“神の使い” 奈良公園のシカ 周辺のシカと異なる独自の遺伝子

国の天然記念物に指定されている奈良公園のシカは、周辺の地域に生息するシカとは異なる遺伝子型を持っていることがわかりました。
1000年以上にわたり独自の集団として生き残ってきたと考えられ、研究チームは「人間が『神の使い』として保護してきた結果ではないか」としています。

この研究は、福島大学と山形大学、奈良教育大学が共同で行い、アメリカの専門誌に発表しました。

研究チームは、20年ほどかけて奈良公園周辺や紀伊半島各地に生息するニホンジカ、およそ300頭の遺伝子のサンプルを収集し、その配列を分析しました。

その結果、奈良公園のシカから検出された遺伝子型の1つが、ほかの地域のシカからは全く検出されず、独自のものであることがわかったということです。

この独自の集団が現れたのは、少なくとも1000年以上前と考えられ、それ以降、紀伊半島に生息する別の集団との交流が無かったことが明らかになったということです。

研究チームは、奈良周辺では古来より、シカが「神の使い」として保護されてきたことから、独自性が高い集団が生き残ってきたのではないかとしています。

研究チームの福島大学大学院の高木俊人さんは「奈良のシカは、まさに“生きる文化財”だと思う。今後の保護・管理を考えるうえで重要な研究になると思う」と話していました。

「神の使い」古くから言い伝え

「奈良のシカ」をめぐっては、奈良時代に、常陸国、現在の茨城県から神様が白いシカに乗って春日大社の神山・御蓋山にやってきたという言い伝えが残され、春日大社では、古くから「神の使い」として大切に扱われてきました。

境内ではたくさんのシカが行き交い、「シカ」をモチーフにしたものも、あちらこちらで見られます。

二之鳥居をくぐると、体長2メートルほどのシカの像が訪れた人を出迎えるほか、本殿周辺につるされた灯籠にはシカが空を駆ける様子が描かれています。

奈良県によりますと、「奈良のシカ」は、太平洋戦争の直後にはわずか79頭にまで激減していたということですが、その後、保護の取り組みが進められ、昭和32年には国の天然記念物に指定されました。

現在では、奈良公園周辺に1100頭余りが生息しているとされ、愛らしいシカの姿は奈良を訪れる観光客にも親しまれています。

今回の研究結果について、春日大社の花山院弘匡 宮司は「地域の人々がご加護を感じ、大切に大切にしてきたシカが、科学的にも“特別なシカ”とわかったことに大変驚いている。自然と動物、人間がどのように生きていくかが問われている時代に、この奈良の地が何か未来の形を表しているのではないか」と話しています。

専門家 “人とシカのつきあい方 考えるきっかけに”

今回の研究結果について専門家は、人とシカのつきあい方や今後の保護のあり方を考えるうえで貴重なデータになるとしています。

このうち、動物の遺伝学が専門で、森林総合研究所の動物生態遺伝チーム長を務める大西尚樹さんは「ある動物の遺伝子が1000年単位で残ることはよくあるが、人為的に守られてきた事例はあまりないのではないか。遺伝子を守ろうという意図ではなかっただろうが、春日大社によって保護されてきたという史実を、遺伝子という極めて理系の最先端の技術や知見からサポートしたというところが非常におもしろい」と話していました。

また、長年、シカの生態を研究している北海道大学大学院文学研究院の立澤史郎助教は「シカは夜間は森の中で過ごし朝になると草原に出てくる特性があり、春日山から今の奈良公園の平たん部にかけてのエリアが1000年以上住みやすい場所だったと言えるだろう」と述べ、奈良のシカの存続には環境的な要因もあったと指摘しました。

そのうえで、現在の奈良公園周辺のシカを取り巻く環境は、観光地として人間が過密に利用するなど必ずしも好ましい状態ではないとして「私たちの先達が『奈良のシカ』を天然記念物に指定した意義をもう一度、振り返るべきではないか。今回の研究成果は、これから1000年、どうやってシカとつきあっていくかを考える非常にいいきっかけになるのではないか」と話していました。