“裁判官の夢”を失って…日本を目指すミャンマーの若者たち

「夢は裁判官になることでした。でも今の目標は介護福祉士です」
大学を中退して日本にやってきた若者が、真剣なまなざしで答えました。
水際対策が緩和された去年3月以降、日本に渡ってきたミャンマー人は2万人以上。その多くが技術を学びながら働く「外国人技能実習制度」を利用し、介護など人手不足の現場で従事しています。
ミャンマーで軍がクーデターを起こしてから2年。
日本を目指す若者たちと、受け入れる日本の現場を取材しました。
(アジア総局記者 高橋潤/おはよう日本ディレクター 山内沙紀)
大学を中退して日本にやってきた若者が、真剣なまなざしで答えました。
水際対策が緩和された去年3月以降、日本に渡ってきたミャンマー人は2万人以上。その多くが技術を学びながら働く「外国人技能実習制度」を利用し、介護など人手不足の現場で従事しています。
ミャンマーで軍がクーデターを起こしてから2年。
日本を目指す若者たちと、受け入れる日本の現場を取材しました。
(アジア総局記者 高橋潤/おはよう日本ディレクター 山内沙紀)
“大学が閉鎖され…” 日本の介護技能実習生に
今年1月の成田空港。ミャンマーから4人の若者が降り立ちました。
千葉県の介護施設で介護の技能実習をすることになっています。
千葉県の介護施設で介護の技能実習をすることになっています。

「ようやく日本に来ました。到着したとき涙が出たくらい嬉しかったです」
「早く日本の生活に慣れて、おじいさん、おばあさんのお手伝いをしたいです」
空港から千葉県鴨川市まで車で1時間40分。
ミャンマーを出発してから12時間で、一行は研修センターにたどり着きました。
ここで1か月間の研修を受けてから、それぞれ介護施設に配属されて実習が始まります。
「早く日本の生活に慣れて、おじいさん、おばあさんのお手伝いをしたいです」
空港から千葉県鴨川市まで車で1時間40分。
ミャンマーを出発してから12時間で、一行は研修センターにたどり着きました。
ここで1か月間の研修を受けてから、それぞれ介護施設に配属されて実習が始まります。

そのうちの1人、スさんはヤンゴンの大学を中退して来日しました。
裁判官になることを夢見て、家庭教師のアルバイトで学費や生活費をまかない学業に励んでいたといいます。
残る1つの試験に合格すれば、法科大学院へ進学できる。
その矢先にクーデターが起き、閉鎖された大学の再開は見込めなくなりました。
介護の技能実習生として日本に行くことは、悩んだ末の決断でした。
裁判官になることを夢見て、家庭教師のアルバイトで学費や生活費をまかない学業に励んでいたといいます。
残る1つの試験に合格すれば、法科大学院へ進学できる。
その矢先にクーデターが起き、閉鎖された大学の再開は見込めなくなりました。
介護の技能実習生として日本に行くことは、悩んだ末の決断でした。
スさん
「とても悲しかったです。夜遅くまで勉強して、修士課程進学に向かって頑張っていたんです。元の目標はなくなってしまいましたが、自分の未来のためになにができるかと考えていたところ、日本語を勉強しながら家族を支えることができる介護の仕事が見つかり、自分に合っていると思い決めました。いつか帰国したら、日本語の学校と介護施設の運営を自分の村でビジネスとしてやりたいと思っています」
「とても悲しかったです。夜遅くまで勉強して、修士課程進学に向かって頑張っていたんです。元の目標はなくなってしまいましたが、自分の未来のためになにができるかと考えていたところ、日本語を勉強しながら家族を支えることができる介護の仕事が見つかり、自分に合っていると思い決めました。いつか帰国したら、日本語の学校と介護施設の運営を自分の村でビジネスとしてやりたいと思っています」
ミャンマーでは空前の“日本ブーム”
ミャンマーでは今、日本を目指す若者が増えています。
最大都市ヤンゴンでは日本語学校が林立し、その数は300校以上ともいわれます。
最大都市ヤンゴンでは日本語学校が林立し、その数は300校以上ともいわれます。

技能実習生や特定技能などで日本へ行く際に求められる、日本語の検定試験に合格することを目標にしています。クーデター以降、大学生など高学歴の人たちが多く入ってきたといいます。
なぜ、これほど多くのミャンマーの若者が日本を目指すのか。
理由はクーデターによる経済状況の悪化です。
人権状況の改善を求める欧米による経済制裁や、ウクライナ情勢などの影響で物価が高騰。外国資本の工場や企業も撤退が相次ぎ、失業者は増えているとみられています。
なぜ、これほど多くのミャンマーの若者が日本を目指すのか。
理由はクーデターによる経済状況の悪化です。
人権状況の改善を求める欧米による経済制裁や、ウクライナ情勢などの影響で物価が高騰。外国資本の工場や企業も撤退が相次ぎ、失業者は増えているとみられています。

先行きが見通せない中、国外を目指す人が増え、その行き先の一つが日本。多くの若者が日本へ技能実習に行くことをいわば「自由への切符」と考えています。
日本語の検定試験に合格して受け入れ先が決まれば、正規の手続きを経てミャンマーから出ることができるからです。
日本語の検定試験に合格して受け入れ先が決まれば、正規の手続きを経てミャンマーから出ることができるからです。

技能実習制度本来の目的のとおり、技能を身につけてミャンマーに戻ってくるつもりの人もいます。
しかし、この制度を利用して国外を目指すというクーデター前にはあまりみられなかった動きが、特に高学歴の若者たちの間で広がっているのです。
しかし、この制度を利用して国外を目指すというクーデター前にはあまりみられなかった動きが、特に高学歴の若者たちの間で広がっているのです。
“ミャンマーからの人材がほしい” 問い合わせ増加
こうした状況に、日本の企業も注目しています。
ヤンゴンで10年以上前から技能実習生などを送り出してきた会社には、日本の企業から受け入れを希望する問い合わせが相次いでいます。
ヤンゴンで10年以上前から技能実習生などを送り出してきた会社には、日本の企業から受け入れを希望する問い合わせが相次いでいます。

背景には、これまで主要な送り出し国だったベトナムの経済発展で国内の賃金が上がり、日本に行きたいという希望者が集まりにくくなっていることがあります。
さらにはこの1年ほど円安で母国への送金が目減りしています。
こうした状況から、ミャンマーの人材が脚光を浴びるようになったのです。
さらにはこの1年ほど円安で母国への送金が目減りしています。
こうした状況から、ミャンマーの人材が脚光を浴びるようになったのです。

西垣さん
「日に日に問い合わせが増えています。ミャンマーは、残念ながら国内が(クーデターによって)厳しい状況にありますので、経済が上向く見通しが立ちにくい。円安が進んでも影響ないと考えるミャンマーの方が多いと思います。ミャンマーは昔から日本とのつながりも深く、親日の人たちも多いので、日本に向かっているんだと思います」
「日に日に問い合わせが増えています。ミャンマーは、残念ながら国内が(クーデターによって)厳しい状況にありますので、経済が上向く見通しが立ちにくい。円安が進んでも影響ないと考えるミャンマーの方が多いと思います。ミャンマーは昔から日本とのつながりも深く、親日の人たちも多いので、日本に向かっているんだと思います」
西垣さんの会社では今年、ミャンマーから去年の2倍以上の人数の送り出しを計画しています。
“介護事業を守るため” ミャンマーからの人材に期待
日本の介護の現場では、ミャンマーの若者に熱い視線が注がれています。
今年2月からミャンマー人技能実習生を受け入れた千葉県の社会福祉法人です。
今年2月からミャンマー人技能実習生を受け入れた千葉県の社会福祉法人です。

特別養護老人ホームなど5つの事業所を運営し、地域に寄り添った介護を目指してきました。主に地元の高齢者が入所する特別養護老人ホームは、いつも満床だといいます。
運営での最大の悩みは人材不足です。求人を出してもなかなか集まらず頭を抱えています。
今後、日本の介護人材が不足するといわれる中、渡航費や住宅補助などのコストを負担してでも、ミャンマーから受け入れた人材を育て、運営の一翼を担ってもらいたいと考えています。
運営での最大の悩みは人材不足です。求人を出してもなかなか集まらず頭を抱えています。
今後、日本の介護人材が不足するといわれる中、渡航費や住宅補助などのコストを負担してでも、ミャンマーから受け入れた人材を育て、運営の一翼を担ってもらいたいと考えています。

志村さん
「技能実習生として受け入れながら、将来に向けて継続的に、スキルアップしてもらう。長期的にそうしていかなければ、介護業務というものは継続していけないと思います。今後ミャンマーから多くの実習生の受け入れができるようになれば、介護業界の(人手不足の)問題が解決していくかなという気持ちです」
「技能実習生として受け入れながら、将来に向けて継続的に、スキルアップしてもらう。長期的にそうしていかなければ、介護業務というものは継続していけないと思います。今後ミャンマーから多くの実習生の受け入れができるようになれば、介護業界の(人手不足の)問題が解決していくかなという気持ちです」
ミャンマーの事情を踏まえた“受け入れ”を
ミャンマーの人材への期待の声があがる一方、「外国人技能実習制度」はこれまで賃金の未払いや人権上の問題なども指摘され、今後は制度の見直しも進められます。
専門家は、彼らを単なる「労働力」と捉えるのではなく、他の国とは異なる事情があることを理解した上で、受け入れ方を考える必要があると指摘します。
専門家は、彼らを単なる「労働力」と捉えるのではなく、他の国とは異なる事情があることを理解した上で、受け入れ方を考える必要があると指摘します。

毛受さん
「(クーデターが起きたという)ミャンマーの特殊性を考えると、日本に来てから帰国したくない人が出てくる可能性があります。ミャンマーに簡単に帰国できないならば、悪い労働条件でも働いてくれると考える受け入れ企業が出てきたり、日本社会で不当な扱いを受けたりということがないようにしっかり(受け入れ企業を)監視することが重要です。
これまで技能実習制度で起きた問題をしっかり反省し、ミャンマーから今後増えるとすれば、初期の段階でしっかりした受け入れ態勢を作って、日本に定着できるような視点で受け入れを考えてあげるということも必要だろうと思います」
「(クーデターが起きたという)ミャンマーの特殊性を考えると、日本に来てから帰国したくない人が出てくる可能性があります。ミャンマーに簡単に帰国できないならば、悪い労働条件でも働いてくれると考える受け入れ企業が出てきたり、日本社会で不当な扱いを受けたりということがないようにしっかり(受け入れ企業を)監視することが重要です。
これまで技能実習制度で起きた問題をしっかり反省し、ミャンマーから今後増えるとすれば、初期の段階でしっかりした受け入れ態勢を作って、日本に定着できるような視点で受け入れを考えてあげるということも必要だろうと思います」
“ミャンマーから日本へ” 若者たちの今後は
クーデターから2年が経った、今年2月1日。
私(高橋)はヤンゴンの中心部に立っていましたが、外出を控える「沈黙のストライキ」が呼びかけられ、ふだんは往来の激しい通りから人も車も姿を消していました。
今、ヤンゴンでは多くの人たちが声を上げることなく静かに生活していますが、軍への反発が根強いことを実感しました。
私(高橋)はヤンゴンの中心部に立っていましたが、外出を控える「沈黙のストライキ」が呼びかけられ、ふだんは往来の激しい通りから人も車も姿を消していました。
今、ヤンゴンでは多くの人たちが声を上げることなく静かに生活していますが、軍への反発が根強いことを実感しました。

私は日本語学校に通っていた大学生のコーさんに話を聞きました。
2年前の抗議デモに参加しましたが、その後の軍による激しい弾圧を目の当たりにし、今は活動からは距離を置いています。
クーデター以降、大学に通えなくなったことから、日本語学校に通い検定試験にも合格。
その後大学が再開されたため、現在はキャンパスに戻り卒業に必要な単位を取ろうと勉強しています。
2年前の抗議デモに参加しましたが、その後の軍による激しい弾圧を目の当たりにし、今は活動からは距離を置いています。
クーデター以降、大学に通えなくなったことから、日本語学校に通い検定試験にも合格。
その後大学が再開されたため、現在はキャンパスに戻り卒業に必要な単位を取ろうと勉強しています。

「大学を卒業したら日本へ行きたい。これから変化が起きるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。唯一の目標は日本に行くこと」
そう話すコーさんに、日本は希望になっているのだと感じました。
しかし“ミャンマーから日本へ”という人の流れが続くのか、先行きは不透明です。
先月、軍は新たなパスポートの発行を見合わせました。
路上で警察に職務質問されれば、持っている携帯電話の写真やSNSに投稿した文もチェックされ、民主派を支持する市民は次々と拘束されています。
今もいつ、どうなるかわからないのです。
そうした国から必死の思いで日本に来た若者たちが、人手不足の現場で汗を流しています。
私たちはこの現実をどう受け止め、彼らと関わっていくべきなのか。
日本社会で暮らす一人一人が考えていくべき課題だと思いました。
そう話すコーさんに、日本は希望になっているのだと感じました。
しかし“ミャンマーから日本へ”という人の流れが続くのか、先行きは不透明です。
先月、軍は新たなパスポートの発行を見合わせました。
路上で警察に職務質問されれば、持っている携帯電話の写真やSNSに投稿した文もチェックされ、民主派を支持する市民は次々と拘束されています。
今もいつ、どうなるかわからないのです。
そうした国から必死の思いで日本に来た若者たちが、人手不足の現場で汗を流しています。
私たちはこの現実をどう受け止め、彼らと関わっていくべきなのか。
日本社会で暮らす一人一人が考えていくべき課題だと思いました。

アジア総局記者
高橋潤
2000年入局
函館局、サハリン事務所、沖縄局、ウィーン支局、イスラマバード支局などを経て現所属
ミャンマー情勢などを取材
高橋潤
2000年入局
函館局、サハリン事務所、沖縄局、ウィーン支局、イスラマバード支局などを経て現所属
ミャンマー情勢などを取材

おはよう日本ディレクター
山内沙紀
2013年入局
山口放送局を経て現所属
コロナ禍や円安など視点を変えながら技能実習生に関する取材を継続
山内沙紀
2013年入局
山口放送局を経て現所属
コロナ禍や円安など視点を変えながら技能実習生に関する取材を継続