永世名人 谷川浩司さん 神戸に住み続ける理由

永世名人 谷川浩司さん 神戸に住み続ける理由
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阪神・淡路大震災から28年になります。

神戸市出身の将棋の永世名人、谷川浩司さん(60)は阪神・淡路大震災で被災しましたが、今も神戸に住み続けています。

多くの棋士が東京を拠点に活動するなか、谷川さんが地元 神戸にこだわる理由とは。

(神戸放送局 カメラマン 平井克昌)

神戸の自宅で被災

谷川さんは神戸市の自宅で阪神・淡路大震災を経験しました。
谷川浩司さん
「突然、下から突き上げられるような揺れで目を覚まし、妻と2人、おさまるまで本当に何もできなかった」
幸い家族は無事でしたが、神戸市の自宅は住むのが困難な状態になってしまいました。近所の学校など、避難先を転々とする生活を余儀なくされました。

当時 大事なタイトル戦の最中

「竜王」や「名人」など7つのタイトルを獲得してきた谷川さん。

震災当時は「王将」のタイトルの防衛戦の最中でした。相手は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの羽生善治6冠。

谷川さんは、3年間保持していたタイトル「王将」を防衛できるか、瀬戸際の戦いでした。
谷川浩司さん
「将棋というのは、1対1の戦いですが、あの時の王将戦はやはり、神戸 被災地を背負って、と少し大げさになりますが、神戸のために戦っている。このような状況でも対局を続けられる喜びを感じていました」

タイトル防衛 神戸にとって明るいニュースに

不自由な避難生活を続けながら谷川さんは羽生さんとの戦いを繰り広げます。

地震から2か月後の最終第7局。谷川さんは見事、「王将」のタイトル防衛に成功。それは被災地・神戸にとって明るいニュースとなりました。
谷川浩司さん
「避難生活を続けていた両親に電話したら、受話器の向こう側から大きな拍手が聞こえてきて、その時は私もジーンときましたね。戦っていたのは自分だけではなかったと。神戸の人たちはみんな震災と戦っているし、私の対局も気にかけていたんだなということがよく分かりました」

芽生えた神戸への思い

多くの棋士が東京を中心に活動する中、谷川さんは復興を続ける神戸に住み続けてきました。

震災から9年後の2004年、谷川さんは当時NHKの取材に神戸にこだわる理由を次のように話しています。
谷川浩司さん
「自分たちは無力かもしれない。でも、直接被災者を助けてあげられなくても、間接的にでも勇気づけることはできるのではないか。自分が今できることは何か。将棋で勝って少しでも喜んでもらうこと」

「元の神戸に戻るまでは、神戸にいて見届けたい。神戸に住んで、タイトル争いをするのは、非常に価値があると思うので、これからもどんどん東京から神戸にタイトルを持って帰りたいと思っています」

同じ立場だからこそ できる支援

その後、谷川さんは、日本将棋連盟の会長に就任。棋士たちとともに、ほかの災害の被災地にも支援を行ってきました。東日本大震災で被害をうけた岩手や宮城に足を運び、将棋で人々と交流しました。
谷川浩司さん
「同じ経験をして、同じことを考えた立場だからこそ、掛けられる言葉、共感できるところはある。頑張ってくださいという言葉をよく使いますが、頑張ってくださいではなく、頑張りすぎないでくださいと」

当時の足跡をたどって

去年11月。谷川さんは28年前、被災直後に当時の自宅近くにある避難した学校を訪れました。おにぎりとペットボトルを受け取るために並んだところです。

校舎は新しくなっていましたが、当時を知る教員と話したことで、震災当時の記憶を改めて思い出すことができたと言います。
谷川浩司さん
「確かに28年たつと、いろんなことが変わる。私の記憶の中のものがかなり変わってるんだなということがよくわかりました」
谷川浩司さん
「被災された方が一番つらいのは、忘れ去られてしまうことだと思います。やはり5年、10年、20年と、大変な思いをしている方がいらっしゃることを思い続けることが大事だと思います」
震災から28年。谷川さんはこれからも神戸に住み続けながら棋士として現役で戦い続けたいと話します。
谷川浩司さん
「地震のような自然災害から復旧復興していくのは、長い年月がかかるもので、最後の方が、元の生活を取り戻せるまで、被災地を見続ける。寄り添う。寄り添い続ける。というのが一番ふさわしい言葉なのではないかと思います」
神戸放送局 カメラマン
平井克昌
2005年入局
ニュースカメラマンとして、国内外のニュースや番組の取材・撮影を担当。震災取材を続ける一方で、ウクライナや中国など海外取材も多く行っている