は事件を処理するための記録というところでは、審判が終わればその存在意義が無くなってしまうという認識があったかもしれません。今回の記録廃棄の問題でも、裁判所の担当は一定期間が過ぎればもう廃棄の対象になると思って行動していたのかもしれません」。
さらに、裁判所は事件記録の持つ社会的意義を再認識する必要があると指摘します。
橋本教授
「事件記録が誰のものかというと、それは加害者のためのものでもなければ、裁判所が判決や処分を決定するだけのものでもない。被害者やその遺族のために、そして社会のためにといった多角的なところから記録の意味というものを考えなければならないのではないでしょうか。これは裁判所のいち職員の問題ではなく、組織としての裁判所がこの記録の意義をもう一度考え直す必要があるのではないかと思います」

土師さん “記録廃棄は子どもの生きた証しを奪うこと”

一連の問題を受けて、最高裁は有識者による委員会で記録の保存のあり方を検討しています。
14日に開かれた有識者委員会には、土師守さんを招いて、直接、意見を聞きました。
会議は非公開で45分間。土師さんは委員らに対し、廃棄を知ったときの驚きや憤りを伝えました。

そのうえで廃棄の詳細な経緯を事件遺族に報告し、公表することや、記録のデジタル化などを早急に検討するよう求めました。

最高裁判所の担当者からは「廃棄は適切でなかった」と謝罪があったといいます。

最高裁判所は廃棄の経緯や原因のほか、今後の保存の方針などを報告書にまとめ、ことし4月をめどに公表したいとしています。
会議の終了後、土師さんは都内で記者会見を開き、こう訴えました。
土師さん
「一般国民の常識と司法の常識はかい離している。遺族にとって事件記録はなぜ事件が起きたのかを知るために大きなものです。記録があるのとないのとでは雲泥の差があります。記録の廃棄は、子どもが生きた証しを奪っていくことです。今後、遺族がもっと自由に記録を閲覧できるようになってほしい。適切な保存はその一歩になるはずです」

問われる事件記録の意義

事件記録とは何か。

当事者への取材から、失われたものの大きさを改めて考えさせられました。

土師さんは「個人の責任追及が目的ではありません。組織全体の問題です」と語ります。

遺族の思いを受け止め、二度と同じ過ちを繰り返さないでほしい。

検証を進めている最高裁が、事件記録の意義をどう位置づけるのかが問われています。
神戸放送局記者
武田麻里子
2021年入局
主に警察・司法を取材
おはよう日本ディレクター 
山本諒

2017年入局
福岡放送局を経て現職
少年犯罪について被害者、加害者両方の視点から取材