声を失っても伝えたい 25歳の思い

声を失っても伝えたい 25歳の思い
山本栞奈(かんな)さん、25歳。全身の筋力が衰えていく病気と闘いながら、1人暮らしをして大学にも通っています。去年12月、医師から気管切開の手術の必要性、それに伴って声を失ってしまうことが伝えられました。彼女は周囲の協力をもらいながらオンラインで座談会を開き、児童養護施設で育った自分の生い立ちや将来の夢を伝え始めました。彼女が伝えたい思いとは。(熊本放送局記者 藤崎彩智)

栞奈さんとの出会い

去年12月、熊本県で若者支援を行っている人を訪ねると、ある会合を紹介されました。

「病気で寝たきりの女性が、あすオンラインで若者に向けた座談会を開くので話を聞いてみませんか」

女性が私と同世代の25歳であること、筋力が衰える病気で寝たきりとなっていること、気管切開の手術をするためにまもなく今の声を失ってしまうことを教えてもらいました。

翌日、熊本市内のアパートに山本栞奈さんを訪ねました。
呼吸器をつけて、ベッドに横になっていましたが、表情は明るく、声もしっかりとしていました。

2回目の座談会を前にその気持ちを尋ねました。
山本栞奈さん
「自分のことを知ろうとしてくれる人がいたり、涙ながらに話を聞いてくれる人がいたりして、本当に話してよかったなって。それが自分の活力です」

児童養護施設で育ち、高校卒業後に病気に

山本栞奈さんは1997年、兵庫県で生まれました。両親や親戚と一緒に暮らすことが難しく、5歳から高校を卒業するまで熊本県内の児童養護施設で育ちました。
高校時代には吹奏楽部と陸上部をかけもちしていたといいます。
栞奈さん
「施設の友達と関わることが本当に楽しかったです。中学生くらいになって周りが分かるようになってきだすと親がいない恥ずかしさを感じるようになりました。門限とかで友達と遊べなかったりもしましたし。だけどある程度大人になって、それって自分のせいではないなと思って。父と母は必ず一人ひとりにいるから。ちょっとふとした時に私のことを元気かなとか思い出してくれればいいなと」
高校卒業後は陸上自衛隊に入隊。この頃から徐々に自分の体に異変を感じていました。

手足のしびれや動かしづらくなる体にとまどい病院を受診、入院が必要なことがわかりました。その後、入退院を繰り返し自衛隊を2年で除隊。

医師からは全身の筋力が徐々に弱まっていく病気と診断されました。

熊本県人吉市の病院に入院し、リハビリに取り組んでいましたが、気持ちが大きく落ち込む事態に遭いました。3年前、人吉市を襲った豪雨災害です。
栞奈さん
「水害のときは、とにかくリハビリも何もできない。1日をずっと寝て過ごしたから、自分の気持ちも落ちて、モチベーション上げることができなかったので、もうそれでどんどん悪くなっていたかなと思います」

出会いが転機に 初めての1人暮らしへ

転機となったのは、新たに入所した山鹿市の障害者施設での相談支援専門員との出会いでした。
栞奈さん
「相談支援専門員さんが車いすに乗った方で、自分も何かやれるかもと思ったのがきっかけです。打ち込めるものがほしいと思って大学に行こうと思いました」
おととし、栞奈さんは熊本市内にある大学の社会福祉学部に合格。1年生の時にはオンラインで講義を受け、試験は口頭で受け、受講したすべての単位を取得しました。
実は、栞奈さんには、もう1つ別の目標がありました。1人暮らしです。それまで集団での生活が続いていたこともあり、生活をみずからコーディネートしたいという思いを持っていたのです。

ただそれは容易なことではありません。みずから知り合いや行政機関などに相談、多くの手続きもこなして去年3月から念願の1人暮らしを始めました。実現するまでには、多くの困難や苦労に直面しましたが、そうした体験を乗り越えたことで心にゆとりが生まれ、結果として大きな意味があったといいます。
1人で暮らし始めてからは毎日3回、看護師やヘルパーに介助を受けています。アイスクリームを食べさせてもらったり、洗顔してもらったり、何気ないやりとりから元気をもらい、それが生きがいにもなっているといいます。

声を失うと伝えられ

去年12月、栞奈さんはのどの筋力が弱まり、呼吸が弱まっているとして医師から気管切開の必要性を告げられました。それに伴って声を失ってしまうことも。

「失う前に自分の『声』を『思い』を聞いてほしい」

オンラインでの座談会を開催することになった栞奈さん。2回目となったこの日は、平日の午後7時から始まり、全国から参加したさまざまな年代の約180人を前に、画面を通じて語りかけました。
栞奈さん
「人を頼ることができるようになってほしいなと、若者に対してはそう思います。それを支えている人たちは、信頼関係を作っていくために、自分の理想を押しつけるのではなくて、支えられる側が望みたいものが何かをきちんと聞いて寄り添い続ける、支援をし続ける。その継続が本当に大切だと思っています。継続して話を聞いてあげることで、ああ私に興味があるんだなとか、私を心配してくれてるんだなと思う、そして安心材料になるかなと私は思います」
そして、自分と同じように児童養護施設で暮らす子どもたちに向けてメッセージを送りました。
栞奈さん
「大人を信じて頼ってほしいなって思います。私はなんか相談する人っていうよりも本当に自分が信じられる人に相談できることが本当に1番理想かなって思います。でも自分が本当に言ってほしくないこととかその人にだけ話せることもあるからやっぱりそこらへんも支援する大人もやっぱりこれは言ってほしくないんだろうなって、これを解決するためにその人がみんなにこれを共有してほしいって思えるまでにそこまでその人の話を聞き続ける。聞き続けることが大事だなって思うので子どもたちに話す、話せる。そういう環境をつくったりとか大人を頼るってことをしてほしいなって思います」

誰かが絶対に支えてくれる

約1時間にわたった座談会を終えて、栞奈さんはこう話しました。
栞奈さん
「若者を大切にしてもらいたいなということ。それから、どんな子どもでも、どういう障害があっても気持ちはちゃんとあるから、しっかりと寄り添う大人が増えるといいなという思いを込めて話しました」
みずからの病気についてどう受け止めているのか、改めて尋ねました。
栞奈さん
「病気と向き合うことが嫌だとか、受け入れられないと思っていました。今は受け入れる受け入れられないではなくて、それを上回る楽しさ、その生活で支援してくれる人がいるといううれしさに変わっています。全然気にしなくていいなと。現実逃避かもしれないですけれど、それを上回る人のありがたさというのを感じています」

「病気になって、自分の思いどおりには決してならないこともあったけれど。でも本当に人に恵まれて、誰かが絶対に支えてくれる。そして次に受け渡してくれる。そうやってリレーのような感じで、どんどんつなげてくれているなあと感じています」
栞奈さんは声を失った後も、視線で文字を入力するツールなどを活用して、自分の経験や思いを伝えていきたいと考えています。

栞奈さんだからこそ紡ぎ出せるメッセージ

栞奈さんを初めて訪ねた日、どこまで話を聞いていいのだろうか、体調が悪くならないだろうかととても不安でした。

しかし、そんな緊張がすぐにほぐれるほどの明るい笑顔で迎えてくれ、これまでの生い立ちや手術を控える思いをまっすぐに話してくれました。

座談会では困難な状況を前に悩み苦しむ若者や周囲にいる大人たちに対して、栞奈さんだからこそ紡ぎ出せる強いメッセージがありました。栞奈さんは、声を失うかもしれない手術のあとに自分がやりたいことをこう語っています。
山本栞奈さん
「どんな形になったとしても今と同じような生活ができて、大学にも通えて卒業して、それから施設にいる子の将来を一緒に考えていける人になりたいなって思っているので、そういうことができたらいいなと思ってます。施設の子どもたちの夢を一緒に探してあげる。ちゃんと夢を持つことが大事なんだよって教えてあげることが夢かなって、思います」
取材を重ねるなかで、周囲の支援を受けながら努力を重ね、願ったことや目標を一つ一つ叶えてきた栞奈さんの強さや前向きな思いを感じました。

今後もその挑戦を継続して伝えていきたいと考えています。
熊本放送局記者
藤崎彩智
2021年入局
警察・司法取材を経て、現在は、豪雨災害のあった人吉市や鉄道の復旧のほか、若者が抱える問題、障害者福祉などを取材