ウクライナ国立バレエの挑戦~芸術監督 寺田宜弘さん

ウクライナ国立バレエの挑戦~芸術監督 寺田宜弘さん
「ウクライナ国立バレエ」

高い技術と豊かな表現力で世界中の人たちを魅了してきた、バレエ団です。その120年余りの歴史の中で最大の危機を迎えたのが、去年2月のロシアによる軍事侵攻でした。こうした中でも先月、侵攻後、初めての本格的な海外公演を日本で開催し、華やかな舞台をファンに披露しました。

このバレエ団を率いるのが寺田宜弘さん(46)です。

「戦時下でも公演を続ける」

その思いに迫りました。

(おはよう日本 ディレクター 川上慈尚/国際放送局World News部 記者 古山彰子・チーフプロデューサー 小川徹)

寺田宜弘さんとは

ウクライナの首都キーウを拠点に活動する「ウクライナ国立バレエ」です。
ここで芸術監督を務めているのが寺田宜弘さん。

演目や配役の決定、演技指導などを行う総責任者です。
京都市出身の寺田さんは、11歳のとき、単身でキーウのバレエ学校に留学しました。
トップの成績で卒業し、国立バレエに入団。

厳しい競争を勝ち抜いて、ソリスト(ソロパートを踊ることができる踊り手)として活躍しました。
引退後は指導者としても評価され、ウクライナでさまざまな賞を受賞しています。

35年にわたってウクライナで暮らしてきましたが、去年2月、ロシアによる軍事侵攻を前に、一時、国外へ避難しました。

去年9月にはキーウに戻り「戦時下の厳しい状況にある国立バレエを率いてほしい」と、芸術監督を任されました。
先月、都内でNHKの取材に応じた寺田さん。

まず取り組まなければいけない問題としてあげたのが、侵攻をきっかけに生じた団員たちの分断でした。
寺田宜弘さん
「ちょうど半分の団員がウクライナに残って、半分の団員がヨーロッパにいるんですね。そのウクライナに残った芸術家がこう言うんです。『私たちが本当の芸術家だ。国を守って、何が起こっても、最後までこの国の芸術を守り、残った人間が、本当のウクライナ人だ。ヨーロッパに避難したウクライナ人たちは、そこまで愛国心が強くない』と。2つに分かれてしまったんですね。一番最初にしないといけないと思っているのは、それをくっつけることなんです」
どこにいても祖国への思いは変わらないはず。

侵攻によって分断してしまった団員たちを再び結束させるため、長年キーウで暮らし、ウクライナに精通している外国出身の自分こそ、果たせる役割があると考えています。
寺田宜弘さん
「私の場合50%くらいウクライナ人で、50%日本人、だからこそ、ウクライナの芸術を1つにできるかもしれないし、私としてはできるだけのことをして、平和な時代のウクライナのように、芸術家が1つになれるよう、これから頑張っていきたい」

戦時下の今こそ “芸術を絶やさない”

戦禍の国立バレエには、これまでもさまざまな障壁が立ちはだかってきました。
拠点としていたキーウの劇場は4か月間にわたって閉鎖。

去年6月には公演を再開しましたが、いまも、空襲警報が鳴ると観客を地下に避難させなければなりません。
このため劇場いっぱいに観客を入れることはできず、地下室に避難できる400人を上限にチケットを販売しているといいます。
さらに去年9月には、一緒に踊ってきたダンサーが、戦闘で命を落としました。
市民の犠牲も相次ぐ中、ダンサーたちは、仲間や家族、そして自らの命に不安を抱えながら活動を続けています。

一方、そんな危険と隣り合わせの状況でも、公演を開催すればチケットは完売になるといいます。

寺田さんは、踊り続ける理由はそこにあると考えています。
寺田宜弘さん
「ウクライナという国は、芸術があって国があるんですね。ソビエト崩壊、クリミア半島の問題があり、いまも戦争が続いています。苦しいとき、国が大変なときでも、芸術は生きていたんです。肉体の美しさ、心の美しさ、それを人に与えることができる。芸術の力でウクライナの人たちを少しの時間でも戦争のことを忘れられるようにするのが私たちの役目で、それが国民も一番望んでいることだと思います。

劇場に来る。その2時間半の公演の間、戦争のことを忘れたい。それを求めてみんなが来ると思うんですよね。私たちとしては、それを見に来てくださっている人に、いままで以上に夢と希望を与えないといけないんです。さらに芸術家にとっても、舞台の上で踊る、その時間というのは非常に貴重なんですね」

“チャイコフスキーは踊らない”

ウクライナ国立バレエは、ロシアによる軍事侵攻前から、日本での公演を毎年行ってきました。
「戦時下でも芸術の灯は途絶えていないことを示したい」と先月(12月)来日。全国各地であわせて13回行った公演には、多くの人が駆けつけました。

今回の公演で披露した演目は「ドン・キホーテ」

同名の小説をもとにした作品で、音楽はオーストリア出身の作曲家、レオン・ミンクスによるものです。スペインを舞台に、町の人々が陽気で楽しく踊る演目として知られています。
これまでは「白鳥の湖」など、ロシアを代表する作曲家のチャイコフスキーの作品を多く上演してきましたが、今回は見送ることにしました。

背景には、ウクライナの人たちがロシアに対して抱く感情への配慮があるといいます。
寺田宜弘さん
「(ウクライナ東部の)マリウポリに大きな攻撃が今も続いています。その中で、もう半年以上、食料もない、水もない、電気もない、何もない中、生き続けているんですよね、ウクライナの人たちっていうのは。ロシアの方からの食べ物のサポート、水のサポート、だけどそこに住んでいるウクライナ人っていうのは、誰ひとりそれを受け取らなかったんですよね。多くのウクライナ人は、ロシアからのサポート、水、食料を断って生きている。芸術家たちも、今はチャイコフスキーを我慢するべきだと。私はそれが正しいと思うんですよね」
そのうえで、演目に選んだ「ドン・キホーテ」に込めた思いを次のように語りました。
寺田宜弘さん
「非常に温かい作品で、ユーモアがたくさんあって、ウクライナの国民にふさわしい作品だと思うんですよね。ご存じの通り、ウクライナの国のシンボルはヒマワリですよね。ヒマワリも非常に、見るだけで心が温かくなる。『ドン・キホーテ』の作品も音や音楽を聴いているだけで心が温かくなる。このウクライナの大変な時、苦しい時、こうやって心の温かい作品『ドン・キホーテ』を日本の国で踊れる。私は正しいレパートリーを選んだと思います」
寺田さんたちの思いを、日本の観客もまっすぐ受け止めていました。
公演を見た人
「ウクライナのみなさんの気持ちがすごく伝わってくるような演技で、表情からも伝わってきて、胸がすごく熱くなりました」
公演を見た人
「文化とか芸術的なことが途切れないようにしてほしいなって、すごく思いました」
寺田さんは日本公演を続ける中で、ダンサーたちについてあることに気がついたといいます。
寺田宜弘さん
「リハーサルや舞台を見ていると1つ1つの手の動き、足の動きにいままで以上にエネルギーを感じるんです。特にダンサーたちの目を見ていると、何かを訴える、先が見える情熱的な目をしています。苦しい時代だからこそ、特別なエネルギーが生まれてくるんだと私は思うんです」
インタビューの最後、寺田さんは、戦時下でバレエ団を率いていく決意を語りました。
寺田宜弘さん
「ウクライナは苦しい時代で、悲しい時代でもある。その中でも、ウクライナの芸術は生きているということを、日本の国民に知ってほしいんです。そして海外に住んでいるウクライナの人たちにも、ウクライナの芸術は生きていると証明できる、素晴らしい機会だと思います。ウクライナに残った芸術家たちと一緒にひとつになって、本当に素晴らしいものが生まれると私は信じています。私は、芸術監督になった以上、団員たちと最後まで芸術を通して戦っていこうと思います」

取材を終えて

都内で行われた「ドン・キホーテ」の公演は、陽気で楽しい演目ながら、寺田さんが話す通りダンサーたちから独特なエネルギーを感じるものでした。

戦時下であっても日々鍛錬を続け、完成度の高いパフォーマンスで観客を魅了する姿に、取材で訪れた私たちも感情を大きく揺さぶられました。公演中、公演後の団員たちの明るい笑顔も、強く印象に残っています。

一方で寺田さんによると、団員たちはホテルに戻ると、すぐに自分の部屋にこもり、ウクライナにいる家族と連絡を取り合っていて、通信状況が悪く連絡が取れない日もあったということです。

寺田さんは「そんな中でも団員たちが劇場に来て、素晴らしい踊りを踊ってくれる。本当に素晴らしいなと、毎日思っています」と話していました。

その華やかな舞台からはうかがい知ることができない、団員たち1人1人が抱える心労に思いをはせずにはいられなくなりました。

日本各地での公演を終え、寺田さんたちは今月(1月)、キーウに戻りました。防空警報がたびたび鳴る中で、海外にいる振付師と協力しながら、新たな演目づくりにあたっています。

その挑戦を心から応援するとともに、空爆や大切な人の安否を気にすることなく公演を行える日が、1日も早く訪れるように、私たちもできることを続けていこうと強く実感しました。
おはよう日本 ディレクター
川上 慈尚
2018年入局
大阪局を経て2022年8月から現職
文化・スポーツ・福祉問題など幅広く取材中
国際放送局World News部 記者
古山 彰子
2011年入局
広島局、国際部、ヨーロッパ総局(パリ)を経て現職
ヨーロッパでバレエなどの文化取材も経験
現在は英語・フランス語放送のニュース制作・取材を担当
国際放送局World News部 チーフプロデューサー
小川 徹
2022年3月からウクライナ国立バレエの取材を続ける
10代のころにバレエの美しさに魅せられたバレエファン