楽天・球団社長から回転ずしへ 外食業界に新風吹くか

楽天・球団社長から回転ずしへ 外食業界に新風吹くか
プロ野球・楽天の球団社長から、回転ずし店の社長へ。

去年、異例とも言える転身を遂げたのが、立花陽三さんです。

球団社長時代は、球場に観覧車を設置するなど柔軟な発想が注目された立花さん。

新型コロナの影響で厳しい状況が続いてきた外食業界に、新しい風を吹き込むことができるのか。

挑戦にかける思いを聞きました。

(仙台放送局記者 藤岡しほり)

なぜ回転ずしの社長に?

立花陽三さんは、東京都出身の52歳。

外資系証券会社での勤務を経て、2012年から21年までの9年間、プロ野球・楽天の球団社長を務めました。

そして去年4月、宮城県塩釜市に本社を置く回転ずし店「廻鮮寿司 塩釜港」の社長に就任しました。
きっかけは、回転ずし店の鎌田秀也会長(前社長)が、店の常連だった立花さんに社長就任を打診したことでした。
立花陽三さん
「(いまの会社の)会長に『やってくれ』って言われて、『楽しそうだな』と思ったから。もうそれだけです」
鎌田会長は、「自分の年齢から、今後も店を長く続けていくために、経営を担う人を探していました。球団社長を辞めることはその時は知りませんでしたが、たまたまタイミングが一致。声をかけてから2か月ほどで社長になってもらうことが決まったんです」と話してくれました。

球団社長から回転ずし店の社長に。
異例の転身を後押ししたのは、球団社長として長く関わってきた東北・宮城への熱い思いでした。
立花陽三さん
「10年間、イーグルスでやらせてもらって、仙台ってそれまで全然縁もゆかりもなかったんですよ。僕、本当にファンに感謝しかなくて、恩返ししたいんです。回転ずしのマーケットも大きいし、おすしのマーケットも大きい。外食のマーケットも大きい。そこで仙台の観光をどうにかしないと(いけないと思った)。塩釜港というブランドを大きくしたら、もしかしたら観光客のお客さん来てくれるかもと思って、そんなことでワクワクしています」

客のニーズに応え続ける

立花さんが球団社長に就任した翌年の2013年、楽天は悲願の日本一を達成しました。
社長の在任期間中には、アメリカ・大リーグのように家族そろって野球を楽しむことができる球場づくりを掲げた「ボールパーク構想」を推進。

本場の雰囲気を味わってもらおうと、人工芝だったグラウンドを天然芝に張り替えたほか、球場の敷地に観覧車や宿泊施設を設けてより多くの人に楽しんでもらえるようにするなど、柔軟な発想が注目されました。
立花さんは、1人でも多くの人に球場に足を運んでもらおうと取り組んできた球団社長の経験が、回転ずし店の経営にも生きていると話します。
立花陽三さん
「僕が(球団の)社長になった時って、お客様が平均で1万4000人くらいだった。コロナ前の2019年で大体2万3000ぐらい。1試合で1万人が増えたんですね。どうやって増やしたかっていうと、本当にいろんなことやったんです。小学生が来て楽しいところ、中学生が楽しいところ、高校生が来たら楽しい、OLの方、社会人の方、年配の方、誰が来ても楽しいものを作ろうと思っていろいろやりました」
立花陽三さん
「一個一個の積み重ねが功を奏して、なんとかお客さんが増えた。それが僕にとっては楽しくて。それが一番いい経験だったし、それをさせてもらって、お客さんのニーズに応えることをやり続けると、お客さんが来てくれるんだってことがわかったので、実際、試したことがよかったなと思ったんで、その経験が今回生きているのかなと思っています」

人生は短い 失敗して直せばいい

港で水揚げされたばかりの新鮮な大ぶりのネタを手ごろな値段で出すと評判だった店の味を、より多くの人に味わってほしい。

社長就任から半年となる去年10月、仙台駅東口に2号店がオープンしました。

新しい店舗では、立花さんのアイデアが随所で反映されています。

その1つが、すしが回るレーンのないカウンター席を設けたことです。
カウンター席は、座っている人が会話しやすいよう、形は曲線にしました。
立花陽三さん
「新しい価格帯、新しいお客さんをつかむには新しいチャレンジしないとつかめないので、基本的にはファミリーのお客さんが来て、気楽にきてほしい店なんですけど、ちょっとおしゃれしたいところ、ちょっと高級なもの食べたいなっていう時に、こういう空間があるとちょっと楽しめるかなと思って」
店には、家族連れを意識して、テレビを設置。

授乳室も用意しました。
子ども連れで行くことができる店や授乳室がない、と感じた自身の経験などが取り組みにつながりました。

「店をどのような場所にしたいのか、決めるのはお客さん」

そう話す立花さん。

1度オープンした店も客の反応を見ながら、柔軟に変化させたいとしています。

また今後は、全く新しい形態の店舗にも挑戦したいと考えています。
立花陽三さん
「今は高級、ほんのちょっとだけ高級なところにトライしていますけど、将来的には全く違うビジネスモデルも考えています。僕は性格的に思い立ったらやりたいんで、やって失敗したらやめればいいんで。むしろ直せばいいんで。人生短いんで、失敗したほうがいいのかなと思っています」
「形態とかも含めて、店の色合いとかも、真っ赤な店とか真っ黒な店とか、今までおすし屋さんがやらなかったことをやりたい。女性だけがスタッフの店もやりたいと思うし、やりたいこといっぱいあります」
今後は、国内での店舗数の拡大を進めるほか、5年から10年以内には、海外進出することも目指しています。
立花陽三さん
「この会社を託された時、僕はみんなに新しい世界を見せたいと思いました。新しい世界っていうのは、仙台だったり、ニューヨークだったり、サンフランシスコやハワイなどそんな世界だと思ったんで、あと5年から10年以内には、ニューヨークとかに店を出したい。それを逆算していくと、仙台でオープンして、東京でオープンして、横浜あたりでオープンして、逆算していくと時間がないんですよ。だから急がないと、まずい。ことしは東京で2店舗くらいやりたいです」

宮城はポテンシャルしかない

「いまの目標は地方を元気にすること」

そう語った立花さん。

事業を通じて、東北、そして宮城の魅力をより多くの人に伝え、地域の活性化につなげたいと考えています。
立花陽三さん
「宮城はポテンシャルしかない。本当にまず人がすばらしい。本当すごいおしとやかで、規則正しいし、礼儀正しいし、奥ゆかしい。でもこの奥ゆかしさが一番すごいと思うんですけど、これはすごい長所でもあると同時に短所でもあって。これに火をつけたい。たぶん皆さんが思っている以上に宮城はすごい宝をもっているのに、その魅力を伝えきれていない。例えば、仙台に来たら牛タンを食べる、それは仙台のカルチャーだと思うけど、日本で一番とれるマグロは塩釜港にあるんだから、仙台にきたらまずすしを食うっていう文化を作りたい。もっともっとアピールをして、観光客を呼んで、ホテル取れないってなるような、観光の街にしたいです」
取材の最後、立花さんに2023年はどんな年にしたいか聞いたところ、「この数年暗いニュースが多いので、街なかに笑顔であふれかえるような1年にしたい」と話してくれました。

この数年、コロナ禍で厳しい状況が続いた飲食や観光業界。

常識にとらわれない斬新な発想で、新しい風を吹き込むことができるのか、しばらく目が離せません。
仙台放送局記者
藤岡しほり
2022年入局
くらし・経済取材担当