成田空港建設反対派の建物など強制的に撤去 妨害疑いで3人逮捕

成田空港の建設に反対するグループが滑走路近くの土地に設置していた看板や建物などについて、裁判所による強制的な撤去が15日夜から16日にかけて行われました。現場では反対派と警察の間でもみ合いが起き、反対派の3人が公務執行妨害の疑いで逮捕されました。

強制的な撤去が行われたのは、成田空港のB滑走路近くにある4600平方メートル余りの土地です。

この土地は、空港に反対する男性が農業を続け、作業場などを設置していたほか、空港に反対するグループ「三里塚芝山連合空港反対同盟」が看板や建物を設置するなどして、活動拠点としていました。

土地を所有する成田空港会社は、反対同盟に対して、看板の撤去や土地の明け渡しを求めて、裁判を起こし、東京高裁が、去年9月、反対同盟の控訴を棄却し、判決の確定前に強制執行ができる「仮執行宣言」を付けていました。

この「仮執行宣言」に基づき、15日夜から裁判所による強制的な看板や建物の撤去が行われました。
15日夜は反対派が「農地を死守するぞ」「機動隊は帰れ」などと声を上げ、警察官ともみ合いになり、現場から連れ出される様子も見られました。

16日昼過ぎの現場は、高さおよそ3メートルの金属製の板で囲われ、撤去された看板などが積み上げられていました。

成田空港会社によりますと撤去は16日の午後9時前に終わり、設置されていた農機具小屋や看板などが撤去されたということです。

警察によりますと、機動隊員の盾をたたくなどしたとして反対派の3人が公務執行妨害の疑いで逮捕されましたが、機動隊員や逮捕された3人にけがはなかったということです。

反対派の活動拠点が撤去されたのは2017年以来です。
成田空港会社は、この土地を活用して現在、「へ」の字型に曲がっている誘導路を直線化したい考えですが、土地の明け渡しを求める裁判はほかにも1件あることなどから、今回の撤去が終わっても直線化に着手する見通しは立っていません。

「成田闘争」とは

成田空港のある場所は、戦後、引き揚げ者などが農地として開拓した土地でした。

政府は、昭和41年にこの土地に空港を建設することを閣議決定しましたが、そうした政府の方針に、地元農家などが反発して、いわゆる「成田闘争」が起きました。

反対運動は、全国から集まった学生なども加わって激しさを増し闘争の中で、多くの死傷者が出る事態となりました。
この間も空港の建設は進められましたが、昭和53年には開港予定日の4日前に反対派の活動家が当時の管制塔を占拠する事件が起き、2か月近く開港は延期されました。
こうした流れを変えたのが学識経験者などが参加し、平成3年から始まった「成田空港問題シンポジウム」などの問題解決を目指す動きでした。このなかで、国もこれまでの手法を謝罪し、一定の歩み寄りが進みました。

その後、成田空港は日本の空の玄関口として発展し、2029年3月末に3本目の新たな滑走路の完成を目指しています。

しかし現在も反対するグループは定期的に集会を開いていて、今回、建物などが強制的に撤去された土地はその活動拠点となっていました。

反対するグループは今後も活動を続ける方針で、「成田闘争」は、完全な解決には至っていません。